阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

今年も3月9日から15日まで上野の東京都美術館で「日中合同水墨画展」が開かれます。

2024年03月06日 | 音楽・絵画・映画・文芸

友人の「長谷川和弘」さんの昨年の無審査作品。「真柏1600年の時」

昨年のアップ画像から・・

 

この合同展は今年が最後だそうです。今回も出展される長谷川さんも愛媛県から上京されるとお知らせ頂いたSさんありがとうございました。

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添田唖蝉坊:あきらめ節:金々節 土取利行(唄・演奏)& 小沢昭一

2024年03月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

添田唖蝉坊:あきらめ節:土取利行(唄・演奏)

金々節  唄 小沢昭一

添田唖蝉坊・金々節 / 土取利行(唄・演奏)

添田唖蝉坊(あぜんぼう)

ことばの旅人 ア、ノンキだね 添田唖蝉坊  心くみとる路傍の演歌師  〔朝日新聞2005・1.29〕

これほどノンキに生きた、いや、ノンキをまとい続けた人はいないのではないか。

 「汽車賃と弁当代だけ持ち、旅に出て何日も帰って来ない。私服の刑事がいつもついてね。家族からは疎まれもしたけれど、自由気ままなおじさんが大好きでしたよ」。

添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)のめいで横浜市で飲食店を営む添田ひささん(90)は柔和な笑顔を浮かべた。

 唖蝉坊は明治から大正時代、主に街頭で歌った、今でいうストリートミュージシャンだ。明治5(1872)年、神奈川県大磯の農家の次男に生まれる。

横須賀で軍艦のサビ取りなどの日雇い仕事をしていた18歳の時、偶然聴いた壮士演歌が運命を変えた。

 日本が近代国家へと歩み始めた当時、民権論を唱える血気盛んな壮士は、藩閥政治に抗して演説会を開く。官憲がそれを弾圧する。

窮余の一策として歌い始めたのが演説の歌、つまり演歌だ。ざら紙に歌詞を印刷した歌本を1銭か2銭で売り、生活の糧にした。

メディアが発達していない時代、演歌師は「歌うジャーナリスト」でもあった。

<驚きは興奮に変わった……壮士節の奴めは、ずるずると私をひきずっていった>と、後の自伝で語る唖蝉坊、まもなく街頭でひとり、演歌を始める。

 72歳の生涯を終えるまで200近い曲を残したとされる。民衆の抵抗詩人は金権政治や日清・日ロの戦勝におごる世相を風刺し、その姿勢は異彩を放った。

ストライキ節、ラッパ節、マックロ節などの歌本が飛ぶように売れた。そして大正7(1918)年に一世を風靡(ふうび)したのがノンキ節だ。

♪膨張する膨張する国力が膨張する 資本家の横暴が膨張する

 おれの嬶(かか)ァのお腹(なか)が膨張する いよいよ貧乏が膨張する 

ア、ノンキだね

 この年、米騒動が起き、インフレで物価は高騰。デモクラシーが広がっていく。調子のいい民謡風の曲調が受け、ノンキだね、は流行語になったという。

 自身が作詞したノンキ節をLPに収めたフォーク歌手のなぎら健壱さん(52)は、「これは隠喩(いんゆ)ですから。ノンキでいられないと逆説的に言ってるんです。

官憲につかまっても、不条理から目をそらさず本音を歌った本物の人間です」。16歳で敗戦を迎えた音楽史研究家の小島美子さん(75)はこう評する。

「ノンキ節の歌魂は、戦争への道を開く空気を感じる現代にも通じる」  -  後  略  -

 
 

明治5年11月25日(1872年11月25日)
神奈川県大磯町生まれ。
昭和19年(1944年)2月8日没

「ああ金の世」-明治39年作詞・作曲・歌
 

ああ金の世や金の世や。地獄の沙汰も金次第。
   笑うも金よ、泣くも金。一も二も金、三も金。
親子の中を割くも金。夫婦の縁を切るも金。
   強欲非道と譏(そし)ろうが、我利我利亡者と譏ろうが、
痛くも痒くもあるものか、金になりさえすればよい。
   人の難儀や迷惑に、遠慮していちゃ身がたたぬ。

