阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

六甲本通り商店街の眼科で定期検診

2017年06月21日 | 身辺あれこれ
ほぼ4カ月に一度 眼科に通っている。その都度 白内障予防の薬をもらって一日三回さしている。今回の検査でもまだ手術の必要はないそうだ。
 本を読むのに裸眼では読めないとぼやいたら、もう眼鏡を使うのは当たり前の歳ですと言われてしまった。



医者を出てからJR六甲道駅のガードをくぐり桜口のめぐみの郷のおかき売り場に向かった




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加計学園の加計幸太郎氏、自民党岡山県支部の代表者

2017年06月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

 

 

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建築家・藤森照信さんの「チョコレートハウスとオープンアート空間「丘の上APT」

2017年06月20日 | 音楽・絵画・映画・文芸

 

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アナカリス(金魚藻)の白い花が咲いた。

2017年06月20日 | 花・草・木・生き物
4月の初めに群馬県邑楽郡邑楽(おうら)町から宅急便で届いたメダカは元気です。👆
 屋内の水槽に分けて入れたメダカは卵を沢山産んでまもなく孵るでしょう。
もう一つの火鉢にいる金魚もとても元気です。



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「この世界の片隅に」上映会次々 岡山県内、中・高校やNPO関心 山陽新聞

2017年06月20日 | 音楽・絵画・映画・文芸

アニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)の上映会が、岡山県内で続々と予定されている。今月1日から全国の非劇場(映画館以外)での2次上映が始まったためで、同作にほれ込み、岡山での配給権を獲得した上映企画会社経営河村典之さん(59)=岡山市北区=は「いろいろな団体に『待っとったよ』と声を掛けられる」と関心の高さを喜んでいる。

 同作は、広島市出身の漫画家こうの史代さんの同名作が原作。第2次大戦末期、18歳の女性すずが結婚を機に軍港の街・呉市で暮らし始め、身近なものを失いながらもひたむきに生きる姿を描く。日本アカデミー賞の最優秀アニメ作品賞など数々の映画賞を受けたほか、製作時にインターネットを通じて資金調達するクラウドファンディングで4千万円近くを集めたことも話題となった。

 河村さんが各都道府県に振り分けられた2年間の配給契約に手を挙げたのは、昨年末。全国で劇場公開された際、胸を打たれた人が知り合いを連れて再び訪れる―といった形で共感が広がったこともあり、「みんなに見せたい、みんなで見たい、という人が必ずいる」と、「その“親分”になる」決意をした。

 映画は、日常のエピソードを丹念に積み上げることで、戦争の不条理を浮かび上がらせていく。「国民全体が戦争のことしか考えられなくなる。そんな閉塞(へいそく)的な枠に組み込まれるのはどんな気分かを体験できる良作」と、河村さん。

 3月から上映したい団体を募ったところ、中・高校、育児にかかわるNPO法人、映画館のない地域などから早速反響があった。皮切りの今月4日は笠岡市保健センター(同市十一番町)で3回上映され、計620人が鑑賞。親子3世代での来場も目立ったという。

 10月に瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・長島愛生園、邑久光明園で催される会では、劇中音楽を担当したコトリンゴの公演も併せて予定。上映希望は2019年5月末まで受け付ける。河村さん(086―228―0461)。

映画「この世界の片隅に」を観ました。原作も買って読もうと思う映画でした。(クリック)

 
2017年01月22日 | 音楽・絵画・映画・文芸
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「国民に説明するのなら、なぜちゃんと議論と相互批判ができる国会を延長しなかったんですか?

2017年06月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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父の日のプレゼントはおかき。

2017年06月19日 | 身辺あれこれ
この日の昼食

夕食はアナゴ丼の豪華版でした。


楽屋ネタ。誕生日ケーキのこの子も7月からは東京都民です。
   

 

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ちひろ美術館・東京で「茂田井武展 夢の旅人」開催中 奈良美智さん企画。

2017年06月19日 | 音楽・絵画・映画・文芸







阿智胡地亭も「ちひろ美術館・東京」を訪ねたことがあります。こちら 



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今治の獣医学部では、厳重な管理を要する施設が隔離されていない

2017年06月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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神戸に来て30年目に初めて柘榴が実をつけだした。

2017年06月18日 | 花・草・木・生き物
これまで花も咲かなかったのに不思議だ。今年は他にもこれまでなかったことが木や花に起こっている。







2017.06.11 〜 2017.06.17
閲覧記事数:21795 PV、訪問者数:2126 I、ランキング:1998 位  / 2727597ブログ
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このところの昼めしは「ソバめし」「カレー」「冷麺」や「にぎり」

2017年06月18日 | ある日のランチ
ソバメシは時々食べるとおいしい。👆
 今年2回目の冷麺

レトルトのカレーに野菜を添えて。

 配達専門の寿司店もサイズが小さくなったような(;^_^A お稲荷さんは厚焼き玉子と取り換えられたため。

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『忖度まんじゅう』が関西土産に登場!! 売れても損得なしでっせ!いやほんま。

2017年06月18日 | びっくり画像・映像

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小学校入学前から3年生まで過ごした九州若松の二島が「空から日本を見てみよう」に出てきた!

