阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

秋葉原のインドネシア料理の店「チンタジャワカフェ」で❝ナシゴレン❞などをおいしく味わった。

2023年02月06日 | 食べる飲む

昭和50年代に何度も出張で行ったインドネシアのジャカルタで食べた「ナシゴレン(やきめし)」はおいしかった。

インドネシア人が秋葉原でやっている「チンタジャワカフェ」clickはインドネシア人のシェフがインドネシアの材料で料理を出している。

 ランチタイムメニューの中から相方は「ナシゴレンプレート」をオーダー

私は「焼きビーフン」を食べた。   両方ともになかなかいい値段だと思ったがボリュームたっぷりさと味のレベルで納得のいく内容だった。

 インドネシア料理につきもののココナッツオイルやココナッツミルク味やパクチー風味が口の中に広がり、二人とも満足の完食だった。

飲み物は懐かしい「ビンタンビール」があったので喜んでオーダーした。最初のコクのあるスープからもスパイスの香りがたちのぼった。

インドネシアが世界最大の回教国であることはあまり知られていないが、当時普通の飲食店にはアルコール類はおいていなかった。

 ビンタンビールはホテルのレストランで飲むしかなかったが、元の宗主国オランダの影響かビンタンビールは旨かった。

 

店はインドネシア人の女性が平塚で開業し、そのご秋葉原店 横浜関内店 渋谷店 大宮店と広げているそうだ。

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昭和50年代の海外あちこち記       その11   グラスゴーとロンドン

2023年02月06日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1977年1月入国。

1)ある国際入札の準備のため グラスゴーのコンサルタント会社を訪ねてブラスゴーに行った時、日曜日に有名な大聖堂に行きました。

大きな聖堂でその長い回廊のところどころに、プレートが掲示されており、読むと「千六百年代の何月何日、

当地の伯爵家の長男デイビッド・マッカラム・ジュニア(例えばですが)がエジプト戦争に出征し、

勲功を挙げたが惜しくもカイロ近くのエジプト軍との激戦で戦死し、遺体はここに眠る」というような事が書かれてありました。

 こういう風にほかにも多くのプレートが掲示されていました。

墓地でなく人が踏んで歩く協会の廊下の下に埋葬したのか?と言う事と、イギリス人(彼はスコットランド人の支配階層の一員ですが)は

そんな時から、他国へ戦争に行って領土拡張に励んでいたんだとの二つのことを思いました。 

 後でキリスト教の死後の世界の認識を読んで、キリストが再生する時に、共に再生するため教会の中の祭壇に近いところに埋葬されることが、

信者の願いということを知ってそういう事かと思いました。

 にしても洋の東西を問わず、人間の考えたり、することは、そうは違いません。地獄の沙汰も金次第。死んで埋められる場所も身分と金で違ってくる。

ヨーロッパ各国の教会の地下墓地にミイラ化した遺体が沢山置かれているのも、その時々に上流にいた人達が死後の世界でなく永遠の命を願った証であるようです。 

 

