ちょうどモーターボートがゆっくり走ってきました。阿智胡地亭と同じような年恰好の一人の老年者がスタイリッシュな格好でゆっくり船を走らせていました。
いまさら羨むわけではないが老年者もいろいろだなあと思いつつかなり大きな引き波に驚きました。水が湧き立ったので水鳥が喜んでなにかをついばみ始めました。
ちょうどモーターボートがゆっくり走ってきました。阿智胡地亭と同じような年恰好の一人の老年者がスタイリッシュな格好でゆっくり船を走らせていました。
いまさら羨むわけではないが老年者もいろいろだなあと思いつつかなり大きな引き波に驚きました。水が湧き立ったので水鳥が喜んでなにかをついばみ始めました。
画像クリックで本文に飛びます。生きた会話を大切に――作家・多和田葉子の目に映る日本とグローバリズム | Recruit - リクルートグループ https://t.co/OUGQMYp7O0 #MeetRecruit #リクルート
— achikochitei (@achikochitei1) February 11, 2020
アマゾンの納税額が楽天より圧倒的に低い理由 ITの巨人に長く根付く「フリーライダー」精神 | インターネット - 東洋経済オンライン https://t.co/VKsVJBKAv7 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiさんから
— achikochitei (@achikochitei1) February 10, 2020
【追悼特集 女優・八千草薫】
大阪で生まれ、宝塚歌劇出身の名優・八千草薫。清純派の娘役から、さまざまな“日本の理想の女性”を時代と共に爽やかに体現。ひたむきで儚げ、可憐な中にも芯のある強さをあわせ持った女性像を鮮やかに演じてきた。2019年10月に亡くなった永遠の女優・八千草薫さんを偲び、代表作17本を一挙上映!!
⇒こちら。
八千草薫 略歴
♦1931年1月6日、大阪・上本町生まれ。父が2歳の時に死去。病弱だったために一時期、祖父母のいる六甲で育つ。大阪にあるミッション系の女学校プール学院へ進学するが、戦火が激しくなり勤労奉仕の日々。母親と二人で戦時中を生き抜くが、終戦1週間前に空襲で自宅を無くす。戦後、憧れの「宝塚音楽学校」に入学、47年に宝塚歌劇団に戦後第1期生として入団。美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡。劇団内に新設された映画専科にも所属し、51年に東宝映画『宝塚夫人』で銀幕デビュー。54年に宮本武蔵の恋人・お通役に抜擢され『宮本武蔵』は米アカデミー賞で名誉賞(外国語映画賞)を受賞。撮影が終わるとイタリアに飛んで日伊合作で映画化したプッチーニ作のオペラ『蝶々夫人』(55)に主演。半年に渡って滞在し原語でオペラを猛特訓。帰国後、三部作となる『宮本武蔵』続編に出演。その後も『夏目漱石の三四郎』(55)、『乱菊物語』(56)などに出演。「お嫁さんにしたい有名人」で、たびたび1位に輝くが、『乱菊物語』で19歳年上の谷口千吉監督と運命的な出会いとなり、翌年宝塚を退団後、谷口監督と結婚。そのウエディングドレス姿は匂いたつような美しさだったと語りぐさに。ファンは涙をのんだ。結婚により一時は引退も考えたが、マイペースでその後も映画に出演。60年代からはTVドラマにも出演し、77年にはTV史に残る山田太一脚本の『岸部のアルバム』出演し、テレビ大賞主演女優賞を受賞。向田邦子原作のドラマ『阿修羅のごとく』(79~80)では主人公の4姉妹の次女を演じた。同作が2003年に映画化された際には、4姉妹の母親役で出演し、第27回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。その後の主な映画出演作品に『しゃべれども しゃべれども』(07)、『ディア・ドクター』(09)、『舟を編む』『くじけないで』(ともに2013)、『ゆずり葉の頃』(15)など、生涯現役で活躍。2000年の第一回宝塚映画祭にゲストとして出演、また2012年にシネ・ヌーヴォで開催した「生誕百年記念・谷口千吉監督特集」の際は、プレイベントに来阪。結婚50年目の2007年に亡くなった谷口監督を偲んでお話していただくとともに、夫の生誕百年の上映を行なった私たちに熱いエールをおくっていただいた。2019年10月24日に膵臓がんのため逝去。享年88。
上映作品
大阪で生まれ、宝塚歌劇出身の名優・八千草薫。日本映画黄金期から現在まで、日本映画界を代表する女優として活躍。清純派の娘役から、さまざまな“日本の理想の女性”を時代と共に爽やかに体現。ひたむきで儚げ、可憐な中にも芯のある強さをあわせ持った女性像を鮮やかに演じてきた。1957年、谷口千吉監督と結婚。2012年「生誕100年・谷口千吉監督特集」上映の際はご来阪いただき、谷口監督との映画人生を熱く語っていただいた。2019年10月に亡くなった永遠の女優・八千草薫さんを偲び、代表作17本を一挙上映!!