ああ金の世や金の世や。希望(ねがい)は聖(きよ)き労働の
   我に手足はありながら、見えぬくさりに繋がれて、
朝から晩まで絶間なく、こき使われて疲れ果て
   人生(ひと)の味よむ暇もない。これが自由の動物か。

ああ金の世や金の世や。牛馬に生れて来たならば、
   あたら頭を下げずとも、いらぬお世辞を言わずとも
済むであろうに、人間と 生れた因果の人力車夫(くるまひき)。
   やぶれ堤灯股にして、ふるいおののくいぢらしさ。

ああ金の世や金の世や。蝋色塗の自動車に
   乗るは妾か本妻か。何の因果ぞ機織りは、
日本に生れて支那の米。綾や錦は織り出せど、
   残らず彼等に奪われて、ボロを着るさえままならぬ。

ああ金の世や金の世や。毒煙燃ゆる工場の、
   危うき機械の下に立ち、命を賭けて働いて、
くやしや鬼に鞭うたれ、泣く泣く求むる糧の料(しろ)。
   顔蒼ざめて目はくぼみ、手は皆ただれ足腐り、
病むもなかなか休まれず。聞けよ人々、一ふしを。
   現代の工女が女なら、下女やお三はお姫さま。

ああ金の世や金の世や。物価は高くも月給は
   安い。弁当腰に下げ、ボロの洋服破れ靴。
気のない顔でポクポクと、お役所通いも苦しかろう。
   苦しかろうがつらかろうが、つとめにゃ妻子の(あご)が干る。

ああ金の世や金の世や。貧という字のあるかぎり、
   浜の真砂と五右衛門は、尽きても尽きぬ泥棒を
押さえる役目も貧ゆえと、思えばあわれ、雪の夜も、
   外套一重に身を包み、寒さに凍るサーベルの、
つかのま眠る時もなく、軒端の犬を友の身の、
   家には妻の独り寝る、煎餅布団も寒かろう。

ああ金の世や金の世や。牢獄(ろうや)の中のとがにんは、
   食うにも着るにも眠るにも、世話も苦労もない身体。
牛や豚さえ小屋がある。月に百両の手当をば、
   受ける犬さえあるものを。「サガッチャコワイ」よ神の子が、
掃溜などをかきまわし、橋の袂(たもと)や軒の下、
   石を枕に菰(こも)の夜具、餓えて凍えて行路病者(ゆきだおれ)。

ああ金の世や金の世や。この寒空にこの薄着。
   こらえきれない空腹も、なまじ命のあるからと、
思い切っては見たものの、年取る親や病める妻、
   餓えて泣く児にすがられて、死ぬにも死なれぬ切なさよ。

ああ金の世や金の世や。神に仏に手を合わせ、
   おみくじなんぞを当てにして、いつまで運の空頼み。
血の汗油を皆吸われ、頭はられてドヤサレて、
   これも不運と泣き寝入り、人のよいにも程がある。

ああ金の世や金の世や。憐れな民を救うべき、
   尊き教えの田にさえも、我儘勝手の水を引く。
これも何ゆえお金ゆえ、ああ浅ましき金の世や。
   長兵衛宗五郎どこにいる。大塩マルクスどこにいる。

ああ金の世や金の世や。互いに血眼皿眼(ちまなこさらまなこ)。
   食い合い奪(と)りあいむしり合い、敗けりゃ乞食か泥棒か、
のたれ死ぬか、土左衛門、鉄道往生、首くくり。
   死ぬより外に道はない。ああ金の世や金の世や。

他にもこちらに歌があります。

唖蝉坊の足跡はこちらにも、あります。

 
 

 

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歌手の仲宗根美樹さんが亡くなった。 「川は流れる」

2024年03月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事
この歌は昭和36年9月に発表され 当時毎日のようにテレビやラジオで流れた。高校を卒業した年の自分も大好きになりよく合わせて口ずさんだものだ。
 仲宗根美樹さん いい歌を歌ってくれてありがとう。ご冥福を祈ります。
 