 2)ロンドンの町は何度行ってもどんよりした曇り空、石炭の煤で薄汚れた家々が並んでいたという記憶しかありません。

煉瓦の舗道で街路樹も少なく殆ど街中には緑がなく、同じような造りの集合住宅が続きキレイな町並みだなあと思ったこともありません。


 こんなとこで暮らしたイギリス人は一度太陽のふりそそぐ外地(植民地)へ出たら、二度と帰って来ようとは思わないだろうなと思いました。

「小公女」だったかの小説で主人公のセーラが、両親がインドに駐留する軍人家族のため幼い時から学校の寄宿舎暮らしをしていたのを、

また寄宿舎の学生が殆どそういう境遇だったことを思い出しました。

 当時から沢山のイギリス人が軍人や官吏で植民地に出ていたのです。アフリカ、インド、アラビア半島、東南アジア、と相当古い時代から

ユーラシア大陸の日本の反対側の島国の住人達は寒くて貧しい土地を出て、陽光燦燦たる他人の土地へ渡って行ったけど、この環境ならそうだろうなと思いました。

 3) 学生時代の1961年頃に見た映画「土曜の夜と日曜の朝」というイギリス映画は、機械工場に勤める工員が主人公でした。

それまであまりイギリス映画に取り上げられなかった労働者階級の日常を題材にしたシャープな映画でした。出演者に美男美女は一人も出てきませんでした。

 彼の家は煉瓦造りの長屋で、居間の場面が写ると、いつも退職した父親が、カメラに背中を向けてテレビのサッカーの試合を見ていました。

居間の場面が出ると必ずいつも父親はサッカーの試合を見ていました。

いまサッカーが日本でもポピュラーになり、こんなスピーデイで面白いものだったのかと知りましたがメディアの解説の中に、

ボール一個あれば誰でも出来るサッカーは、イギリスでは中流以下の階層が熱狂的に愛好するスポーツになったとありました。フーリガンの出身階層とも。

 通りがかりでは表面の勝手な印象と先入観でしか、その町と住人を見る事は出来ませんが、都心を外れて下町を車で通ったり、

汽車の車窓から場末を見たりするロンドンは生まれた階層によってえらく差のきついところみたいだなあと思いました。

(2002年記)  [画像は出張当時のものではありません。全てネットから借用しました]

 
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フランスのあるメディアから見た「日本の司法問題」

2023年02月06日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年10月29日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

♪列島の外から日本列島にある日本という国を別の目で見ると、 こんな見方もあるという一つの例です。

受け取り方はこちらが決める話ですが、先方もミシェラン三ツ星のライバルがひしめく日本という国を、必死で理解しようとしているのかもしれません。

そしてフランス国内に対して他山の石とするよう警告の道具に使っているのかも。それにしてもなかなかシビヤーな日本国の現実把握ぶりに驚きました。

下段に掲載したYouTubeの字幕は以下の通り。

<女性キャスター>  日本の検察は先進諸国では最強の権力集団です。起訴権のほか、捜査権や逮捕権を持ち、捜査から起訴、公判を担当しています。

そして実質的には、刑確定後の刑務行政も管轄に置いているのです。

この検察の中にあり、政治案件を扱う集団がいわゆる特捜です。フランスや他の先進諸国では、捜査権と起訴権が分立しているのは偶然ではありません。

歴史的な発祥はほぼ偶然ではありましたが、これらの権力は「自由」を維持するため、意図的に分離されているのです。

では、自由とは何でしょうか。最低限いえることは、全ての恣意的な強制が不在であることが必要条件です。

フランス革命を経験した私たちにとっては当然なことですが、民主主義は単なるシステムです。達成する目的がなければ高コストで時間のかかる意味のないシステムです。

そして通常、先進諸国では、個人の自由を守るために捜査権と検察権が分離されているのです。

自由の歴史を振り返るとき、私たちは近代的自由のルーツをイギリスのマグナカルタ以前のヨーロッパに見い出すことはほとんどできません。

もともと自由の初期概念は、ギリシャ時代に発展しますが、その後、絶対主義の台頭により、風前の灯と化してしまいます。

フランス革命前、フランスの哲学者達はイギリスの自由に憧れます。なぜイギリスには自由があり、フランスにはないのか。

当時、この疑問を解くためにイギリスに旅立ったのがモンテスキューでした。そしてモンテスキューは、イギリスで自由を維持するための重要な原則を発見します。

それが権力の分立です。

モンテスキューとアメリカの建国者たちは、この権力の分立の原則を自由を守る機能として、世界初の成文憲法であるアメリカ憲法のなかで明文化します。

立憲主義は、権力の分立、制限された政府、そして個人の自由を意味したのです。

この動きはその後大陸に渡り、そしてわれわれは、フランス革命によって権力の分割を実現し、自由を享受する体制を創り上げてきました。

しかし、生死をかけて戦い、自由を勝ち取ってきた欧米諸国とは異なり、日本ではそもそも自由という言葉さえ19世紀後半まで存在しませんでした。

福沢諭吉がジョン・スチュワート・ミルの「自由論」を訳したとき、初めて自由という言葉を創ったのです。

 

 日本では、自由の概念が希薄なため、特捜への権力の集中がもたらすさまざまな弊害は「権利」という観点でしか議論されていません。

「自由」という目的がまったく抜け落ちていて、明確さを欠いているようです。また日本では、最近、任意に選出された民間人による検察審査会が、

被疑者を強制的に起訴できる制度が始まりました。

しかし、ここでも日本人は、市民が自分たちで「決定する自由」と、「個人の自由」を勘違いしているようです。

起訴判断が明らかな誤りでも、被疑者には決定の是非を問う権利さえなく、審査会の議事内容は非公開なのです。

まるで、フランス革命の人民裁判です。歴史的には、すべての人に同一の法を適用し、すべての法的特権に反対することによって、

民主主義と自由主義は緊密に結びつきました。

しかし、自由主義は、政府の機能や権力が制限されることに関心を持ち、民主主義は誰が政府を指導するかという問題に関心を持っています。

したがって、自由主義は、すべての権力が、たとえ多数派の権力でさえも、制限されることを要求しますが、民主主義は、

現在の多数派意見が政府権力の正当性の唯一の基準と見なすわけです。

 

