捜し続けるボランティアダイバー 毎日新聞 9月9日(日)10時12分
東日本大震災から11日で1年半。時は過ぎても、大切な人の帰りを待ちわびる家族の気持ちに終わりはない。
その思いに応えようと、津波被害を受けた沿岸部の水中で行方不明者を捜し続けるボランティアがいる。大森裕彦さん(35)もその一人だ。
警察や自衛隊の捜索が縮小された今も連日、暗い水の底に手探りで潜る。【安高晋】
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夏の終わりの強い日差しが照らしても、水中に視界はほとんどない。水面に顔を出し、船上の漁師に伝える。「屋根が見えるけど、引き揚げは難しい」
宮城県石巻市の長面浦(ながつらうら)。児童74人が犠牲になった大川小に近い入り江だ。9月4日、大森さんがすくい上げたのは、
家屋の一部や大木など。だが望みは捨てていない。「真っ暗で潜れていない場所もまだある。遺体が見つかる可能性は残っている」
宮城県登米市出身。高校卒業後はタイでダイビングのインストラクターをしていた。04年、スマトラ島沖の大地震による津波に遭遇して帰国した。
大阪で理学療法士の資格を取り、病院でリハビリを担当した。その直後に再びの大津波。襲われたのは故郷だった。
実家に戻り惨状に目を覆った。自分にできることは何か。そんな時、ボランティア組織「DSP災害支援プロジェクト」を発足し
、水中で捜索活動をする門馬(もんま)宏明さん(36)を知る。行政の手が回らなかったり捜索が打ち切られた場所で、次々と遺体を見つけていた。
「ダイビングの経験を生かせる」。昨年6月から活動に参加した。「同じ場所に続けて潜ってこそ、地形や潮の流れが読める」と今春、
住まいを故郷の登米市に移して活動に専念した。妻を大阪に残しての“単身赴任”で、貯金を切り崩すなどして活動を続けた。
今年6月。長面浦に沈む車を発見した。中に人の足が見えた。この地区に暮らす高齢の夫婦と分かった。車が引き揚げられ、娘が遺体と対面する場面に立ち会った。
「2人一緒にいられたんだね」。ほっとしたように語り掛ける娘。まだ家族が見つからない人たちが集まり「ほんとに良かった」と声を掛けていた。
「ありがとうございました」。娘から深く頭を下げられた。言葉が見つからなかったが、ほっとしたと同時に続けていかなければと強く思った。
門馬さんによると、DSPの水中捜索がきっかけになって引き揚げられた遺体は、100体を超えるという。たとえ見つからなくても、
捜索自体が家族の救いにもなっている。子供が見つからない親から「あの場所に潜って」と言われ、親を船に乗せて潜ったことがあった。
見つけられなかったが、親はそれから「子供の夢を見なくなった」と言った。
8月。大森さんは妻と生まれたばかりの息子を呼び寄せた。ゆくゆくは地元で理学療法士の仕事を見つけ、宮城の復興に関わっていこうと思っている。
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