仲宗根美樹/川は流れる
 
2024年02月29日 11時55分
 
 ヒット曲「川は流れる」で知られる歌手の仲宗根美樹(なかそね・みき、本名国場勝子=くにば・かつこ)さんが24日午後0時5分、肺がんのため東京都渋谷区の病院で死去した。

79歳。東京都出身。告別式は近親者で行った。喪主は長女国場亜紀(くにば・あき)さん。

 沖縄県出身の両親の下に生まれ、東京で育った。1961年に歌手デビューし、同年発売した「川は流れる」が大ヒットし、人気を集めた。

他の曲に「島育ち」「奄美恋しや」「ドリーム・ファイブ」など。NHK紅白歌合戦に5回出場した。

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03月05日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年03月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年02月04日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年03月06日 | 東日本大震災ブログ
2012年02月04日(土)
 
諏訪湖「御神渡り」が4年ぶりに出現
 
諏訪湖「御神渡り」4季ぶり 2月の出現は82年以来
02月04日(土) 信濃毎日新聞

「御神渡り」の判定を前に、諏訪湖に張った氷の厚みを調べる八剣神社の関係者=4日午前7時7分、諏訪市豊田

諏訪湖の氷がせり上がる「御神渡(おみわた)り」の判定、記録を続ける八剣神社(諏訪市小和田)は4日朝、湖で亀裂による複数の氷の筋を確認し、「御神渡りができたと言える」と、4季ぶりに出現の判定をした。2月に入ってからの出現は1982(昭和57)年以来30年ぶり。

 けさの諏訪の最低気温は氷点下9・1度。午前6時半ごろから同神社の総代ら関係者十数人が諏訪市、岡谷市、諏訪郡下諏訪町の湖周7カ所で氷の筋や厚さを見て回った。

 筋は沖合で見えにくかったり所
々途切れたりはしているものの、湖の南側、諏訪市豊田の舟渡川河口近くから、西側の岡谷市湊を経て北側の下諏訪町東赤砂に到達する筋など、数本のせり上がりを確認した。高さは10センチ前後。前回2008年の出現時の最高約20センチより低いが、今後の寒暖差などで大きくなる可能性もあるという。宮坂清宮司(61)は「出現の限界とみていた立春のきょう、ようやく確認できて本当にうれしい」と喜びを表した。

 同神社は同日夜に緊急総代会を開き、筋の方向を最終決定する「拝観式」の日程を決める。式の後、過去の記録を記した「御渡(みわた)り帳」と照合し、農業の吉凶などを占う。
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
非日乗 |
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沖縄防衛局長は官僚たちに守られる。
 
沖縄防衛局長対応 結論見送り
2月3日 20時31分 NHKニュース

防衛省は、沖縄防衛局の真部局長が、今月の宜野湾市長選挙に向けて職員に講話をした問題で、田中防衛大臣らが、3日夜、対応を協議した結果、「実態を引き続き調査する必要がある」として、結論を出すことを見送りました。

この問題は、アメリカ軍普天間基地がある沖縄県宜野湾市で、今月12日に市長選挙が行われるのに向けて、防衛省沖縄防衛局の真部局長が、宜野湾市に本人や親族が住む職員80人をリストアップして、先週2回、講話をしていたものです。防衛省の調査によりますと、真部局長は、講話の中で、立候補予定者2人の普天間基地に関する主張を紹介したうえで、県内移設を目指す政府の立場を説明し、親族にも投票を呼びかけるよう依頼していたことが分かりました。

真部局長は、3日午後、衆議院予算委員会に参考人として出席し、「誤解を招く部分があったのは、反省しなければならないと感じているが、どちらかの候補者に肩入れするというような認識は全く持っていなかった」と述べました。集中審議のあと、田中防衛大臣ら防衛省の幹部は、3日夜、この問題への対応を協議しました。

