阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

童画家 武井武雄 著 「日本郷土菓子図譜  懐かしいお菓子」は楽しくて面白い凄い絵本だ。

2024年01月09日 | 音楽・絵画・映画・文芸

webから引用:武井武雄が遺した幻のお菓子画帳『日本郷土菓子図譜』。本書は図譜に掲載された全169点の郷土菓子を一挙公開。

水彩スケッチで描かれたお菓子たちは、まさに"世界一おいしそうな絵”です。巻末には現在でも買うことのできるお菓子情報を掲載。

武井の愛した郷土菓子たちを目と口で味わってみてはいかがでしょうか。

過去のブログよりclick←

店を出ると時雨店の斜め前の下里薬局の主人である中学同級の野村君が車で待っていてくれました。そして近鉄四日市駅まで送ってくれました。

奥さんが走って買いに行っていってくれた「太白永餅」のおいしかったこと。帰ってみんなで食べましたが洗練された旨さにびっくりです。

野村さんご夫妻ありがとうございました。




 

武井武雄さんは旧制諏訪中学で母方の伯父、伊藤良一と同級生だった。

当時諏訪郡玉川村の母の実家に中学生の武井さんは遊びに来られたことがあると聞いたことがある。

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【能登半島地震、羽田航空機事故、年始の“予期せぬ出来事”に、マスコミはどう対応したか?】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#300

2024年01月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【能登半島地震、羽田航空機事故、年始の“予期せぬ出来事”に、マスコミはどう対応したか?】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#300

1/5(金) 緊急プレミア配信(尾形×望月)【郷原信郎さん/能登半島地震、鈍すぎ、気持ちもない岸田首相/東京地検特捜部の無理筋とメディアの責任/石川県で94人死亡の悲しみ、3万人超が避難の苦境】

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01月08日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年01月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった年の [ 2011年12月08日(木)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年01月09日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2011年12月08日(木)
 
12月8日 帝国陸海軍は今八日未明米英軍と戦闘状態に入れり
 
「 臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。

大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。

帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と

戦闘状態に入れり」

一九四一年一二月八日 NHKの臨時ニュースから引用。

デーリー東北新聞社【今日の<天鐘>】 (2011年12月8日)

 70年前のきょう12月8日は真珠湾攻撃の日。この日から日本は太平洋戦争の泥沼に突入、3年8カ月の間、尊い国民の命と国力を消耗させた。開戦を避けられたなら日本はどうなっていただろうか

▼半藤一利著『聯合艦隊司令長官山本五十六』(文藝春秋)は、米英との戦争を最後まで回避しようとした山本五十六の姿を描く。三国同盟も南方作戦も対米戦争を招くと反対した。駐米武官の経験があり、相手の国力を知ればこそ、対決は避けたかった

▼だが、石油全面禁輸を受け、政府・統帥部は開戦へかじを切る。戦わざるを得ないなら、一気にケリをつけて早く講和を結ぶ。それが山本の考えだった。だが、無謀な開戦だったことはその後の歴史が証明している

▼半藤さんは山本びいきの作家で昭和史の著作も多い。文藝春秋7月号『戦艦大和と福島原発』での指摘が鋭い。「日本人は危機に際し、起きて困ることは起こらないことにする悪癖がある」

