阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

小岩の豚骨ラーメンの店「頃場」にパクチー(シャンツアイ)をたっぷり使ったメニューがあった。

2022年07月08日 | 食べる飲む

 

揚げ出し豆腐はいい豆腐を使っていた。

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阿智胡地亭便り #32 シャンツアイが茂った  2003.08.16 記

*どこの国の空港も 飛行機から外に出るとその空港特有の匂いがします。シンガポール空港(旧空港)のシャンツアイ(香菜)の匂いのように。

(行った人はご存じのように、彼らはどんな料理にも最後に三つ葉かパセリのようにこのハッパをのせます。
シャンツアイは最初あぶらむしの臭いやと思いましたが、すぐに好きになり今も種を買って、夏は家のプランターで栽培しています。
ボク以外家族の誰も食べませんが)
                     (海外あちこち記---その七から)

 今年もベランダのプランターでシャンツアイ(香菜)が青々とした葉をつけている。最初のものは枯らしてしまい、
今のシャンツアイは神戸元町の「ブハラ」というインド料理屋か、六甲道の「上海外灘(バンド)」という中華料理店で食べた帰りに、
袋入りの種を貰ったのがうまく育って毎年開花し、種を取り、代々続いている2代目だ。


 先日、相方がプランターから摘み取って台所に持っていくのが、その香りというか匂いですぐわかった。
晩飯は確かニホンメシと言っていたのに何に使うのかと思っていたら、豆腐の澄まし汁に振り掛けて出てきた。何の違和感もなく、


澄まし汁に合う。和食系にも三つ葉の代用でなくそのまま使えるんだと思った



シャンツアイは強烈な青臭い匂いがするので、中国、台湾、東南アジアへ行くと、半分冗談ながらこれを食べられるかどうかで、
土地に適応出来るかどうかのリトマス試験紙みたいに使われることがある。好きか嫌いかだけだから、嫌なら「シャンツアイ プーヤオ」(香菜不要)と
言えばいいのだが、シンガポールあたりでは何にでも乗せてくるので、慣れた方が早いような気がする。

ボクは一番始めは、ジャカルタのホテルの中華の店のヤキメシの一口で、この変わった葉っぱは何ですかと聞き、これはうまいと思った。
貿易部員として、8年間アジアを担当したが、幸いなことに食べ物で手がでないものは一つもなかった。というか中国人(韓国以外は
東南アジアも基本は華人系食事)が食うものに不味いものはないという思いは強まったし、今でもそう思っている。

1cmの葉っぱ1枚でもいい匂い(ボクにとって)が台所中に漂うほど独特かつ強烈なので、最初は家族に総スカンを食ったが、
一人でチキンラーメンや焼き飯、ヤキソバにも乗せて食べているうちに、家族も慣れてきて今や家族全員がおいしいと食べるようになった。
やはり独特のウマミがあるのだろう。そしてプランターの春の植え付けも相方がしてくれるようになった。

ある曲が流れてくると、子供の頃のある場面が浮かんでくるように、匂いも時々ある状況を思い出させる。

 家で匂いがするとスマトラ島のメダンからトバ湖へ向かう山中で、車が道に迷い、時分どきになってしまい、
路傍に一軒だけあった店で食べたホーコー鍋(火鍋)にたっぷり乗っていたシャンツアイを思い出したりする。

今では阪神間の殆どのスーパーで売っている香菜、日本人の何でも試してみて良かったら取り入れる能力は全然変わっていない。

今年も茂ったとさ。

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岡澤さんら舞奉納 八剱神社「乞巧奠」で       (長野日報)

2022年07月08日 | 諏訪便り

06:00, 7 July 2022

諏訪市小和田の八剱神社(宮坂清宮司)で6日、七夕の節句「乞巧奠(きっこうてん)」に合わせて、舞の奉納が行われた。

 全国各地の神社で和歌と舞を奉納するグループ「やまとおとめ」が中心となり、地域住民とともに「豊栄舞」などを披露。芸事が上達するように願いを込めて厳かに舞った。

宮坂宮司からしの笛を習う岡澤美奈子さん(54)=富士見町=が、3月に和歌を詠ずる披講の会で同グループ代表の伊藤久乃さん(55)=東京=と知り合ったのがきっかけ。

日本の伝統文化である和歌に加え、巫女舞を体験してみたいとの思いもあって実現した。

拝殿では巫女装束に身を包んだ4人が登場。雅楽の音色に合わせて、扇や鈴を使う「浦安の舞」のほか、全員で花飾りを手にして「豊栄舞」を奉納した。

神楽殿では、七夕にちなんだ和歌1首の披講もあった。4人の傍らには、七夕と梶の葉について記された諏訪神社最古の縁起書「諏訪大明神画詞」の解説文も並び、

参拝者が写真に収めていた。

伊藤さんは「神殿の奥まで声が響き、いい奉納になった」。岡澤さんは「めったにできない体験。すてきな機会を持てた」と話していた。

7日午後1時からは、和歌7首の披講を予定している。

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2016年01月01日 |本ブログ「 身辺あれこれ」に掲載