この中で、出席者の1人が、「あさって告示される宜野湾市長選挙に、影響を与えないようにするべきだ」などとして、真部局長を異動させることを含め、直ちに結論を出すべきだという考えを示したのに対し、ほかの出席者からは、「性急に判断すべきではない」という指摘や、「処分するとしても、理由が不明確だ」といった意見が出されました。

そして、「実態を引き続き調査する必要がある」として、結論を出すことを見送りました。このあと田中大臣は、記者団に対し、「引き続き調査を徹底し、真部局長みずから説明責任を果たさせることにした。十二分に調査できれば、そのときに判断することになると思う」と述べました。また、記者団が、宜野湾市長選挙への影響について質問したのに対し、田中大臣は、「選挙の直前なので、今の状況で進んでいくことになる」と述べました。

野田総理大臣は、3日夜、総理大臣官邸を出る際に、記者団が、「沖縄防衛局の局長の結論見送りについて、どう思うか」と質問したのに対し、「引き続き調査をすると聞いています」と述べました。


☆政治主導が「引き続き調査をすると聞いています」では救いがない。

やはり、現実は選挙で国民から選ばれる国会議員より国家公務員試験に通った官僚の方がエライ。

こういう時に“官僚国家日本”のほんまの姿とその体制を活用する宗主国の姿が露わにでてくる。
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 日本社会の仕組み改良 |
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原発推進3団体がNHKへ抗議文提出
 
被ばく基準緩和 NHK番組 原発推進団体が抗議
2012年2月1日 東京新聞朝刊

 NHKが昨年末、国際的な低線量被ばくのリスク基準が政治的な判断で低く設定されたという内容の番組を放映したことに対し、原子力発電推進を訴える複数団体のメンバーらが「(番組内容には)誤りや論拠が不明な点、不都合な事実の隠蔽(いんぺい)がある」として、NHKに抗議文を送っていたことが分かった。 

 団体側はNHKに先月末までの回答を求めていた。NHKの広報担当は「番組内容に問題はないと考えているが、(抗議には)誠実に対応させていただく」としている。

 抗議文は外務省の初代原子力課長、金子熊夫氏が会長を務める「エネルギー戦略研究会」、東京電力出身の宅間正夫氏が会長の「日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会」、元日立製作所社員の林勉氏が代表幹事の「エネルギー問題に発言する会」の三団体が作成、提出した。

 番組は昨年十二月二十八日に放送された「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺れる国際基準」。国際放射線防護委員会(ICRP)が被ばくによる発がんリスクの基準設定を政治的な判断で低くしたという趣旨を同委員会メンバーへの取材を交えて報じた。

 これに対し、団体側は「インタビューの日本語訳が意図的にすり替えられている」「政治的圧力で(被ばく)規制値を緩和したかのような論旨だが、論拠が不明確」などと指摘し、調査を求めた。

 三団体は過去にも報道機関に「原子力は危ないという前提で、編集している」といった抗議活動をしてきたが、東京電力福島第一原発事故後では今回が初めての行動だという。

 原爆の影響調査に携わってきた沢田昭二名古屋大名誉教授は「番組の内容は正確。日本語訳もおおむね問題はなかった。重要な情報を伝える良い番組だった」と話している

☆太字は管理人。原子力ムラはヤワではない。この団体は先触れ隊の役割だろう。これから活発に活動開始。
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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ようやく牛乳の放射性物質を検査する
 
飲料用牛乳 放射性物質検査へ
2月1日 15時17分 NHKニュース

 飲料用の牛乳について放射性物質の検査を行うべきだという声が上がっていることから、大手乳業メーカーなどが加盟する業界団体は、今月、東北や関東など17の都と県にあるおよそ180の工場を対象に飲料用の牛乳の検査を実施すると発表しました。

牛乳の放射性物質の検査については、都道府県ごとに、生産する前の原乳の段階で検査が行われていますが、工場で生産された飲料用の牛乳については、一部の県を除いて検査されていませんでした。しかし、ことし4月から牛乳に含まれる放射性セシウムの基準値がこれまでの1キログラム当たり200ベクレルから50ベクレルへと厳しくなることを受け、消費者からは生産後の牛乳も検査すべきだという声が上がっています。

