阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

捨て犬、捨て猫 そして捨て子

2023年01月14日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年09月16日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

9月12日の朝日新聞朝刊で朝日歌壇を読んだ。朝日新聞は親がとっていたから、物心ついた時には家にいつもあった新聞だ。

しかし40年位読み続けたあと、10年以上前に宅配を止めた。今は旅行など家を離れたときに、売店で時々買う。やはりほかの新聞よりは懐かしくてあれば朝日新聞に手が出る。

歌壇の中で馬場あき子選の歌にこの歌があった。

「 捨てられた身の上をまだ悟らざり子猫四匹戯れ弾みいて」

“子猫四匹”という単語に、引き出しに押し込んでいた記憶が突然よみがえった。


 北九州・若松の洞海湾に流れ込む家の近くの川に、母親に言われて抵抗できず、箱に入れた生まれたばかりの四匹の子猫を流した小学2年生だった自分。

そのときの川面の色や空や、吹いていた風のことまで、そして子猫の声がだんだん遠ざかっていったのを、まだ覚えている。

 「捨て猫」、「捨て犬」は自分の子供の頃からずっとある。

 昭和20年代から30年代の初めの頃は、「捨て子」という日本語が新聞にまだ普通によく出ていた。

その頃の「捨て子」は、お寺の前や、大きなお屋敷の前など、すぐに人の目につくところに捨てられていた。

あの頃は、親も食うや食わずの人が沢山いた時代だった。

マンションの一室を締め切って、中に子供を残したままその部屋に帰らなかった女親には、そういう知恵はなかった。

 いや、彼女にとってお寺というものは存在しないか、縁のないものだったのだろう。またお寺にとっても、子供を見捨てる親は存在しないか、お寺には縁のないものになってしまった。

日本の仏教のお寺が、この列島の住人の最後の拠り所、駆け込み寺であった時代があったことは、今の日本の都会ではもう想像も出来ない。

最近は新聞や、テレビで見るのは虐待の報道が増える一方で、捨て子の報道は少ない。

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