八剱神社(クリック)は阿智胡地亭の本貫の地の産土神(うぶすなかみ)です。つまり一族が先祖代々 暮らしてきた小和田地区の氏神さまです。

八剱神社は諏訪大社の摂社ですが、今年は諏訪大社は7年に一度の御柱祭の年に当たります。

八剣神社は諏訪市小和田(こわた)にあります。諏訪が豊臣軍に占領されていたとき、秀吉の命を受けて配下の武将「日根野高吉」が

諏訪湖の中にあった「高島」という島に城を築きました。その城が高島城です。八剣神社は高島の島内にあった島民の氏神ですが、

島民が高島から現在の小和田の地に移された時、神社もともに移設されました。 この立ち退きのとき、島民は日根野氏と巧みな交渉を行い、

諏訪湖全域の漁業権と、新たに広大な農地を獲得しました。我が家の先祖はこの半農半漁の島民の一人だと聞きます。八剣神社はまた、

古来より諏訪大社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖の冬の自然現象“御神渡”を検定し、諏訪大社に出来を報告する役割を担ってきました。

小和田に移った住民は、移住以来、藩主(日根野氏が他に移ったあと、諏訪氏が戻り、明治のはじめまで諏訪氏が殿様だった)の支配を受けず、

行政は住民の自治によって行われました。諏訪湖から湧く温泉を引いた共同浴場で、裸の住人たちが侃々諤々論議を戦わせ、祭の拠出金や

揉め事など自分たちで全てを決めていったそうです。

 私も小学生のころ、夏休みに諏訪に行ったとき、まだ使われていた大きな共同風呂にイトコたちと入った楽しい思い出があります。

八剱神社の由緒  Wikipediaから部分引用。
 当社は元々、諏訪湖中高島の里に鎮座していたが、豊臣秀吉の高島城築城に際し、現在地に遷座した。江戸時代には高島藩諏訪家が居城鎮護の神として崇敬し、
明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至る。
 諏訪湖御渡神事[編集]
当社の特殊神事として、御渡神事(みわたりしんじ)がある。「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、当社の神職によって行われる。(御神渡も参照のこと)
諏訪湖で御渡が観測されると、当社では臨時の総代会を開き、拝観式の日を決める。その後、宮司以下神職、および氏子総代は、自宅の門戸に注連縄を張り、
精進潔斎に入る。拝観式当日は、まず社殿で修祓を行い、諏訪湖へ向かう。現地では湖周を周り、一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観して下座と上座の
湖岸地点の検分を行なう。そして、社殿へ戻り、御渡の状況を祭神へ報告する「奉告祭」が行われる。引き続き、その状況により当年の農作物の作柄、
世の中の吉凶、気候等の年占が行われる。御渡の状況と年占の結果は「注進状」に纏められ、後日、宮司と氏子総代が諏訪大社上社へ出向いて「御渡注進式」を行い、
神前に捧げられる。これを受けて諏訪大社は、この内容を宮内庁と気象庁へ報告する恒例となっている。(かつては幕府に奉告されていた)
直近では2013年にこの神事が行われ、1月22日御渡を観測・臨時総代会、1月25日拝観式、2月17日注進式の日程で行われた。
なお、「奉告祭」と「注進式」は御渡の観測されない年でも行われ、「御渡は無かった」旨の報告がなされる。
特に、御渡の無かった年の諏訪湖は「明けの海」と呼ばれる。

 

上の写真は10年以上前、法事で諏訪へ帰ったときに写したものです。この神社には,
甲斐の武田軍団が諏訪を占領したときに武田兵が書いた落書きがそのまま残っています。
 

 

 

 

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20世紀の100年間に起きた巨大地震    11年前の今日 2011年7月8日の本ブログに掲載

2022年07月08日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

Notable earthquakes that occurred in the 20th century


世界各地でどのような規模の地震が起き、被害を出してきたかは、ある程度ニュースや映像で知っているかと思います。

しかしながら、地球規模の時系列のイメージというのは、なかなかイメージしにくいのではないでしょうか。

20世紀の100年間に、地球上で起こった地震をビジュアル化した、3分半の映像をご覧ください
マグニチュード8未満 = 3重丸
マグニチュード8~9 = 5重丸
マグニチュード9以上 = 9重丸

日本を含めた環太平洋の地震地帯に頻発しているのはもちろんのこと、それ以外の地域のどこに頻発しているのか、手に取るようにわかります。

20世紀の間に起きたM9を超える地震は、カムチャツカ地震 (1952年)、チリ地震(1960年)、アラスカ地震 (1964年)の3回。

21世紀に入って、スマトラ島沖地震 (2004年)と東日本大震災(2011年)ですでに2回と言うのは、
よく言われているプレートの動きが活発化したということを裏付けているのかもしれません。
(キャプションはwebから引用)

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耐震偽装を見逃して「建築確認」したとして 愛知県に名古屋地裁から賠償命令が出た        「耐震偽装見逃し」事件の最新記事      

2022年07月08日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年02月25日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