 日本では、自由と民主主義の理解が混乱し、検察審査会も、それ自身をチェックする機能がなければ、

かえって国民の自由を脅かすシステムであることも理解されていないようです。

今日は、日本のこうした問題に迫るため、日本で弁護士として活動されてきたベルナード弁護士にお越しいただいております。

ベルナードさんは日本の検察とさまざまな局面で接触され、そのなかで欧米諸国とどのような違いや問題を経験されたのでしょうか。

<ベルナード> これは日本の内政問題ですが、実際問題、外国人が被疑者となるとき、もし同じことが本国で行われたとしたら、

重大な人権侵害となるであろう状態に頻繁に直面します。

このことはこれまでほとんどの日本人は気づいていませんでしたが、根が深く幅広い問題です。

問題のルーツは、法的枠組み、法曹界の構造、マスコミ、そして外圧の四つがあると考えています。

法的な枠組みから話しますと、日本の憲法では三権分立が謳われており、検察はわれわれと同じように、検察庁法により法務大臣の指揮監督を受ける、

一行政機関として位置づけられています。

しかし、この検察庁法や刑事訴訟法は同時に、検察が自ら捜査したり、警察の捜査を指揮する法的根拠を与えています。

われわれにとってはビックリですが、法律がそうなっているんです。

さらに驚くのは、検察は被疑者の身柄を最大22日間にわたって拘束し、弁護人の立会いなしに被疑者を取り調べることができます。

被疑者にはこれを拒む権利がありません。

 

 加えて、日本の検察は起訴便宜主義をとっているため、起訴するかしないかの判断は基本的に検察官に委ねられています。

このため検察官は尋問のさい、この判断を威嚇として使いながら証言を自分たちに有利にな方向へ誘導することが指摘されています。

これはとくに、本命の被疑者を有罪に持ち込むために、証人に対して行われています。

また実際、自白しないのなら家族を起訴するぞと脅したり、証人に対して、検察に有利な証言をすれば起訴しないなどと

脅迫めいたやり方で尋問が行われている問題が頻繁に報告されています。

なぜそのようなことが可能かというと、これは日本に独特のきわめて不公正と思われる慣習なのですが、日本の裁判では、

被疑者が公判で供述を翻して無実を訴えた場合、裁判官は通常、自白があるというだけで調書を信用するのです。

このため日本では起訴された99%以上が有罪になるという、われわれにとっては信じがたい「調書裁判」というのが行われています。

検察官の立場からは、自分たちに有利な調書を取ってしまえば、ほぼ有罪が確定するため、無理なことをしてでも、自白を取ろうとするわけです。

さらに日本では、否認し続けると保釈を認めないという「人質司法」という実務の運用がなされています。

このため、被告人としては長期間にわたって身柄を拘束されるという危険性を覚悟しなければ、無罪主張すらできないという状況にあるんです。

本当に信じがたいことですが・・・。

二つ目の問題は、日本の法曹界の根本的な問題です。検察は、法律上は、国家行政組織法の定めるところの法務省の「特別の機関」であり、法務省の傘下にある一組織です。

しかし、実際には、法務省の主要な部局は検察官が占めているため組織関係は逆転しているのです。

通常、日本の役所では事務方トップは事務次官ですが、法務省だけその上に最高検の次長、東京高検長、検事総長と、検察官が占める三つのランクがあるのです。

法務省は、検察官が仕切っている役所なのです。

 

 そしてさらに重大なことは、裁判所との癒着です。日本では、検判交流といって、一定期間、裁判官が検察官になったり、

検察官が裁判官になったりするなど、人的交流が行われており、これが癒着を生む温床となっています。

また日本の役所では、天下りは非常に重要なことですが、裁判官の退職後の天下り先は実は検察が世話をしているのです。

このほか何かにつけて検察の主流が資金を作って裁判官の面倒を見ているのです。

一方、日本の立法過程は役人に丸投げ状態で、国会は役人からあがってきた文章のチェック機関としてしか機能していません。

法務省の場合、民法、刑法、商法の基本法制の立法にかかわる法案作成に携わっていますので、少なくともこれらの法律に関するマターでは、

実務上、三権が検察に集中しているという信じがたい事実があります。日本における99%以上の有罪率もこれによって支えられているわけですね。

三つ目の問題は、これも闇の深い問題ですが、マスコミの問題です。日本には記者クラブがあり、政府の取材は通常、記者クラブが独占的に行っています。

記者クラブは、欧米諸国にあるプレスクラブのような交流を目的としたクラブとは異なり、非常に排他的な組織で、

大手メディア以外のフリーの記者などは基本的に入会できません。

日本のメディアにはこの既得権のために、競争原理が働かず、大手メディアは政府の事実上の宣伝部門と化しています。

日本のメディアが政策論を報道せず、政局を面白おかしく報道しているのはこのためです。

 

