昭和37年に当時阪神御影にあった教養課程の校舎の語学クラスで一緒になったのか、その後友人を介して親しくなったのか定かではないが50年以上の
付き合いがあるSさんから東京へ出てきたなら一度昼食をと誘われた。場所は有楽町の「綴」という落ち着いたレストランだった。
三菱系の会社に勤めもう東京の生活が長い彼はさすがにいい店を知っていると思った。
有楽町駅から5分ほどでこんな穴場みたいな静かで落ち着いて空間があるとは思わなかった。
刺身定食をオーダーした。
彼は作家の村上春樹が通学した高校の同窓生で、村上春樹が高校時代まで過ごしたいわゆる「阪神間」育ちの一人だ。
ゆっくりと共通の友人の話や互いの近況などの話を交わした。
有楽町駅で降りるとつい電気ビルの前にあるクロシングの前にきてしまう。かってここを渡って船橋社中の皆さんと
外国人記者クラブのバーで年に2回ほど毎年楽しんだものだ。
有楽町のホームに上がってから思い立って新橋駅に行き
新橋駅の地下ホームから湘南総武快速線で帰った。
新橋駅の地下街に2月8日に開店したばかりの崎陽軒の販売店でシューマイを二家族分買って帰ったが孫たちに大喜びされた。
付き合いがあるSさんから東京へ出てきたなら一度昼食をと誘われた。場所は有楽町の「綴」という落ち着いたレストランだった。
三菱系の会社に勤めもう東京の生活が長い彼はさすがにいい店を知っていると思った。
有楽町駅から5分ほどでこんな穴場みたいな静かで落ち着いて空間があるとは思わなかった。
刺身定食をオーダーした。
彼は作家の村上春樹が通学した高校の同窓生で、村上春樹が高校時代まで過ごしたいわゆる「阪神間」育ちの一人だ。
ゆっくりと共通の友人の話や互いの近況などの話を交わした。
有楽町駅で降りるとつい電気ビルの前にあるクロシングの前にきてしまう。かってここを渡って船橋社中の皆さんと
外国人記者クラブのバーで年に2回ほど毎年楽しんだものだ。
有楽町のホームに上がってから思い立って新橋駅に行き
新橋駅の地下ホームから湘南総武快速線で帰った。
新橋駅の地下街に2月8日に開店したばかりの崎陽軒の販売店でシューマイを二家族分買って帰ったが孫たちに大喜びされた。