阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

別子ラインの紅葉&マイントピア別子&住友別子銅山発祥の地を訪ねて         シリーズその2

2016年11月26日 | 新居浜便り
愛媛県新居浜市の住人I谷さんからの第2報です。
⇒マイントピア別子4階はリニューアルされた各種温泉やサウナ、露天風呂があり市民の憩いの場
として利用されている。

岩盤浴、岩塩浴、つぼ湯、ねころび湯など温泉好きな人は1日中楽しんでいるようです。





4階の天空温泉のすぐ横には広いキッズコーナーがあり家族連れも安心して遊ばせると人気。







屋外にはバーベキューコーナーがあり最近ではジビエ肉が人気あるようです

懐かしいミゼットですが四阪島では小回りがきくので消防車として活躍したそうです

「大鉑=おおばこ」と呼ばれ約300㎏ある。 前年採掘された鉱石の中で最も高品質を選び縄で飾り付けしたもの。
新年の炉に入れて溶解する慣わしがあった。

元禄4年(1691年)銅山開業時に護り神として大三島「大山祇󠄀神社」の御分霊を賜り麓の大山積神社
に元旦に工夫達が江戸木やり節が起源とされる「大鉑の歌」を道中歌って奉納したと言われる。
閉山で一時途絶えたが1990年に開坑300年を機に復活して現在もその伝統を継承している。

 先月、TBSのTV「プレバト」の辛口毒舌でも人気のある俳人、エッセイストの「夏井いつき」さんの
句会ライブがマイントピアで開催され大好評でした。





初代、住友政友が起業して約400年後の現在、住友グループ全体の売上高は約60兆円に達し日本のGDPの約10%の規模となっている。
初代、住友は商人の心得を説いた家訓を多く残しているが中でも下記がグループの住友事業精神の基礎となっている。

【浮利に走らず=単なる金もうけに走ることなく人間を磨き立派な人格を心掛けよ】 
【確実、慎重、正直を旨とすること】
【国益を先にし、私利を後にする】

住友財閥では「君臨すれど統治せず」を家法とし創業家一族は経営の実権をにぎらず総理事に任せているところが
他の企業との違いと言われる。

今年正月にTBS系で放送された『別子銅山、百年の計、我にあり』では広瀬初代総理事や伊庭二代目総理事
が煙害問題、自然災害に苦しみながらも約5000人の社員や住民の幸せを考え、計り知れない苦悩とともについには
四阪島移転を決断し、住友精神を決して失わなかった内容でした。
しかも当時ガスで荒れた山は植林ですでにほぼ回復しているが今現在も続けられている。

参考)
①別子銅山は1691年、江戸幕府より正式許可を得て銅山採掘にも進出し住友の事業の根幹を支えてきました。

②【国益を先にして私利は後にする】ことを実践したエピソードとは1980年代に和歌山にあった製鉄所の公害解決の
  ため茨城/鹿島に移転を決断したことです。社員、家族あわせて1万人をこえる前代未聞の集団移転でした。

  90年代の鉄鋼不況のさなか世界中の鉄鋼メーカーが二の足をふむなか1000億を投資した。
 2000年代に中国の経済復興がはじまると新型溶鉱炉は威力を発揮し国益を先にした投資は住友金属に莫大な
 利をもたらしたのである。

 当時の社長は鈴木総理事の言葉を引用し
 「住友は国益を先にし利を後に考える。たとえ、住金が倒産してもこの日本に溶鉱炉が残ればいいじゃないか、と宣言した」
 ことを指す。
採掘く最前線の「東平=とうなる」は海抜1300mにあり約3500人が家族とともに居住していた。
保育所、小学、中学校、病院、郵便局、神社、寺、販売所(コープの前身)、娯楽所、接待館など完備し
従業員に不便をかけない配慮をした一つの大きな町でもあった。
当時の学校



職員室でくつろぐ先生

現在の生協(コープ)の前身としての販売所






コメント (3)
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最近の酒肴は焼き鳥やシュウマイなども

2016年11月26日 | ある日の肴/夕食

豚の角煮サラダ

鹿児島県日置市の小正醸造の芋焼酎

揚げ出し豆腐とアジ

デカい焼鳥

唐揚げ

ケンタッキー・フライド・チキン

 いわゆる「中食(買ってきた惣菜類)」や冷凍品・冷蔵品、など食の最新環境をフルに活用している。
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