1960年代、神戸市が神戸株式会社と囃されていた頃のこと、神戸市は住吉川の上流に「渦が森団地」を造成しました。
造成の為大量に掘削された土砂の輸送方法がユニークでした。
海中に造成された「ポートアイランド」や「六甲アイランド」の埋め立て用土砂は、六甲山の西部から切りだされましたが、
土砂は須磨海岸まで長距離地下コンベヤー方式で輸送されました。市街地、国道2号線、JR、山陽電車が走る狭いゾーンを直角に横切る24時間稼動の道路を作るのは
物理的、社会的に不可能だったからです。須磨海岸でプッシャーバージに積み込まれた土砂は造成予定地に運ばれ、船底を開いて24時間土砂を海中に投下しました。
「渦が森団地」の掘削された土砂はその方式を取らずダンプカーで運ばれました。地下トンネル建設のコストよりはるかに安価に土砂を輸送することが出来たそうです。
つまり住吉川の河川敷の両側にダンプ専用の道路を作り、片側は満載したダンプ、もう片側は空荷のダンプが走る。
信号も踏み切りもない一方通行の道路をダンプが疾走したもんです。そのダンプ専用道路が今は「ジョギングロード」として開放されています。
ジョギングをする人、散歩する人、犬の散歩を日課でする人で賑わっています・・ということに先日「白鶴美術館」へ20年ぶりくらいに行ったとき気が付きました。
そこで昨日初めてこの道を上流から歩いて見ました。
上の画像は下流方面。
こちらは上流方面。
この真下をJR神戸線が走っています。四日市の港中学で地理の時間に、豊田先生から習った「川には天井川という川があって、
鉄道線路の上を流れる川もある、この写真は神戸の住吉川やわさ」というその場所に自分が立っているのも面白いことです。
道は国道2号線の下も通っていきます。
川の中を良く見るとメダカなどの小魚が沢山泳いでいましたが、そのせいかこんな鳥もいました。
しばらく歩くと「六甲ライナー」の駅が右上に、正面には阪神魚崎駅が見える場所にきました。
車の心配もなく歩く人、走る人、水辺で遊ぶ人、沢山の人が楽しんでいました。
河口を望む。右の六甲ライナーは無人で運転されていて、JR住吉駅を起点に阪神電車魚崎駅と交わりここから六甲アイランドへ向かいます。正面の高架橋は「阪神高速湾岸線」
喉が渇いたのとトイレを探したかったので、通行中の同じ年恰好の男性に声をかけました。
近くに公衆トイレはないがここから500mほど東に歩けばホームセンターがありますよ、私はそこを時々借りてますとと教えてくれました。
住吉川の橋から左に歩きだすと酒蔵のような建物がありました。
「剣菱酒造」の蔵でした。
そこを通り過ぎると見た事があるホームセンターと、その向かい合わせに大きなスーパーがありました。
そういえばここにはかなり前に車で通りかかったことがある、と思い出しました。住吉川河口と位置関係がこんなに近いと初めて今回知りました。
前回車で通りかかった頃は、造り酒屋の蔵が阪神淡路大震災で軒並み崩れ落ち、周囲はまだ整地されていない場所もありましたが、
今見ると跡地に大規模なマンションがずらっと立ち並び、当時を思い起こす風景はどこにもありませんでした。
ペットボトルを買ったスーパーは買い物客で溢れるくらい賑わっていました。数え切れないほどのマンションが建って、相当な人口集積がすすんでいるようです。
それにしても元日に立てた「1日1万歩を歩く」という“ちかい”のお陰で自分として歩いたことがないルートを見つけました。この日1日の漫歩計の数字は12793歩でした。
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