宮本武蔵
1954年/東宝/94分/カラー
監督:稲垣浩/脚本:稲垣浩、若尾徳平/原作:吉川英治/劇化:北条秀司/撮影:安本淳/美術:伊藤熹朔、園真/音楽:団伊玖磨/共演:三船敏郎、三国連太郎、尾上九朗右衛門、水戸光子、岡田茉莉子、加東大介、阿部九洲男
◆何度も映画化された「宮本武蔵」を名匠・稲垣浩が三船敏郎=武蔵で描き、内田吐夢版・錦之助武蔵と対比される時代劇シリーズの傑作。お通役に宝塚歌劇在籍中の八千草が抜擢され、一躍スターの座を占めた。『サムライ』の名で海外公開され、日本初の米アカデミー外国語映画賞受賞の快挙を遂げた。
続宮本武蔵 一乗寺の決闘
1955年/東宝/103分/カラー
監督:稲垣浩/脚本:稲垣浩、若尾徳平/原作:吉川英治/劇化:北条秀司/撮影:安本淳/美術:園真/音楽:団伊玖磨/共演:三船敏郎、鶴田浩二、尾上九朗右衛門、木暮実千代、水戸光子、岡田茉莉子、加東大介、堺左千夫
◆前作の大ヒットを受けて製作された第二弾。鎖鎌の達人・宍戸梅軒(東野英治郎)との対決に勝利を収めた武蔵(三船)は京に上がり、吉岡道場を率いる吉岡一門との決闘に挑む。本作で初登場の宿命の敵、佐々木小次郎を鶴田浩二が演じている。八千草は武蔵を一途に想い続けるお通を切なくも可憐に好演。
宮本武蔵 完結篇 決闘巖流島
1956年/東宝/104分/カラー
監督:稲垣浩/脚本:稲垣浩、若尾徳平/原作:吉川英治/劇化:北条秀司/撮影:山田一夫/美術:伊藤熹朔/音楽:団伊玖磨/共演:三船敏郎、鶴田浩二、志村喬、嵯峨三智子、岡田茉莉子、加東大介、上田吉二郎、高堂国典
◆剣豪として名を上げた武蔵は、仕官を諦め人間修行の旅に出る。剣の道を歩む小次郎との宿命の対決、巖流島での決闘を描く『宮本武蔵』3部作完結編。朝焼けを狙って撮影された巖流島の対決は、迫力あふれる名シーンとなった。内田吐夢版「武蔵=錦之助五部作」は今夏に上映予定。その前に三船武蔵をご堪能あれ!