このため、大手乳業メーカーなどが加盟する日本乳業協会は、東北や関東など17の都と県にあるおよそ180の工場を対象に飲料用の牛乳に含まれる放射性物質の値を今月中に検査することになりました。

日本乳業協会では検査結果を今月末に公表することにしており、「生産後の牛乳について、放射性物質の検査結果を公表することで、牛乳に対する消費者の安心・安全の確保を図りたい」と話しています。
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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東京都が東京湾の放射能測定を国に要望した
 
2012.2.1 21:4 5MSN産経ニュース

 東京電力福島第1原発事故を受け国が行っている放射性物質モニタリングで、他県を通過した河川が流れ込む東京湾が対象に入っていないとして、東京都は1日、環境省に、同湾の海底や荒川水系などの継続的モニタリングを求める緊急要望を出した。

 国は、海底のモニタリングは太平洋沿岸のみ実施。河川や湖は原発の半径100キロを中心に、群馬県や千葉県でも行っている。江戸川も対象に入っており、昨年12月の環境省のまとめでは、葛飾区や江戸川区に隣接する千葉県松戸市内の江戸川の川底で採取した泥などから、放射性セシウムが1360ベクレル検出された。

 都は「放射性物質が首都圏各地を通過した河川で運ばれ、東京湾や河口付近に蓄積していく」として広域的モニタリングを求めた
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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野田首相が議事録未作成で陳謝
 
「猛省必要」
(2012/02/01 18:12) 福島民報

 野田佳彦首相は1日の衆院予算委員会で、原子力災害対策本部などの議事録未作成について「(民主党は)公文書管理法ができてから政権を預かった。より猛省しなければならない」と陳謝した。今後の対策として「録音は一つのアイデアだ」と指摘した。

 同時に「政治家同士が電話で物事を決めることもある。しっかり検証し、意思決定プロセスの透明性担保を勘案したい」と述べた。

 岡田克也副総理は、民主党が主張する最低保障年金制度創設に関し「無年金者がいなくなる。格差が広がる中で所得の少ない人に光が当たることが最大のメリットだ」と強調。
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ダボス会議とは ある解説
 
野田さんも「ダボス」に行けたらよかったのになあ

一部引用・・

国際的なシンクタンクとして知られるスイスの世界経済フォーラム(WEF)が主催する「ダボス会議」が開かれた。「会議」というのは、われわれ日本のメディアなどが勝手にそう呼んでいるだけで、正式名称は同フォーラムの年次総会。実態は会議とはほど遠い。何らかの結論を出すことなど、始めから考えてもいないわけだから。

 それでは、いったいダボス会議って何なのか。一人ひとりが世界を動かすような力を持つパワフルな人々が名を連ねるソーシャル・ネットワーキング・サービスの、巨大なオフライン・ミーティングだと言えるのではないかと、筆者は思う。

 そのダボス会議は今年で42回目。約100カ国から政財界のリーダーなど2600人以上が参加し、首脳級の参加者も約40人を数える。5日間の期間中には250以上の講演やパネルディスカッションが開かれ、世界が直面するさまざまな課題をめぐって議論が繰り広げられる。

 今年のメーンテーマは「大転換-新たなモデルづくり」。一昨年のチュニジアに始まり、吹き荒れる嵐がやまない「アラブの春」、東日本大震災による福島第一原発事故、タイの大洪水、欧州の金融危機に金正日・北朝鮮総書記の死去-。昨年は世界各地で政治、経済、産業の統治システムがほころび、大きくひび割れた。そして今年は米ロ中など主要国での大統領選挙と指導部交代がある。「世界」という船が、まるで船長の逃げ出した大型客船のように座礁したままになりかねない危機的な状況。そんな年明けに、みんなで民主主義や資本主義の新しいモデルを模索してみようじゃないかという意欲的なテーマ設定になっている。

 欧米のメディアは5日間の期間中、そこで話し合われること、誰が何を語ったか、誰と誰が会ったかなどを詳細に報じる。

全文はこちら
2012年2月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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