阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

近鉄特急電車が阪神三宮駅にテスト走行でやってきた!

2014年02月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事


3月22日から阪神電鉄に乗り入れる近畿日本鉄道の特急電車が2月10日未明、阪神線で点検走行を行い、オレンジ色の6両編成が初めて三宮駅に姿を現わした。
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ヒマラヤ雪ノ下の花芽と白梅の一輪

2014年02月20日 | 花・草・木・生き物
地植えの雪の下にはまだ花芽はありませんが、なぜか鉢の方には花芽が出来ました。
白梅の一輪。
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昨日のランチは「高野豆腐など煮物と冷蔵庫整理モノ」

2014年02月20日 | ある日のランチ
夜は「すき焼き丼」
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そろそろ水耕豆苗の採り入れ

2014年02月19日 | 身辺あれこれ
寒さの故かなかなか伸びませんでしたが、それでもそろそろカットしても良さそうです。
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NASAが撮影。太陽の荘厳な美しさ。

2014年02月19日 | びっくり画像・映像


小学生の頃、当時住んでいた尼崎市塚口の家に諏訪から祖父が来たことがある。祖父は雨戸を開けると太陽に向かって毎朝
かしわ手を打って拝礼した。そんなことをする人を初めて見たので、どうしてお陽さんを拝むのかと聞いた。「お陽さんがあるからみんなこうして
生きていける。だからありがとうございます、とお礼を言っているんだよ」と彼は答えた。その後、中東から南米まで世界中の民族で太陽崇拝の宗教があることを知り、
日本の「あまてらすおおみかみ」も元々は太陽神であることを知った。祖父の句集「岱風句抄」はこちら
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昨日のランチは「芽キャベツとチキンのドライカレー」

2014年02月19日 | ある日のランチ
カレーにはシメジとタマネギも参加していいコラボだった。夕食の肴はイワシの塩焼き。
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京都の漬物は酒の肴にもなります。

2014年02月18日 | 身辺あれこれ
京都の漬物は好物です。錦市場近くの「大藤」の漬物がベストですが、これは「郵便局のネットショップ」での取り寄せ商品です。
常温保存と低温保存の漬物があってそれぞれ指示が書いてあります。ご飯のおかずには勿論ですが肴にも。
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リュージュのオリンピック選手がカメラを装着して滑走、爽快な滑り!!

2014年02月18日 | びっくり画像・映像
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昨日のランチはメンクイシリーズ「鍋焼風うどん」、夕食に葉タマネギ。

2014年02月18日 | ある日のランチ
お八つはチョコバウムクーヘン。

夕食はさわらの塩焼きで一杯。淡路のこの時期だけに取れる新葉タマネギが瑞々しくてうまい。真澄の夢殿は冬でも冷やで飲みます。

葉タマネギ(ネットから画像借用)。
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板門店での北朝鮮軍女性兵士の望遠ショット??と言うんですが・・・

2014年02月18日 | びっくり画像・映像
この4人は「よろこび隊」の卒業生かも?? ニュースソースは本間加奈(ホンマカナ)さん。
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全国のタウン誌のさきがけ「銀座百点」は中身が濃くて面白い

2014年02月17日 | ゲストルーム
2月号も頂きました。ずっと送って頂いています。こんな人がこんな文章を書くんだという驚き。銀座という街の変遷。伝統。
なによりも銀座を遊弋し、銀座が好きな人、人、人の面白さ。女性6人が編集している日本を代表するタウン誌は毎号読みごたえがあります。




 
編集室からのごあいさつ
「銀座百点」は1955年(昭和30年)に創刊されました。
銀座のかおりをお届けする雑誌として、情報だけでなく、銀座の文化を表現することにポイントを置いて編集してい ます。
中でも各界の有名人によるエッセイ、座談会は読み応え十分です。
創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら著名なメンバーが執筆陣に加わり、その伝統は現在まで受け継がれています。
また、小誌の連載からは向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」、和田誠「銀座ドキドキの日々」などベストセラーがたくさん生まれています。
現在6人の女性スタッフが銀座じゅうを歩き、アンテナを張り、ない知恵を絞って毎月の企画をたてています。
銀座の街で、ぜひお手にとってお読みください。HP
 朝日新聞デジタルから引用。
「銀座百点」700号 豪華エッセー、タウン誌の草分け  2013年3月1日
【山本亮介】東京・銀座の文化の薫りを発信する月刊誌「銀座百点」が1日、創刊700号を迎えた。タウン誌の草分けとして、
全国で創刊が相次ぐきっかけになった。
創刊は新宿や渋谷などの台頭で、銀座の斜陽がいわれたころ。危機感を持った100の専門店が1954年秋に「サービス・信用とも百点満点の街に」と
銀座百店会を結成し、翌年1月に第1号を刊行。巻頭で「より美しい銀座に育てあげることこそ務め」と宣言した。
 加盟店が各500部を引き取り、得意先に贈ったり店頭に置いて顧客に持ち帰ってもらったりするのが特徴だ。
今年1月にも2店増え、加盟店は138店に。一方で、結成時の店の半数は銀座を去ったという。
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昨日のランチは「コロッケサンドとカツサンド」