戦争も原発事故も「エリート集団による情報の遮断と独占」の構図が似通う。開戦を留める声を封じ、局地戦の敗北も国民には真実を伏せた。
 
一方、原子力政策は、科学が政治に敗北して生まれた虚像だったかもしれない。少数意見を尊重せず、安全神話を増幅したその先で事故は起きた。

「人間は歴史からは何も学ばない、ということが最大の歴史の教訓」と半藤さん。のど元過ぎれば熱さを忘れる日本人のままではこの先も危うい。
 
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20111208 フクシマと重なる 大阪空襲訴訟
 
スーパーニュースアンカーより。太平洋戦争の開戦から明日で70年を迎える。空襲で被害を受けた市民が国に謝罪と損害賠償を求めた大阪空襲訴訟の判決が大阪地裁で言い渡され、原告の訴えは全てしりぞけられた。訴えたのは空襲の被害者23人で、これまで補償を受けている軍人、軍属、原爆被爆者などと同様に国は補償などの救済措置を行うべきだと主張。番組ゲストには訴訟を支える会代表のジャーナリスト、そして原告の3人が出席し、思いを語った。戦争末期、大阪の街は50回以上の空襲にあい、およそ1万5000人の市民が犠牲になったと言われる。この裁判によって初めて明らかにされた事実がある。それは1937年に制定され、空襲への対応を定めた「防空法」だ。この法律により国民(働ける市民)が都市から退去することを禁じ、違反者には6ヶ月以下の懲役または500円以下の罰金が課された。当時、教員の初任給が55円という時代だ。戦時中の政府発行の防空マニュアルによると、全国民が国土防衛の戦士であるとされ、空襲は怖くないという心構えや火たたき棒による焼夷弾の消火法が詳細に記されていた。しかし米軍の焼夷弾はゼリー状のガソリンをまき散らし850度以上の高温になるもので、火たたき棒はまったく役に立たなかった。それでも国民には逃げずに消火活動をすることを義務づけられていた。(逃げると罰金500円)。支える会会長は、この防空法によって被害が拡大したもので、国による人災であると指摘。今、これと似ている風景が、除染作業を住民に強制し、断ると村八分にされる福島県で見受けられる。(こちらから一部引用)

20111208 フクシマと重なる 大阪空襲訴訟 投稿者 PMG5
 
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戦争に翻弄された日系人 ハワイ島の2世に聞く
 
戦争に翻弄された日系人 ハワイ島の2世に聞く 真珠湾攻撃から8日で70年
2011年12月7日 02:00 西日本新聞朝刊

 真珠湾攻撃(1941年12月8日)から、あすで70年。九州からの移民も多いハワイの日系人たちも、太平洋戦争に翻弄(ほんろう)された。かつて日本人街として栄えたハワイ島東部の都市ヒロには、県出身者も多い。戦争を体験した日系人たちに話を聞いた。

 日系2世の堤弘実さん(89)の父親は、15年に新天地を求めて久留米市から移民した1世だ。

 「よく晴れた暑い日曜日だった」。堤さんは、勤務先の自動車販売会社のラジオから流れるニュースで真珠湾攻撃を知った。「日本が攻めて来るなんて。私たちはどうなるのか」

 開戦で日系人はさまざまな制約を受けた。夜間外出や車の運転の禁止。1世の指導者たちの拘束。日本語も敵国語とみなされ話せなかった。スパイ容疑をかけられないように、「日の丸や天皇陛下の写真など、日本に関するものは土に埋めたり、焼いたりした」という。2世たちは米国で生まれ育ったアメリカ人なのに、母国では「敵性外国人」とみなされた。

 真珠湾攻撃から1年半後、堤さんは米国への忠誠心を示そうと米軍に志願した。「米国人として祖国のために一生懸命働いてこい。それが大和魂だ」と言って、父は送り出してくれた。しかし「親は敵国人、自分は米国市民で板挟みだった」と当時を振り返る。

 入隊後、米国本土で日本語の訓練を受け、日系2世を中心とした軍事情報機関「MIS」に配属された。毎日ラジオから流れる日本語を訳したり、暗号解読をしたりしていた。最高機密だったため、戦後も一切その時の内容について口にしていない。

 筑前町出身の父親を持つ、県人会会長を務めた2世の高崎春雄さん(85)は、終戦後米軍に入隊。進駐軍として通訳も兼ね東京に赴任した。巣鴨刑務所(東京)に行く途中、焼け野原となった日本の姿に言葉を無くした。自分が捨てたサンドイッチの食べ残しを奪い合う子どもたちを見て、「これが両親の祖国なのか」。涙が止まらなかったという。

 終戦から66年。自らのルーツを意識した戦中・戦後の悲惨な体験は、今も彼らの心に深く刻まれている。あの苦しい日々を思い出しながら、子どもや孫たちには、二度と同じ体験をさせてはいけないと誓っている。
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「真珠湾」から言葉のごまかしは始まっている。
 
☆ハーバーはヨットハーバーのように使われていて、英語で「パールハーバー Pearl Harbor」を通常に訳せば、「真珠港」になる。当時の大本営は「真珠港攻撃」という表現では、戦果を誇ることが出来ないと思ったのだろう、新聞が使った「真珠湾攻撃」という「真珠港攻撃」の言い換えを使うようになり、広い地域の攻撃のイメージを当時の国民に持つように仕向けた。事実を事実として伝えなくても、国民には自分たち上の者の都合のいいように変えて伝えてもいいと言う、官僚の誤魔化しと傲慢さは今も続く。

♪ 下の地図を拡大・縮小してみると「Pearl Harbor」の実際の範囲がわかります。
powered by 地図Z
1941年10月のパールハーバー。Wiki.から引用。
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真珠湾攻撃の米紙の号外
WAR! (Associated Press by Transpacific Telephone)
SAN FRANCISCO,Dec.7.-President Roosevelt
announced this morning that Japanese planes
had attacked Manila and Pearl Harbor.

