阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

両国国技館の周辺 ベンチで一休みしながら スナップ写真を撮影した。旧安田庭園を出た後に・・・

2024年10月11日 | 東京あちこち

摺りあがった新しい番付表らしい印刷物を受け取りに力士が次々やってきた。

 

 

 

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ポストシーズン四戦を終えて 大谷翔平 現地メディアインタビュー。 激情、感情をあらわに出すようになったが理由は??などなど。

2024年10月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

Dodgers Postseason: Shohei Ohtani discusses positive energy with Dodgersm emotions of postseason

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10月10日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年10月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年09月10日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年10月11日 | 東日本大震災ブログ
2012年09月10日(月)

岐阜県が独自に敦賀の原発事故が起こった場合の影響シミュレーション

岐阜県 敦賀事故シミュレーション
2012年9月9日 東京新聞

 岐阜県は、日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)の大事故を想定した独自の被害予測をまとめた。

事故の状況と気象条件で最悪の条件がそろうと、敦賀原発から100キロ離れた愛知県にも、高濃度の放射性物質が拡散する恐れがあると試算している。

 岐阜県は、県内の少なくとも二十四市町と愛知県の五市町、三重県の一市で、

地表に沈着した放射性物質による年間の外部被ばく量が二〇ミリシーベルト超のケースがあると予測。

東京電力福島第一原発事故の計画的避難区域に相当する放射線量で、百万人以上が影響を受ける可能性がある。東海三県全体で防災対策の見直しが迫られそうだ。

 岐阜県の内部資料によると、「福島の原発事故と同じ規模の事故が敦賀原発で発生」との前提で、季節や風向き、気温、降雨量などから二十のケースを想定。

拡散した放射性物質によって各地の住民が被ばくする量を専門機関に試算させた。

 最も被害が広がったのが、弱い北西の風と適度な雨が重なったケース。年間の外部被ばく量二〇ミリシーベルト超の地域が、

大垣市や岐阜市など岐阜県の少なくとも十八市町と愛知県の一宮市や江南市など四市町に及んだ。

 放射性物質がいったん福井県北部に滞留した後、弱い西風で岐阜県に流入したケースなどでは、

下呂市や郡上市など岐阜県の別の六市と愛知県犬山市でも二〇ミリシーベルト超になる。

 ただ、試算した二十ケースのうち、十三ケースでは東海三県で二〇ミリシーベルト超の自治体は現れなかった。

 岐阜県は今回の被害予測をもとに、ヨウ素剤の配備など重点的に防護対策を講じる地域を決める。

 中部地方では、滋賀県も昨年九月、関西電力の美浜原発と大飯原発での事故を想定した内部被ばくの被害予測を公表。

岐阜県では揖斐川町など四市町が、内部被ばくが深刻になる恐れのある地域に含まれていた。

沖縄で県民大会 オスプレイ配備に

オスプレイ配備計画撤回を 沖縄で県民大会
2012年9月9日 12時51分 東京新聞(共同通信)

 米軍の新型輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)配備に反対する県民大会が9日、同市の宜野湾海浜公園で開かれ、

主催者発表で10万1千人の参加者が配備計画の撤回や同飛行場の閉鎖を日米両政府に訴えた。

 大会で共同代表の喜納昌春県議会議長は「いつなんどき、空からオスプレイが墜落してくるか分からない中で生活することは決して正常ではない」とあいさつした。

 オスプレイは、4月以降のモロッコや米国での墜落事故に続き、6日には米国内の市街地に緊急着陸しており、安全性に対する地元の懸念は強まる一方だ。

 大会は、県内の各種団体でつくる実行委員会が主催した。

 

茂木健一郎 クオリア日記 2012/09/07から

 

「ぼくは、本当に自分のやりたいことをやってきたのか」

二日前の晩、有吉伸人さんと、NHK近くの沖縄料理屋のようなところで飲んだ。

最初はテーブルがなくて、入り口のカウンターのようなところに二人で座って。まずはオリオンビール。

ぼくは二杯目もオリオンにしたけど、有吉さんはサワーに移った。

有吉さんは、胸がざわざわしているらしい。『プロフェッショナル 仕事の流儀』を離れても、驚くほど多くの番組にかかわりつつ、

すぐれた仕事をして、それでも、胸がざわざわしているらしい。

「茂木さん、ぼく思うんですけどね」と有吉さん。「ぼくは、本当に自分のやりたいことをやってきたのかと。」

胸を突かれた。ぼくにも似た思いがある。世間の需要というものと、自分のやりたいことはかならずしも一致しない。研究上のことだってそう。

流行と、本当に大切な問題は、かならずしも一致しない。

ぼくは、有吉さんの佇まいに耳を傾けるのが好きだ。イノシシのような外観の有吉さんだけど、心の奥に、澄んだ朝の湖のような場所があるから。

有吉さんと、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスタジオで毎週顔を合わせていた、4年3ヶ月。

あの日々は、私の胸の中に、宝物として輝いている。

「過ぎ去って、初めてかけがえのない日々だったとわかるんですよね。」

本当にそう。そして、有吉さんは未来を見ている。ぼくだって。でも、久しぶりに会って沖縄料理を食べている時くらい、

振り返ってもきっといい。
 
有吉さんと別れ、夜道を歩きながら考える。「ぼくは、本当に自分のやりたいことをやってきたのか」と。

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