読売新聞web版の報道によると、
「元1級建築士・姉歯秀次受刑者(51)による耐震強度偽装事件で、強度不足で建て替えられた愛知県半田市のビジネスホテル「センターワンホテル半田」(中川三郎社長)が、

建築確認をした愛知県と、コンサルタント会社「総合経営研究所(総研)」(東京都)などを相手取り、ホテルの建設費や休業補償費など計約5億1600万円の支払いを求めた

訴訟の判決が24日、名古屋地裁であった。

 戸田久裁判長は「審査を担当した県建築主事は安全性を保つための注意義務を怠った」などとホテル側の主張を全面的に認め、県と総研側に計約5700万円の支払いを命じた。」

♪ブログを開始した2005年に「耐震偽装事件」が起こりました。このブログは結果として4年間、本事件を取り上げてきたことになりますが、終始「耐震偽装見逃し」事件と表記してきました。

 世間を欺く稀代の大悪人とテレビや新聞で報道され、11ヶ月の長期間、留置所に拘留された小嶋進さんの最初からの言い分、

「お役所が建築確認申請を真っ当に審査さえしてくれれば、こんなことにならなかった」が本質だと思ったからです。

小嶋進さんは既報の通り、口封じと言ってもいい長期拘留から釈放された後、「実刑ではなく猶予つきの」判決を受け控訴しています。

猶予つきの判決が出る頃には小嶋さんの利用価値は国側にはもう零に近かった。しかし彼と彼の家族の生活がこの事件で大きく狂ってしまった事実は変わりません。

 彼はお役人さまがお役人社会を守るため、お役所の職務放棄の実態から「くにたみ」の目をそらす「身代わり羊」にされたようなものですが、

彼がぶれないプリンシプル(スジを通すこと)をもって終始一貫、国と戦ってきたことが、今回の愛知県に対する賠償命令の判決につながったと思います。

日本はそれでも有り難いことにそれなりの法治国家であり、三権分立が機能していることを感じた判決でした。

 一家離散し、今はビルの清掃で口を糊していると聞く小嶋進さん、昨晩はどこかの居酒屋で一人ひそかに杯をあげたのでしょうね。

 直近の「耐震偽装見逃し」事件の記事はこちら

報道の詳細は;

<ホテル耐震偽装>勝訴の原告社長「事件乗り越え満足」
2月24日22時4分配信 毎日新聞

 姉歯秀次・元1級建築士による一連の耐震強度偽装問題では、各地の裁判所で、行政が建築確認審査で偽装を見過ごしたとして責任を追及されている。

行政側は「適法に審査した」「建築確認の項目に構造計算書の再計算は含まれない」などと反論しているが、判決はこうした行政の姿勢に疑問を投げかけた。

 耐震偽装で改修や休業を余儀なくされた愛知県大府市のホテルの運営会社(福井市)は08年8月、センターワンホテルと同様、愛知県を相手取って

約2億7000万円の損害賠償を求めて提訴。運営会社の古市恭也社長は今回の判決を「行政の責任が認められた意味は大きい」と評価する。

 マンションの明け渡しを余儀なくされた元住民らも判決に好意的だ。東京地裁で同様の訴訟を争う「グランドステージ(GS)千歳烏山」(東京都世田谷区)の

元住民で原告団長の西川智さん(38)は「非常にうれしい。建築確認の基準があいまいで、それを明確にすることが重要だ」と話す。

同じく同地裁に訴えた「GS溝の口」(川崎市)の元住民で原告の木村政和さん(45)は「これまで元1級建築士だけに責任を押しつけ、

他の関係者は責任逃れをしてきた。審査機関である自治体の過失を認定したという点で、私たちにとっても非常に明るい材料だ」と述べた。

 一方、総合経営研究所を相手取って、全国のホテル8軒と損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こしている岐阜県高山市のビジネスホテル

「カントリーホテル高山」のオーナー、垂井博美さん(71)は「行政の責任を認めた今回の判決を踏まえ、共闘を組んでいる仲間と協議し対策を考えたい」と話した。

【山田一晶、三木陽介、鈴木一生】

 ◇東京で提訴の原告「大きな意味ある」

 東京地裁で同様の訴訟を争う「(グランドステージ)GS千歳烏山」(東京都世田谷区)の元住民で原告団長の西川智さん(38)は「非常にうれしい。

建築確認の基準があいまいで、それを明確にすることが重要だ。今回の判決が東京の裁判にどのように有利に働くかは分からないが

審査する側の過失が認められたということは大きな意味がある。次の偽装を防ぐためにも良い方向に働くきっかけになると思う」と話す。

 同じく同地裁に訴えた「GS溝の口」(川崎市)の元住民で原告の木村政和さん(45)は「これまで元1級建築士の姉歯秀次受刑者だけに責任を押し付け、

他の関係者は責任逃れをしてきた。今回の判決は、審査機関である自治体の過失を認定したという点で、私たちにとって非常に明るい材料だ」と述べた。

【鈴木一生、三木陽介】

 
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7月07日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年07月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事

画像をクリックすると 記事の全文が掲載されているサイトに行きます。

 

 

 

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