蝶々夫人
1955年/日本・イタリア/101分/カラー
監督・脚本:カルミネ・ガローネ/脚本:森岩雄/原作:プッチーニ/撮影:クロード・ルノワール /美術:三林亮太郎 、マリオ・ガルブリア /作曲:ジャコモ・プッチーニ/共演:ニコラ・フィラクリディ、田中路子、宝塚歌劇団
◆プッチーニのオペラを映画化。『宮本武蔵』の撮影後、スタッフらと共にイタリアへ渡欧、半年に渡っての撮影となった。八千草は当時、宝塚歌劇団に在籍中の23歳。蝶々夫人を可憐に美しく演じるだけでなく、歌の特訓を行い、録音された曲に口を合わせての演技という名演で、終生忘れられない1本となった。
夏目漱石の三四郎
1955年/東宝/81分/白黒
監督:中川信夫/脚本:八田尚之/原作:夏目漱石/撮影:玉井正夫 /美術:北猛夫、清水喜代志/音楽:斎藤一郎/共演:山田真二、笠智衆、土屋嘉男、岩崎加根子、江原達怡、金子信雄、村上冬樹、平田昭彦、塩沢登代路
◆熊本の高等学校を卒業し上京した大学生の三四郎が過ごす、新しい出会いに満ちた日々と淡い恋。青春期に誰しもが持つ不安と期待をみずみずしく描き出す。巨匠・中川信夫が監督し、三四郎に山田真二、広田先生に笠智衆が好演。三四郎が恋心を抱く美禰子を演じた八千草薫はため息が出るほどの美しさ!
乱菊物語
1956年/東宝/96分/白黒
監督:谷口千吉/脚本:八住利雄/原作:谷崎潤一郎/撮影:飯村正/音楽:團伊玖磨/美術:北猛夫、阿久根巌/出演:池部良、小堀明男、杉山昌三九、山田巳之助、笈川武夫、浪花千栄子、藤原釜足、藤木悠、小杉義男、上田吉二郎
◆谷崎潤一郎の原作を映画化。戦乱の室町時代末期、遊女・陽炎をめぐり、大名や謎の男・海竜王が戦いを繰り広げる。伝奇や史実をもとにした幻想的な物語に八千草の陽炎が美しく映える。池部良と八千草薫のお雛さまのような美男美女ぶりにうっとり。翌年結婚する谷口千吉との運命的な出会いとなった。
愛情の決算
1956年/東宝/112分/白黒
監督:佐分利信/脚本:井手俊郎/原作:今日出海/撮影:山田一夫/美術:北猛夫、清水喜代志/音楽:団伊玖磨/共演:佐分利信、原節子、三船敏郎、小林桂樹、千葉一郎、田中春男、堺左千夫、内田良平、藤間紫、田中春男
◆戦死した夫の上官だった楢崎(佐分利)と再婚した勝子(原)だが、次第に心の隔たりを感じ始める。そんな時、夫の戦友の大平(三船)から思いを告げられる…。戦後10年の日本人の家庭を描いた今日出海の小説を、佐分利信が監督・主演で映画化。八千草は大平にほのかな恋心を抱く朝子役を愛らしく好演
雪国
1957年/東宝/133分/白黒
監督:豊田四郎/脚本:八住利雄/原作:川端康成/撮影:安本淳 /美術:伊藤熹朔、園真/音楽:芥川也寸志/共演:池部良、岸恵子、森繁久彌、三好栄子、久保明、浪花千栄子、千石規子、加東大介、東野英治郎、市原悦子
◆“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”ノーベル文学賞を受賞した川端康成の不朽の名作を現地ロケで映画化し、文芸映画の代名詞ともなった名作。年に一度の逢瀬を重ねる芸者の駒子(岸)と画家の島村(池部)。降りしきる雪のなか、二人の悲恋に駒子の義妹、葉子を八千草が小妖精のように名演。
ガス人間第一号
1960年/東宝/91分/カラー
監督:本多猪四郎/脚本:木村武/特技監督:円谷英二/撮影:小泉一/美術:清水喜代志/音楽:宮内国郎/共演:三橋達也、土屋嘉男、佐多契子、田島義文、田島義文、三島耕、小杉義男、左卜全、佐々木孝丸、松村達雄
