明治大学文学部 教授 根本美作子
不遜は長所である。若い学生諸君に送りたい言葉だ。
親も教員も政治家も医者も皆一人の人間にすぎない。それぞれの経験を活かして参考になることも言うかもしれないが、
まったく参考にならないこと、信用できないこと、間違ったことも言う。それを見極めるためには不遜が必要だ。
不遜とはこの場合、盲目的に人の言うことに従わずに、自分で情報を集め、自分の頭で考え、判断するということだ。
つまり不遜とは、自分もまた親や教員やその他の人間と同じ人間であると認め、それを引き受けることだ。不遜はつまり平等主義である。
年長者であるからといって盲目的に親や教員の言うことに従うのは、一人の人間としての責任を果たすことを避けようとする甘えである。
彼らはたしかに経済力があったり、権力があったりして、なかなか逆らうことの難しい相手であるかもしれない。
しかしまず相手から距離をとり、自分の考えを強化することによって、自分は成長する、進歩する、新しい考え・解決法を発明し、作りだすかもしれない。
それにはとにかく不遜になることである。
自分を一人の個人として認識し、他の人間を自分と同じ個人として理解することを試み、
互いの考えを伝え合いながら自己の立場を確立していくこと、不遜はそのために必要な勇気のまたの名であるだろう。
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