諏訪神社を出た後 1945年3月10日の米空軍B29爆撃機による東京下町焼夷弾絨毯爆撃で10万人の民間人が2時間のうちに焼き殺ろされたとき
click当時15歳の半藤一利さんがこの橋から旧中川に飛び込んだ「平井橋」を通って 小村井まで歩いて東武電鉄亀戸線小村井駅から亀戸に出た。
墨田区文花の小村井辺り
諏訪神社にお参りするたびに 信州諏訪大社の氏子だった家のルーツの身が、
鎌倉時代に諏訪から勧請され以来、土地で長く尊崇されている諏訪神社がある三重県四日市で生まれ、
おそらく終の棲家になるだろう19回目最後の引っ越し地にも 江戸時代に勧請された諏訪神社が鎮座されているのは
「偶然の一致」とは言え個人的物語としては面白く感じる。我ながらくどいなといつも思いながら・・・
1945年3月11日朝、日旧中川には2800を超える焼死体溺死体が浮かんだ。総務省サイトclick⇒江戸川区における戦災の状況(東京都)
歩行数 7761歩 歩行距離 4.9㎞