◆生体実験の犠牲で、身体をガス化できる特殊能力を持ってしまった男(土屋)と、愛される日本舞踊の家元との悲恋を描いたSFスリラー。八千草は男から盲目的な求愛を受ける春日流家元・藤千代を好演、凛々しい着物姿と日本舞踊を披露。『ゴジラ』(54年)の監督・本多猪四郎と特撮・円谷英二コンビによるもうひとつの秀作。
わが恋わが歌
1969年/松竹/100分/カラー
監督:中村登/脚本:広沢栄/原作:吉野秀雄、山口瞳/撮影:竹村博/美術:梅田千代夫/音楽:いずみたく/共演:中村勘三郎、岩下志麻、中村賀津雄、中村勘九郎、竹脇無我、北林早苗、アンナ・ルーセン、緒形拳、三木のり平
◆「幻の大学」として語り伝えられる鎌倉アカデミアで教鞭をとった歌人・吉野秀雄(中村)の戦中戦後の波瀾万丈の家庭史を、吉野に師事した山口瞳(緒形)らの交流とともに描く。八千草は若くして亡くなった先妻役で、後妻に岩下志麻。実名で描かれる戦後文壇の一断面を、女性映画の名匠・中村登が描く。
田園に死す
1974年/ATG/102分/カラー
監督・原作・脚本:寺山修司/撮影:鈴木達夫/美術:粟津潔/音楽:J・A・シーザー/共演:菅貫太郎、春川ますみ、新高恵子、木村功、斎藤正治 、原田芳雄、小野正子、蘭妖子、三上寛、原泉、サルバドール・タリ、粟津潔
◆寺山修司が自歌集「田園に死す」をもとに映画化した自伝的名作。映画監督の“私”は少年時代の自分を元に映画を作ろうと考えた。恐山近くの山に住み、西洋風の隣家に住む美しい人妻に憧れ、都会へ出て行くことを夢見た少年時代の記憶が蘇る…。八千草は少年が憧れる美しい人妻を魅力たっぷりに好演。
ハチ公物語
1987年/松竹/107分/カラー
監督:神山征二郎/脚本・原作:新藤兼人/製作:奥山和由/撮影:姫田真佐久/美術:西岡善信/音楽:林哲司/共演:仲代達矢、田村高廣、長門裕之、石野真子、柳葉敏郎、尾美としのり、春川ますみ、殿山泰司、加藤嘉
◆昭和初期、雪深い農家で生まれた秋田犬の子犬が東京の一家にもらわれ、周囲も感心するほど主人に忠実な飼い犬としてその生涯を全うした実在の忠犬ハチ公を描いた大ヒット作。渋谷駅のハチ公像の秘話を、当時の渋谷駅を再現し製作。八千草は、仲代達矢演じる主人公の大学教授の妻役を深い温かさで名演。
226
1989年/松竹/114分/カラー
監督:五社英雄/脚本:笠原和夫/製作:奥山和由/撮影:森田富士郎/美術:西岡善信/音楽:千住明/共演:萩原健一、三浦友和、竹中直人、本木雅弘、加藤昌也、丹波哲郎、仲代達矢、松方弘樹、渡瀬恒彦、根津甚八、長門裕之
◆二・二六事件の発生から終結までの四日間を、オールスターキャストで描いた五社英雄監督、奥山和由製作作品。昭和維新を掲げた陸軍の青年将校たちは、1500人にも及ぶ決起部隊を率いてクーデターを起こした。奥山和由が昭和史に残る一大事件を執念で製作。八千草はテロに遭う鈴木貫太郎の妻を堂々と演じている。
天国までの百マイル
2000年/日活/101分/カラー
監督:早川喜貴/脚本:田中陽造/原作:浅田次郎/プロデュース:奥山和由/撮影:田村正毅/美術:丸尾知行/音楽:藤井尚之/共演:時任三郎、大竹しのぶ、羽田美智子、柄本明、村上淳、ブラザー・トム、ベンガル、寺島進
◆実話を基にした浅田次郎の同名小説を原作に、奥山和由率いるチーム・オクヤマが製作したヒューマンドラマ。不況で会社は倒産、家族にも見放された男(時任)のもとに母親(八千草)が倒れたと知らせが入り、最愛の母を救うために心臓病の名医のところへ百マイルの旅に出る…。涙溢れる愛に満ちた名篇。
阿修羅のごとく
2003年/東宝/135分/カラー
監督:森田芳光/脚本:筒井ともみ/原作:向田邦子/撮影:北信康/音楽:大島ミチル/美術:山崎秀満/共演:大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子、小林薫、仲代達矢、中村獅童、桃井かおり、木村佳乃、長澤まさみ