2014年02月17日 | ある日のランチ
夜の酒の肴のブリの照り焼きと豚汁に度数やや高めの新潟の酒『菊水』がピタリでした。
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登っても登っても・・

2014年02月17日 | びっくり画像・映像
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白梅はこれから、蝋梅はそろそろ終わりです。

2014年02月16日 | 花・草・木・生き物
蝋梅は昨年から今年にかけて楽しませてくれました。









2014.02.09 ~ 2014.02.15
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神大付属住吉小、137年の歴史に幕 OBに白洲次郎ら   神戸新聞から

2014年02月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2014/2/14 09:02014/2/14 09:05
↑校内で保管されていた白洲次郎の学籍簿=神戸市東灘区住吉山手5
神戸大付属住吉小学校の最後の6年生が学ぶ校舎。中等教育学校の生徒らと“共有”してきた=神戸市東灘区住吉山手5


 明治10(1877)年創設の神戸大付属住吉小学校(神戸市東灘区)が来月、137年の歴史に幕を下ろす。
出身者には、ノーベル化学賞受賞者の野依良治・理化学研究所理事長や同物理学賞を受賞した江崎玲於奈・横浜薬科大学長、
吉田茂元首相の懐刀として活躍した白洲次郎(1902~85年)ら著名人も多い。歴史に名を残す人材が幼少期を過ごした学びやから、
最後の卒業生120人が巣立つ。(紺野大樹)

 神戸大付属住吉小学校は創設の翌年、神戸師範学校付属小学校として現在の兵庫県庁近くで開校。神戸市東灘区の御影に移転した後、
地元から土地の寄付を受け1938年、現在の場所に移った。

 昭和の初めには給食が始まり、神戸のハイカラな土地柄からか、コロッケやキャベツのバター炒めなど洋食もメニューに並んだという。
また、自主性を重んじるユニークな教育にも定評があった。

 49年、神戸大兵庫師範学校男子部付属小学校に改称。その後も何度か名前を変え、戦後だけで6千人を超える子どもが巣立った。
ノーベル賞受賞者や政治家、俳優ら出身者の顔ぶれは多彩だ。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)との折衝に活躍した白洲次郎もその一人。前身の御影師範学校付属小学校の学籍簿は今も残り
、氏名や保護者名、上中下などでつけられた成績のほか、墨書で「自分を抑制せしむべし」という教師の意見が書き込まれている。

 神戸大の付属学校再編計画で、付属小は明石に集約されることになり、同小は2009年度から募集を停止。
中高一貫の中等教育学校が新設され、現在は同じ校舎で6年の児童も学んでいるが、閉校に伴い、古くから使われてきた「い」「ろ」「は」の学級名などは姿を消すことになる。

 付属住吉小の最後の卒業式と閉校式は3月10日に開かれ、野依さんのビデオレターも流れる予定だ。
森一弘副教頭(53)は「子どもたちが主体的に学べる環境だったため、世の中で活躍できる人材が育った。寂しさを超えた感情がある」と話している。引用ここまで。


  詩人の八木重吉も御影師範の教師を勤めました。

八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は日本の詩人。

「東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市)に生まれる。神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)を経て、東京高等師範学校の英語科を1921年に卒業。兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)、次いで1925年から千葉県の柏東葛中学校(現・千葉県立東葛飾高等学校)で英語教員を務めた。

神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、1919年には駒込基督会において富永徳磨牧師から洗礼を受けた。1921年に将来の妻となる島田とみと出会う。この頃より短歌や詩を書き始め、翌年に結婚した後は詩作に精力的に打ち込んだ。1923年のはじめから6月までにかけて、自家製の詩集を十数冊編むほどの多作ぶりであり、1925年には、刊行詩集としては初となる『秋の瞳』を刊行した。

同年、佐藤惣之助が主催する「詩之家」の同人となる。この頃から雑誌や新聞に詩を発表するようになったが、翌年には体調を崩し結核と診断される。茅ヶ崎で療養生活に入り、病臥のなかで第2詩集『貧しき信徒』を制作したものの、出版物を見ることなく、翌年、29歳で亡くなった。5年ほどの短い詩作生活の間に書かれた詩篇は、2000を優に超える。」


   太陽

 太陽をひとつふところへいれてゐたい
 
 てのひらへのせてみたり
 
 ころがしてみたり
 
 腹がたったら投げつけたりしたい
 
 まるくなって
 
 あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら
 
 太陽がひとつほしくなった

    雨

 雨のおとがきこえる

 雨がふっていたのだ

 あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

 雨があがるようにしづかに死んでゆこう

   大和行

 大和の国の水は こころのようにながれ
 はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
 ああ 黄金のほそいいとにひかつて
 秋のこころが ふりそそぎます
 
 さとうきびの一片をかじる
 きたない子が 築地からひよつくりとびだすのもうつくしい、
 このちさく赤い花も うれしく
 しんみりと むねへしみてゆきます
 
 けふはからりと 天気もいいんだし
 わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
 日は うららうららと わづかに白い雲が わき
 みかん畑には 少年の日の夢が ねむる
 
 皇陵や、また みささざのうへの しづかな雲や
 追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
 志幾の宮の 舞殿にゆかをならして そでをふる
 白衣の 神女は くちびるが 紅い
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