2017年06月17日 | 身辺あれこれ
BSジャパンの番組「空から日本を見てみよう」を観ていたら、上空から見たJR二島駅周辺が出てきた。
阿智胡地亭は昭和23年の秋から28年の3月まで二島町に住んでいました。二島には鹿児島本線の折尾駅で筑豊本線に乗り換えます。


九州若松昭和25年  こんなことがあった
昭和23年の秋頃から28年3月まで、今の北九州市若松区二島というところにいた。
1、二島の駅で汽車に乗ると二駅ほどで終点の若松に着く。汽車が駅に近づくにつれ、いつも気が重くなっていくのだった。
月に一度か2度母が若松の町に習字を習いに行くのに、字の下手な自分も一緒に習いに連れていかれていた。気が重くなるのはそのことではなかった。
行くたびに毎回、若松駅の改札口の内側にきれいな着物姿のおばさんが立っていて、到着した汽車から降りてくる人に向かって
「ノブちゃん、ノブちゃん、帰ってきたか」と高い声で叫ぶのだった。
きれいに見えた着物も近づくと薄汚れていて髪の毛も殆ど梳かした様子がなかった。その人の手前でつい足が遅くなった僕に
「早くおいで」と母から声が飛び慌ててその人の横を通り抜ける。その人を見るのがつらいのだった。
その人の子供がこの駅から出征して、まだ帰ってこないという事だった。戦争が終って5年経っていた。
子供の遊び仲間が帰還してしばらくしてから、こうして毎日始発から終列車まで駅にいるという。
そして、列車が到着するたびに大声で子供の名前を呼んでいるという。
その人は子供心にも端正な顔立ちの美しい人だった。駅を出てもしばらく子供を呼ぶ声が聞こえていた。気がふれてもう何年も
こうしているが、駅の方も改札口の中へ入れてあげているのは、空襲で焼けたけれど元は大店の奥さんだったからだと母が後で聞いてきた。

2、若松の商店街の真ん中を白い蒸気を吐きながら黒い機関車が静かに走る。 機関車の前に人間が乗って前を注視して、
大きな白い旗をゆっくり振って移動していく。
機関車の後ろには石炭を満載した貨車が長くつながっている。買物客は慣れたもので誰も気にする人はいない。お店の人も普通にお客とやっている。
こんなに身近に柵も無く、動いている機関車を見る事が出来る小学生の私。小走りに白い旗と一緒に走りたいが、母の買物が済むともう帰る時間だった。
出来るだけ長く買物に時間がかかりますようにと念じながら息を詰めていつも見ていた。
若松港の石炭積出の場所まで商店街の中を貨物線のレールが走っていたのだろう。
行きたくない若松も、あの機関車に会えるかも知れないと思ってついていったものだ。

3、朝5時頃、家の外でゴウゴウと大きな地鳴りがしていると思っていたら、戦車たい、戦車たいという人の声がした。大人の声もして
県道の方へ走っていく沢山の下駄の音がやかましくなった。
あわてて半ずぼんを穿いてランニングのままで家を飛び出した。そして人が走っていく方向へ自分も一緒に走った。
朝もやの中に大きな大きな迷彩色に塗られた戦車が何輌も何輌も県道を一列になって、ゆっくり走っているのが見えてきた。
先頭も見えず最後尾も見えず帯のように見えた。
 「少年」や「少年倶楽部」の挿し絵でしか見たことがない戦車の、しかも米軍戦車の実物が数えきれない台数がゆっくり移動していたのだった。
もう道の両側は大人も子供も男も女も人で一杯だった。
赤ら顔の恐ろしげな米兵たちが重装備で戦車の上に乗っていた。眠そうな顔をしてぼんやりあちこち見廻していた。
その日、学校はこれを見ることが出来た町地区から通う人間は英雄だった。
それから10年くらいして兵庫県の芦屋にある高校に通っている時、アメリカ映画で「アシヤからの飛行」という映画の広告を新聞で見た。
芦屋に飛行場なんかないのになんやこれはと思ってその広告を読んだら福岡県の芦屋に朝鮮戦争当時、軍需物資の補給航空基地があって、
そこを舞台にした米兵と日本娘の悲恋物語と書いてあった。 そうか、あの戦車群はアメリカから輸送艦で海上輸送され、
若松港で陸揚げされて芦屋空港まで移動中だったんだと突然頭の中で一つにつながった。
当時、毎晩毎晩家の上を朝鮮(韓国)に向かってごうごうと大型輸送機が飛ばない日はなかった。この芦屋空港や板付空港から飛んでいたのだ。
町は占領軍の基地とは離れていたので、日常的には米兵を見かけることはなく大人と違って朝鮮戦争は子供にとって身近ではなかった。
それでもジープで移動する連中が子供に面白半分に投げるチューインガムやチョコレートは皆のあこがれの品物だった。 残念ながら口に入った記憶はない。


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ようやく瑠璃茉莉(ルリマツリ)が花をつけだした。

2017年06月17日 | 花・草・木・生き物







アガパンサスの花茎。

アロエ。

 楽屋ネタ。一歳の誕生日パーティのおめかし。





 まだ歩けないがファーストシューズと。


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このところの昼食は「汁なし担々麺」や「パン食」に「柿の葉寿司」

2017年06月17日 | ある日のランチ


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