◆昭和54年の冬、久しぶりに集まった四姉妹に、70歳を越える父親に愛人と隠し子がいることが発覚。だが、姉妹にも秘密や悩みがあり…。向田邦子の名作ドラマを森田芳光が映画化。昭和後期の女性たちの人生模様を、豪華人気女優陣がいきいきと名演。TV版で次女役の八千草は円熟味たっぷりに母親役を演じた。
くじけないで
2013年/松竹/128分/カラー
監督・脚本:深川栄洋/原作:柴田トヨ/撮影:石井浩一/美術:松本知恵/音楽:富貴晴美/共演:武田鉄矢、伊藤蘭、檀れい、芦田愛菜、上地雄輔、鈴木瑞穂、ピエール瀧、尾上寛之、黒木華、橋本じゅん
◆98歳で刊行された処女詩集がベストセラーとなった詩人・柴田トヨの半生を八千草主演で映画化した感動作。息子(武田)の勧めで詩を書き始めたトヨは、日々の想いを言葉に置き換えるうち、明治から平成までを駆け抜けて来た自身の思い出を振り返っていく。八千草はトヨを茶目っ気たっぷりに演じている。
このページのトップへ
ゆずり葉の頃
2015年/パンドラ/102分/カラー
監督・脚本・製作・企画:中みね子/撮影:瀬川龍 /美術:小林真木/音楽:山下洋輔/劇中画:宮廻正明/共演:風間トオル、仲代達矢、岸部一徳、六平直政、嶋田久作、本田博太郎、竹下景子、嶋田久作、田村奈巳、岡本真実
◆故岡本喜八監督の妻でプロデューサーの岡本みね子が、旧姓の中みね子で八千草薫と仲代達矢を主演にオリジナル脚本で初監督。戦時中の思い出の絵を捜しに旅に出た年老いた女性。彼女の人生と戦後の貧しい状況の中で胸にしまっておいた思いを綴った感動の人間賛歌。八千草の集大成とも言える名演に感動!
阿智胡地亭はこれまでブログにシネ・ヌーヴォのエントリーを多数アップしてきたがその中から一つ⇒こちら。
1、「時折、夕食をとりながらのんだり、しゃべったりする友人がいる。
しかし結局話の大半は忘れてしまう。
会っているときのおおざっぱな残像以上になにを知っているかと考えると、呆れるほど心もとない。
ただもう残像のよさでまた会うようなものだ。」
山田太一
2、「本を読まへんオトナが増えた。
だからコドモみたいな国になってしもた。」
田辺聖子
藤沢に住む友人のHMさんからこの本が友人の間を順番に回って私の所にきた。読み始めは寺島実郎の名より佐高信は割合知っているなと思って読み始めた。
途中まで読んで、この本は当たり前のことを当たり前に言っているだけだが、今の世の風潮では現状を批判的に記述することを避けるメディアが多いから
この本の書評はないだろうと思った。ネットで調べた限りでは大手新聞や週刊誌で取り上げられた形跡はやはりなかった。
寺島実郎は商社の情報部門の仕事を外国でやってきた人だから、個別の人名で各国に知り合いがいる。つまり実際に生活した外国をそこの人間を知って語っている。
だから普通の「アメリカでは・・」というような一般論ではなく現実的な具体的な提言が多い。しかしこの現実論を聞きたくない勢力が今の日本では大半のように思える。
読んでいって面白かったのは「微笑み鬱病」というタームと「誰も責任を取らない社会」というタームが出てきた事だ。
この言葉を今の日本で使うのはまっとうな人間だ。
本全体に通奏低音として流れるのは日本は今もアメリカの占領下状態にあり、53番目の州みたいな状態にあることを表現をあれこれかえて言っている。
その状態から脱し、真の日本の独立をとり戻そうと言うのがこの本で二人が言いたいことだと受け取った。
まずその占領下状態である事実を知ろうと訴えている。でも今の半植民地状態の方が自分達には有利でありがたいと言う勢力ががっちり日本を押さえている。
