2011年02月16日(水)
鶴瓶のNHKのテレビ番組を見ていたら、尾道を訪ねていてその中で向島のおばさんが「こっちへ来てもらおかとおもて おらんだんよ」と言った。 人も物資も文化もお互い交流して、おそらく伊予と安芸という国の違いなど瀬戸内に面した土地に住む人は思ってもなかったのでは。 彼らは遠く南方から海を渡ってこの列島に辿り着いた同氏族で、瀬戸内海の両側に住み着いたのだろうなあと。 神代巻ニ哭聲(おらぶこゑ)と有、いたくこゑをはかりに泣をおらぶと云と聞えたり。平家物語ニをめかせ給へと有は、うめくといふにひとしき事にや。 東国にておめきさめくといふは、おめきさけぶの転語か。雨々と泣なといふ心ならん」 江戸時代には既に九州・四国の方言と認識されているようだが、言葉としては古いもののようだ。 |
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