昨夜、YouTubeのチャンネルAVRO Klassiekをほぼ半年ぶりに訪問しました。バッハ関連の新しい動画がアップロードされており、ダニエル・レウス指揮のイル・ガルデリーノとカペラ・アムステルダムによるBWV232、ロレンツォ・ギエルミ指揮(オルガン)のラ・ディヴィーナ・アルモニアとザルツブルク・バッハ協会コレギウム・ヴォカーレによるBWV159とBWV22、トン・コープマン指揮(チェンバロ)のアムステルダム・バロック・オーケストラによるBWV202とBWV1048、ピーテル・ヤン・ベルダー指揮(チェンバロ)のムジカ・アンフィオンとジェズアルド・コンソート・アムステルダムによるBWV4とBWV80、と興味深いものがズラリ。
どれもなかなかおもしろいのですが、レウス指揮のBWV232(ミサ曲ロ短調)では、注目すべき演奏実践をみききすることができました。それは、第1トランペット奏者がホルン奏者をかねるというもので、そのような演奏実践の見聞は、個人的にはこれがはじめてです。四半世紀まえからの疑問、バッハは「ミサ」の全12曲中、第11曲「クォーニアム」のためだけに、ホルン奏者を待機させたのだろうか。それは節約家バッハらしくない、と。パート譜を献呈したドレースデンの選帝侯宮廷では、そういう贅沢な編成もありえたのかもしれません。しかし、第1トランペット奏者にホルンも吹かせていた可能性もあるとも思っていました。
じっさい、連続して演奏される第11曲「クォーニアム」と第12曲「クム・サンクト・スピリトゥ」ですが、ホルンからトランペットに持ち替える時間は1小節分。理論上は可能なはずです。しかし、時間にすると2~3秒というところでしょうから、かんたんではないことはたしか。図像にみられるように片手で、たとえばホルンを左手で、トランペットを右手で、というふうに吹けばよいのでしょうが、指孔のある楽器ではそうもいきません。期待していたシギスヴァルト・クイケンたちのBWV232(ジャン・フランソワ・マデゥフが録音に参加していることが予想された)でも、第1トランペットはマデゥフでしたが、ホルン奏者はべつにいて、期待した演奏ではありませんでした。
クイケンは、献呈されたパート譜にホルンが独立してあることを重視したのかしれません。もし、第1トランペットとホルンが同一奏者によって吹かれることを想定しているならば、ホルンのパートは第1トランペットのパート譜に記入されているはず、そうでないのだから、ホルン奏者はべつにいたというわけなのでしょう。自筆総譜でも、ホルンのパートは第1トランペットにつながっておらず、第1ソプラノにつながっています。ちなみに、これも問題ありな2部のファゴットも、第1が第2ソプラノ、第2がアルトへとつながります。第1ソプラノがホルンを演奏していたというわけはなく、おそらく譜表としてそれがみやすかったということなのでしょう。
さて、レウス指揮の演奏では、第1トランペットのサイモン・リリーがホルンも吹いています。ホルンには親指で押さえる指孔が2つ開いているようで、両手で下からささえるようにかまえています。「クム・サンクト・スピリトゥ」では、まずホルンで、おそらく第3トランペットのパートを第7小節まで吹き(第1と第2は第2と第3がくりあがり)、第9小節から第11小節までは第3トランペットなしのまま、くりあがった第1と第2のみで吹奏、第25小節からはもとの編成にもどるというものでした。トランペットも指孔ありで両手でかまえるため、1小節分での持ち替えはさすがに無理だったようです。しかし、これこれでは画期的といえる演奏実践だと思います。
こうしたアイディアはだれによるものなのか。オーケストラの編成を、イル・ガルデリーノの創設者マルセル・ポンセールがまかされていたとすると、ポンセールの発案なのでしょうか。あるいは、ヨーローッパではこのような演奏実践が標準的になりつつあるのでしょうか。知らないうちにそうなっていたのかもしれませんが、YouTubeにアップロードされていた、レウス指揮のベルリン古楽アカデミーによるBWV232では、第1トランペット(ちなみにウテ・ハルトヴィヒ)とホルンはべつ奏者でした。紹介した演奏実践が、四半世紀来の疑問の唯一の正答というわけではないと思いますが、できればマデゥフによる指孔なしの録音を期待したいところです。