明治開国から昭和20年までの年数は78年、昭和20年の敗戦の年から今日までの年数が74年、間もなくその同じ年月の期間になる。
明治維新いらい日本は多くの先人たちが死に物狂いで不平等条約の是正のために努力してきた。
(Wikipediaから部分引用・・1911年(明治44年)2月21日、ワシントンD.C.において、駐米日本大使内田康哉とアメリカ合衆国国務長官フィランダー・C・ノックス(en)との間に、関税自主権回復を規定した改正条項を含む日米通商航海条約が調印され、4月4日に発効した[171]。1894年に結ばれた旧通商航海条約では、アメリカ政府は日本移民の入国・旅行・居住について差別的な法律を定めることができるとされていたが、その規定は改正条約では撤廃された。ただし、改正条約調印に際して日本側は、アメリカに対し、日本人労働者のアメリカ移住について過去3年間実施してきた自主規制を今後も継続することを確約し、新条約にはその旨の覚書を添付している。
イギリスとは相互関税協定を結び、4月3日に外務大臣エドワード・グレーと加藤高明駐英日本大使との間で改正通商航海条約が結ばれ、7月17日に発効した[172]。ドイツとは6月24日に日独通商航海条約を、フランスとは8月19日に日仏通商航海条約を調印したが、英・独・仏・伊との間には34品目において双務的な協定率を残すこととなった[173]。
ともあれ、ここに日本は名実ともに独立国家となって列強と完全に対等な国際関係に入ることとなった[144]。この時、マシュー・ペリーの黒船来航によって日本が開国してから、実に56年余の歳月が経過していた)
こうしてみると明治開国以来今日まで日本が真に独立国として各国と平等で対等だったのはわずか22年間である。
しかし現在の日本では、今の不平等な関係状態を固定化したままにしようとする勢力は圧倒的に強い。
寺島実郎さんはたまに書いたものを読むだけでよく知らなかったが団塊世代で、今の日本が何故このような状態になったのか、
ではどうしたら良いのかについて、戦後日本を生きた世代としての当事者の視界と覚悟を述べている。このような本の類書は近ごろあまり見なかったので良書を紹介してもらった。
またこの本を読むと昭和平成の戦後日本の現代史のポイントを読むことにもなる。
ところでお二人の著作の中では佐高信さんが1989年に書いた「逆命利君」を読んで面白かったのを思い出した。
(「命に逆らいて君を利する,之を忠と謂う」
住友商事初代総理事,広瀬宰平が好んで使った言葉という.
住友商事常務・業務本部長鈴木朗夫(あきお)の葬儀が,1987年10月6日杉並区和田堀廟所で挙行された.住商の社葬申し出を断り,鈴木家葬として営まれた.享年56歳,胃がんで逝った鈴木は,ジャン・コクトーに心酔した教養人であり,ワーカホリックの日本人を軽蔑しながら,仕事は抜群にできた.弔辞を読んだのは,社長伊藤正である.
伊藤は,「上からの命令に逆らっても,あえて正しいと思うことを言う.そして君に利することこそ忠なんだということでしょう.大体,下のものが上のものに,あなた間違っていますよと,面白半分にいえるものじゃないんですよ」と,鈴木を評している.「伊藤さんは教養が足りない」といわれながら,鈴木を引き上げていった伊藤,この本は二人の確執を軸に日本の企業社会を描く.
「国際化」は本来「内を開く」ことであり,社畜の生活から脱却することである.佐高さんは,このムッシュウと自分を呼ばせたキザな男に辟易しながら,屈従と非合理が支配する日本企業への果敢なチャレンジャーとしての一面を評価して,面白い物語をつくりあげた.佐高人物評伝の代表作 WEDGE 2006年1月号.)
