♪この列島に住んでいる人がみなうすうす気が付いていることがある。それは「危ないかもと思ってもそれを口にすることを避けて、ただ日を過ごす」、
我々はそういう国民であることだ。そのことに触れた一文の紹介。
引用開始・・
日本人が民族的特性といっていいほど苦手にしているのが、最悪の事態を想定して、
それを避けるために何をしなければいけないかを考える「リスク管理」の思考法である。
英米のアングロサクソン系や北欧の人々は、「What' If~?(もし~だったらどうするのか?)」という仮定法による論理的な応答が、日常の会話にも頻繁に出てくる。
言語学的にも「このままだとこうなるから、そうならないためには」という議論をしやすい。
たとえばアメリカでは、オバマ政権が最重要課題に掲げた国民皆保険制度が大きな議論になった。
この制度で財政が破綻するというのは、0年も20年も先の話で今すぐではない。
それに天変地異のごとく驚かれたオバマプランでも、新保険が適用される人は10%も増えない。
それでも「What' If~?」の議論をして「今はこうしよう」と答えを共有していくのだ。
イギリスやドイツの財政赤字は日本に比べればはるかに「軽傷」だが、最優先順位で取り組んでいる。メルケル独首相など、
財政が正常でない国の偽りの景気刺激による成長は結局破滅への道! と喝破している。
G8(主要 カ国首脳会議)で両方が必要と言った菅直人首相とは思考の深さにかなりの違いがあった。
キャメロン英首相も厳しい予算に急遽切り替えて国民を説得し始めている。リーダーは最悪の事態にならないように舵を切るという、お手本を見た思いだ。
国民が受け入れるかどうかは未知数だが、国民の世論調査を見ながら発言を修正するのならロボットでも首相が務まる、ということだ。
原爆を落とされるまで戦争を止められなかったのが日本人の性だ。悲劇的な結末が見えていながら、なお「なんとか打開しよう」とは考えない。
日本人は、原爆のおかげで戦争が早く終結、多くの日本人の命も救われたというアメリカの言い分に頭から反発する。
だが「こうすれば原爆を落とされずに戦争を終わらせることができた」という日本人に、私は会ったことがない。
「What' If~?」は企業のマネジメントにとっても重要だ。最悪の事態を想定して、事が起きる前に直す。
企業の場合、事が起こってしまえば売却先さえも見つからずに全員が路頭に迷うことになる。事が起きる前に社員に危機感を持たせる。
最悪と言われる選択肢でも敢えて取る。それがいい経営者であり、リーダーの役割である。
JAL(日本航空)が破綻する前にやることはたくさんあった。社員数も給料も年金も3分の1にし、路線を4割カットしたのは破綻後。
今になって「前泊」をやめる、とかパイロットがタクシーで空港に向かう制度をやめた、と言っている。競争力なき組織構造に決定的な問題があるのに
、今さら全体をカンナで削ったところで、立ち直る可能性は極めて薄い。JALはもう一度潰れることになるだろう。それがわかっていながら、
失敗が誰の目にも明らかになるまで引っ張る。国交省も会長として乗り込んだ稲盛和夫さんも経営陣も国民もズルズルいってしまう。
世界の航空業界は一変している。血税を投入する前に、トップクラスのエキスパートを呼んできて診断させ、再生可能か、可能とすればどこをどう直すべきか、
調べてもらってからにすべきだ。天下の稲盛さんといえども航空業界は初めてだし、世界標準を社員からの「ご進講」で学んでいても判断を誤るだけだろう。
「What' If~?」の欠如は個人にもいえる。たとえば「国債」の問題。私がデフォルト(債務不履行)の危険性を何度警告しても、
「そんなことはないでしょう」と経済学者までもが言う。
暴落のリスクを承知しながらズルズルと乱発、消化し続けている。
そして暴落した後、皆できっと言うのだ。「ほら、言ったじゃないか」と。
なぜ日本人は「What' If~?」の思考法が不得手なのか。理由は2つ考えられる。1つは、1000年以上にわたり中国や欧米から文明を受け入れてきたため、
自分でゼロから考えなくても、どこかに存在しているはずの答えを見つけてくればいいことに慣れきってしまったこと。
日本人にとって答えは考えるものでなく、探すものなのだ。
もう一つは、日本特有の言霊(ことだま)信仰。悪いことはなるべく考えない。言ったら本当にそうなってしまいそうだから口にしない。
言霊に対する畏れが日本人のDNAに組み込まれていて、最悪の場合を考えることを避けて通るクセがついてしまったのではないか。
それを助長させたのが日本の教育だ。
「What' If~?」の思考法どころか、親にも先生にも上司にも楯突かない、質問もしないような従順な人材を画一的に大量生産してきたから、
考えればわかる理屈すら考えようとしない日本人ばかりになってしまった。
それがひたすら大衆迎合の日本の政治や、恥ずかしいほどの外交の弱さにつながっているように思える。
小渕恵三内閣の官房長官を務めた野中広務・元自民党幹事長の暴露で明らかになったように、
マスコミが広く官房機密費で汚染されており、政府にとって都合の悪いことは伝えなくなっている。
真実を伝えないマスコミにいいように操作されて怒りを持たなくなった漂流する大衆、
というのが今の日本の姿なのだ。
引用終わり
「大前研一の日本のカラクリ」から。 プレジデント 2010年8.2号
太字は阿智胡地亭による。
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