OAHU BOMBED BY
JAPANESE PLANES
SIX KNOWN DEAD, 21 INJURED, AT EMERGENCY HOSPITAL
Attack Made On Island's Defence Areas

By UNITED PRESS

WASHINGTON,Dec.7.-Text of White House announcement detailling the attack on the Hawaiian island is:
"The Japanese attacked Pearl Harbor from the air and all naval and military activities on the island of Oahu,principal American base in the Hawaiian islands."

真珠湾攻撃70年 ハワイで式典
12月8日 6時31分 NHKニュース

旧日本軍による真珠湾攻撃から70年に当たる7日、ハワイで式典が行われ、攻撃に応戦した元アメリカ兵らが参加して、犠牲者を追悼しました。

真珠湾をのぞむ公園で開かれた追悼式典には、真珠湾攻撃で生き残ったアメリカ軍の元兵士をはじめ、犠牲者の家族や軍関係者ら、およそ3000人が参加し、真珠湾攻撃が始まった7日午前7時55分(日本時間の8日午前2時55分)に合わせて黙とうし、攻撃で死亡した2300人余りを悼みました。このあと、アメリカ太平洋艦隊のパトリック・ウォルシュ司令官が、「戦争のあと、日本との関係は深まり、ことしの震災では、自衛隊とアメリカ軍は共に被災者らの支援に当たって、友とは何かを示した」と述べ、かつて敵だった日本と、今では深い同盟関係が構築されているとあいさつしました。

このあと、当時、真珠湾にあった艦船や部隊の名前が呼ばれ、所属していた元兵士が立ち上がると、参加した人たちから大きな拍手を受けていました。真珠湾攻撃で戦艦に勤務していて、けがをした、元兵士のフレッド・スミスさんは、「亡くなった友のことは今でも思い出すが、年月がたち、もう日本人のことを悪くは思っていない。世界経済を支えるうえでも、日本とアメリカが協力していく必要がある」と話しました。
 
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野村、来栖両大使、国民に説く大阪毎日新聞 1942.11.26>
野村、来栖両大使、国民に説く

生やさしい相手ではない"戦勝"へ全力を集中せよ!

一億憤激の日・あす満一周年 我が主張無視・米国から"果し状"

一部引用

米の産業動員徹底 野村大使と一問一答

問 開戦前夜の米国の警戒ぶりはどんなものでしたか、米国ではわが方の真珠湾攻撃が入神の技とでもいうべく、あまりにもあざやかであったので、くやしまぎれと敵愾心をそそるため「真珠湾を想起せよ」等の標語を作って如何にも寝首をかかれた如く宣伝しているが…

答 実は米国はあの十二月八日以前からすでに日米開戦を予想して十分警戒していたのだ、そもそも十一月二十六日にわが方に手交した果し状ともいうべき米国の最後通牒は支那から全面的に撤兵せよとか、汪政権を否認せよとか、わが方の根本主義を全く無視したものである、あれほどの無法な要求を出す以上米国としても戦争はことによると避くべからずと観念していたのである、

それだからあの最後通牒をわが方に手交するや否や直ちに中央から出先の各軍司令官に対し「日米開戦あるやも知れず日本の攻撃を十分警戒すべし」との意味の指令を発しているのである、そのことはその後米国で発表された公文書ならびにいろいろの政府の発表文にも明瞭にのっている、それだから寝首をかかれた等とはいえない道理であるがわが方の攻撃が神技にもひとしかったので政府の立場と出先軍当局の失態をつくろい、国民を欺瞞するため最初のうちは寝首をかかれたというていたにすぎない、それは要するに敵の油断である、

油断をかくすための造り言葉にすぎない、油断とうえば敵は本当に油断をしていたのだ、石油の対日供給を絶てば日本は米国に戦争をしかけて来るかも知れぬ、ところが実際油の対日輸出を絶った場合でさえ日本はおとなしくしていたではないか、日本くみし易し、日本は数年間の支那事変で精も根も尽き果てたのだ、米国が如何なる強硬な主張や要求を出しても日本は世界最強のわが米国に対してはどうすることも出来るものか、