1)A:「オレが金持ちになったんは、あのヨメさんと結婚したおかげや」
B:「結婚する前は、どうやったんですか?」
A:「大金持ちやった」
2) 3人の男が話してました。そのうちの2人は、自分がどんなに亭主関白かを言うてましたが、3人目の男は黙ったままでした。
しばらく自慢話が続いた後、1人が 3人目の方を向って言いました。
「なあ、お前のところはどうなんや?」
3人目が言いました。「ほな言うけどな、この前の晩、ウチの奴が床に両膝をついてオレの所に来たんや。おまけに手エもついてやで」。
2人が驚いて言いいました、「それからどうなったんや?」
あいつはこない言いよった。
『ベッドの下からはよ出てきて、男らしう向かってきたらどうなのよ』
3)若い方:「囚人の方が夫よりまだましや、言うてはったけど、どこがましなんですか?」
年配者: 「囚人はやなあ、服役態度が良かったらな、釈放して貰えるんや」
4)「ママ、ボクも海で泳いでいい?」
「ダメよ、遊泳禁止って書いてあるでしょ。
このあたり、今年の夏、サメが出るんですからね。」
「……でもパパは泳いでるやん。」
「パパはいいの。保険に入ってるから。」
5)「パパ、こんど学芸会に出ることになったんや。
お父さんの役やで。見に来てな」
「何やて?なんで台詞のある役、もらわんかったんや?」
ちゃんちゃん
文部省を筆頭に各中央官庁の高級官僚の男女子弟の殆どは幼稚園、小学校から私立の学校に行っていると聞いたのはもう14,5年前です。
そして今回の首相候補のお三方が全員中学高校は私立の学校の卒業生なのを知りました。高級官僚やお役人の子供だけでなく、政治家連も日本国の公立学校教育を避けて、子供や孫の2世、3世を私立の学校へやっている人が多いのでしょうか?それとも今回だけが特例なのでしょうか?
国家の管理のもとで県や市町村が運営する公立小中高の学校に、自分の子供たちを就学させない官僚と政治家達に、「君らには愛国心がない」とか、[
「学校教育に問題がある」とかの御託を並べられたくないと、祖国愛に溢れる辛好は思ってしまいました・・。ハイ。
ちなみに間違いなく次期日本国首相になる安倍晋三さんのプロフィルは;
1954年(昭29年)9月21日 安倍晋太郎・洋子夫妻の二男として生まれる。
(母、洋子さんは元首相、岸信介の長女 )
1960年(昭35年) 成蹊小学校入学
1966年(昭41年) 成蹊中学校入学
1969年(昭44年) 成蹊高等学校入学
1973年(昭48年) 成蹊大学法学部政治学科入学
1977年(昭52年)3月 成蹊大学法学部政治学科卒業
1977年(昭52年)4月 米、ヘイワード語学学校留学
1977年(昭52年)9月 米、南カリフォルニア大学政治学部に入学許可
1979年(昭54年) 米、南カリフォルニア大学政治学部を中退
1979年(昭54年)4月 株式会社神戸製鋼所入社、1982年11月退社
1982年(昭57年)11月 外務大臣秘書官(安倍晋太郎秘書)
2000年(平12年)7月 第二次森内閣 官房副長官に就任
2002年(平14年)10月 小泉改造内閣 官房副長官に就任
2003年(平15年)9月 自民党 幹事長に就任
2004年(平16年)9月 自民党 幹事長代理に就任。同時に党改革推進本部長に就任
2005年(平17年)10月 第3次小泉内閣 官房長官に就任
麻生太郎さん(母、和子さんは元首相、吉田茂の三女)は学習院初等、中等、高等科から学習院大学、谷垣禎一さんは、麻布中学、麻布高校から東京大学と言う教育歴をお持ちです。
小学校から大学までいわゆるエスカレーター式に上がれる学校であれば、毎回の入試のための余分な受験勉強をせずにすむ。
青春時代に一切そういう無駄なエネルギーを使わずに過ごした安倍さんは、正義感あふれた一本気の良家のボンらしく、日本国の舵取りをやってくれるでしょう。
成蹊学園(クリック)と言う私立の学校法人はよく知りませんが、小学校から大学までそこで育まれた彼が持つ世界観や歴史観でこれからの日本が差配されていくのは間違いないでしょう。
アメリカをすっ飛ばして中国と手を結んだために、首相の座から放りだされたほぼ小学校出の田中角栄さん!貴方が下手うったばっかりに、
貴方を放り出した連中好みの首相がまたまた生まれそうですよ。