阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

神田川の川べりを歩いて「柳橋と両国橋」を渡ってJR両国駅まで歩きました。

2023年02月12日 | 東京あちこち

浅草橋の蔵前寄りにある由緒ある町中華の店で昼食をとったあと、方向的には反対側の京葉道路の終点である浅草橋交差点までぶらぶら歩きました。

浅草橋と柳橋の間の神田川にはいくつも船宿があり、屋形船が数多く係留されています。

 浅草橋

神田川はここから隅田川に入ります。

長らく横綱審議会の会場だった料亭「亀清楼」もコロナ禍の影響もあって休業になったままです。

「20年前に滅んだ花街「柳橋」 時代におもねらず、江戸の粋を最後まで貫いた誇り高き魂をもう一度」⇒こちら

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四国・琴平町にある金丸座の「こんぴら歌舞伎」で十二代目市川團十郎を観たのは10年前だった       10年前の今日2月12日の本ブログに掲載

2023年02月12日 | 音楽・絵画・映画・文芸

十二代目市川團十郎が亡くなってNHKが追悼番組を放送しました。「勧進帳」と「暫」という代表的な演目でした。日本の伝統芸の至宝を失ったと実感しました。

2003年の4月に琴平町にある金丸座で市川團十郎の舞台を観劇した時のブローシャーが残っていました。


第十九回:2003年:三十二回公演演目:『鳴神』、『奴道成寺』、『三人吉三巴白浪』

出演者:十二代目市川團十郎、五代目中村時蔵、十代目坂東三津五郎、六代目片岡芦燕など。












  下の資料は2002年の15代片岡仁左衛門公演のものです。
第十八回:2002年:三十二回公演

演目:『御存鈴ケ森』、『与話情浮名横櫛』、『義経千本桜』、『双面水照月』
出演者:片岡仁左衛門、五代目中村時蔵、二代目坂東吉弥、片岡孝太郎など。


江戸時代の芝居小屋を現在の場所に移設し、何度も大改修した金丸座は、ここで舞台を見ると、そうか昔は歌舞伎もこんな狭い小屋で

芝居をやっていたんだと原点を感じました。

2002年当時はまだ最後の大改修工事の前で、観客席の中に柱も立っていました。前から2番目の桟敷と言う特別な場所を配慮して頂き、

役者が舞台で煙草に火をつけたらその瞬間、香煙が私の鼻腔をくすぐるほどの近くでした。

『双面水照月』で時蔵の幽霊が、相方に「にたっ!」とくれた流し目に、彼女が怯えてびくっとしたのがわかりましたが、

そのヴィヴィドな反応がよほど面白かったのか、相方に何度も流し目がきて、その都度身体がフリーズしたそうです。

 いまだに時々思い出して「あの時は怖かった!!」と言っていますから、よほど印象に残ったのでしょう。

それほどの場所の桟敷を配慮して頂いた神原さん、松岡さん、あらためて御礼申し上げます。


多度津の神原薬業さんはこちら  

コメント (2)
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年月が経つと 会社というのは社名と建物は同じでも、あっという間に中身は別物になる

2023年02月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年11月15日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

♪ 最近も書いたが、物心ついた頃には家でとっていて40年間は読み続けた朝日新聞の宅配を断ってもう5年ほどなる。

報道機関に欠かせない使命感を放棄し、サラリーマン経営者と会社員記者の会社になってしまったと感じたからだ。

それは朝日新聞だけではなく本社在京・記者クラブ系の大新聞に共通している。

このエントリーを読んで、内部の社員も同じ悩みをかかえていることを知った。

 「朝日新聞記者の憂鬱」オレたちの仕事はなくなるのか 会社はどうなる   

 新聞が瀕死状態に陥っている。記者たちは自信を失い、読者は読みたい記事が載っていないと不満を募らせる。今、新聞に何が起きているのか。

[文:ジャーナリスト・井上久男]

新聞協会賞受賞に疑問の声
「特捜部不祥事特報 本社に新聞協会賞」

新聞協会賞を受賞した「証拠FD改竄報道」(9月21日付朝日紙面) 朝日新聞社の社内報「エー・ダッシュ」秋号(10月21日発行)の表紙に大きく掲げられた見出しだ。

「校了直前にビッグニュースが飛び込んできました(中略)。喜びつつ、大あわてでページを組み替えました」

 最終ページに掲載された社報編集長のコメントから、その喜びと興奮が伝わってくる。

 2期連続の赤字で苦しむ朝日新聞にとっては久しぶりの朗報であり、社内では受賞を聞いた役員クラスの編集幹部がはしゃぐ姿も目撃されている。

 「特捜部不祥事」とは周知の通り、障害者団体向け郵便割引制度が悪用された事件に絡み、大阪地検特捜部の前田恒彦検事が証拠のフロッピーディスク(FD)のデータを、

自らの捜査の見立てに合うように改竄した事件だ。厚生労働省局長だった村木厚子氏に無罪判決が出た直後、朝日新聞は2010年9月21日付朝刊1面トップで、

検察史に残るこの前代未聞の事件をスクープした。

 スクープしたのは、大阪本社社会グループに所属する30代半ばの記者だ。彼は'07年に栃木県の地方紙である下野新聞から朝日新聞に転職。下野時代の'05年にも、

栃木県警が知的障害者を誤認逮捕した問題をすっぱ抜いた敏腕記者で、'06年の日本新聞労連ジャーナリスト大賞にも選ばれている。

 一般的に朝日新聞記者の中には「エリート臭」を漂わせ、頭で記事を書くことが専らの人材も多いが、彼は地方紙時代からこつこつと「足で稼ぐ」タイプだったようだ。

 筆者は約13年間、朝日新聞記者として勤務し、6年前にフリージャーナリストに転じた。新聞記者の苦労も少しはわかっているつもりだ。

この若い記者も、おそらく早朝から深夜まで夜討ち朝駆け取材に努力し、その成果がスクープに結びついたのであろう。

その努力に対して文句をつける気持ちはまったくないし、素直に敬意を払う。

 だが、浮かれる上層部とは対照的に、朝日社内にはこの協会賞受賞を疑問視する声も少なからずある。単純な嫉妬などではない。

特ダネを書いた記者に嫉妬するのは、むしろ新聞記者として健全なライバル意識でもある。

 朝日の「村木氏逮捕」や「証拠FD改竄」報道から見えてくるのは、ジャーナリズムの根幹に触れるような問題だ。

そして、それはなにも朝日新聞だけに限った話ではない。多かれ少なかれ、どの新聞も、どの新聞記者も抱えている問題なのだ。

 現在、新聞が置かれている状況は極めて厳しい。業界全体の発行部数は'00年に5380万部ほどだったのが、昨年10月段階で約5035万部に減少。

特に'08年から'09年にかけて100万部以上も減らしている。

続きはこちら

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02月11日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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