 司法記者クラブの場合この問題はさらに深刻です。日本の新聞が最も恐れるのは特落ちといって、他社が報道している特ダネを自社だけ逃すことです。

これは記者や編集部にとって死活問題です。

検察はこれをよく知っていて、自分たちが伝えたい通りにマスコミが伝えないときや、自分たちに不利な状況が流れると、

情報をわざとそのメディアの記者に伝えなかったりするなどのいやがらせを行い、メディア全体をコントロールしているのです。

最近では、検察に批判的な非常に人気の高かった政治番組「サンデープロジェクト」という番組が、検察から嫌がらせを受けた親会社・朝日新聞からの圧力によって、

終了に追い込まれるといったこともありました。

検察はメディアから守られるなか、被疑者を起訴する前に一方的に被疑者に不利な情報を流し続け、全国ネットを使って悪者のイメージを作り上げます。

これはほんとうにひどい人権問題です。推定無罪という民主主義の原則は全く無視なのです。

メディアは情報源を語りませんので、被疑者は言葉の暴力を受け続けるほかないのです。

メディアは本来の権力をチェックする役割を果たしていないということですね。

 メディアは戦前の反省をしたはずだったのに、戦後も全く変わっていないのが実情です。

本来であれば、メディアと一体になった裁判前の社会的抹殺が横行するのであれば、民衆にとっては「バスチーユ監獄襲撃」だけが

残された最後の手段だと言えそうですが、どういうわけか日本人は全く気づいていないようです。

 

もう一つ、メディアが悪いのは、一行政機能である検察や特捜に対して、司法としてのイメージを作り上げ、

本来、国会やメディアからチェックを受けるべきものを、タブーとして世論を操作していることです。

 行政機能である以上、政治的であることは排除できません。こんな当たり前のことが日本では通らず、検察や特捜は正義の執行者として祭り上げられているのです。

最後の4つ目の問題は、アメリカからの外圧です。これはあまりにも大きな驚きですが、日本は独立国であるにもかかわらず、

その司法機関や検察がアメリカからの非常に大きな影響下にあるのです。

もともと特捜は、GHQが日本軍の隠し資産を探し出すために組織した部署です。GHQは戦前に検察が持っていた捜査権を取り上げようと考えていたのですが

米国が日本をコントロールするのに都合がいい組織であることが分かり、残しておいたのです。

 以降、アメリカとの関係は密接で、現在でも出世組は一等書記官として必ずアメリカに外交官として駐在し、この間さまざまな関係を深めています。

アメリカに黙って中国との国交正常化を行った田中角栄や、第7艦隊以外不要論や米軍基地削減を唱えた小沢一郎は、

アメリカの指示といわれる特捜の捜査によって政治生命が絶たれているのです。

圧力は検察だけではありません。なんと裁判にも及んでいるのです。たとえば、有名な砂川事件では、駐日大使が最高裁の判事と面会し、

指示したことがアメリカで開示された公文書で明らかになっています。

日本ではほとんど報道されませんが、こうした公文書がアメリカでどんどん開示されているのです。

アメリ カはたとえば、女子大学で政治学を排除し、できるだけこうした問題に興味を持たなくするよう仕向けたり、検察を通してメディアをコントロールし、

国民がその存在を気づかないよう仕向けるなど、非常に幅広い情報戦を行っています。

<女性キャスター> 権力が分轄され、自由があるフランスと私たちの先人にもっと感謝しなければならないですね。



永田町異聞」の新恭(あらたきょう)さんはこう言っています。

「日本のテレビに、これだけ真っ当な発言ができるキャスターや識者が登場しないのは何故なのか。それは、メディアの「志」の低さもさることながら、

情報を受け取るわれわれ国民自身が「自由」と「民主主義」に対して、日ごろ考えをめぐらすこともなく、未成熟だからではないのか。

そんなことを感じさせてくれる内容になっている。

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02月05日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年02月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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