と国民の大部分はタカをくくっていたのだ、それなればこそ中央から警戒の指令があっても出先長官はこれを真面目に受けつけなかったものと思う 。

記事全文はこちら
 
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八ッ場ダム 国交省近く判断へ 関東軍の進撃
 
12月8日 4時2分 NHKニュース

国土交通省は、建設が中断している群馬県の八ッ場ダムについて、有識者会議が、建設継続は妥当とした判断は適切に検証されたとする見解を示したことなどを受け、近く、建設を継続するかどうか、最終的な判断をする方針です。

建設が中断している群馬県の八ッ場ダムの、今後の対応方針について、国土交通省の関東地方整備局は、コストや効果などを比較・検証した結果として、先月「建設を継続するのが妥当」とする案をまとめました。国土交通省は、有識者会議で、この案が適切に検証されたかについて、さらに検討した結果、有識者会議は、検証方法は適切だったとする見解を示すとともに、想定を超える大規模な地震などの大災害にも十分に備えるべきだと指摘しました。

 これについて、前田国土交通大臣は7日夜、「これまでの検討や検証結果を踏まえて、責任を持って結論を出していく」と述べ、近く、建設を継続するかどうか最終的な判断をする考えを、改めて示しました。

 ただ、八ッ場ダムの今後の対応方針を巡っては、民主党内でも検討が行われており、今後、政府との間で最終調整が進められることになりそうです。

☆国土交通省の関東地方整備局が戦前の軍部の関東軍に重なってくる。

自分たちの組織を継続させるために、役所の一出先機関があれこれ画策を続ける姿は、戦後長く続く土建国家日本の別の姿でもある。
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福井県の美浜原発2号機 がトラブルで停止
 
12月8日 4時31分 NHKニュース

福井県にある美浜原子力発電所2号機で、原子炉などの圧力を保つ設備の一部から放射性物質を含む水が内部で漏れ続けるトラブルが見つかり、関西電力は、8日午前4時に、原子炉を手動で停止しました。美浜原発2号機の停止で、全国の原発の85%が止まっていることになります。

美浜原発2号機では、先月上旬以降、原子炉などの圧力を保つ「加圧器」という設備の弁から水が漏れて、回収用のタンクに流れ込んでいて、タンクの処理能力を超えるおそれがあるため、関西電力は、7日午後8時から、原子炉を手動で止める作業を始めました。そして、原子炉は8日午前4時に停止したということです。

関西電力によりますと、漏れた水は放射性物質を含んでいるものの、すべて内部のタンクに回収され、このトラブルによる外部への影響はないということです。美浜原発2号機は、冬場の電力供給のため、法律で定められた期間ぎりぎりまで運転を続け、今月18日に定期検査に入る計画でしたが、10日ほど早く止めました。関西電力は、さらに1基が止まったあとの今月19日から、企業や家庭に対し、去年の冬より10%以上節電するよう要請することにしています。美浜原発2号機の停止で、全国では54基ある原発のうち、85%に当たる46基が止まっていることになります。
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杉並区の住民集会で「放射線測定」の説明会があった。
 
【動画】小豆川氏(東大)の講演がとても分かりやすい!杉並あんしんプロジェクト主催学習会『放射線測定について、とことん知ろう〜食品から町の測定まで〜』

上の動画は11月26日に「杉並あんしんプロジェクト」さんが開催した学習会【自己防御のためにできることを考える vol.『放射線測定について、とことん知ろう〜食品から町の測定まで〜』】の様子を、Ustream配信されたものです。講師に、東京大学 環境分析化学研究室(松尾研究室) 助教 小豆川勝見氏(東日本大震災以降、東京大学アイソトープ総合センターにて被災地ほかからの多くの試料における放射性物質の測定に従事)が招かれ講演が行なわれました。
▶杉並あんしんプロジェクト
小豆川氏の講演はとても分かりやすいです!放射性物質やゲルマニウム半導体検出器について等、多くの方が疑問に思っていることを分かりやすく解説してくださっています。
茨城県守谷市の保育園で土壌からセシウム合計で45万ベクレル/kgを検出したことや、校庭で舞い上がった砂埃に測定器を向けたところ高い値がでたことなど、具体的な事例も含めて、優しく解説されています。とにかく分かりやすいです。後半の質疑応答まで全て必見です
 
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