お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

酸ヶ湯温泉塾(青森市酸ヶ湯温泉)

2008年05月02日 |  ✑講話・発表・主催

映像:日本温泉地域資産の講演をする酸ヶ湯温泉ハッピを着た泉研代表(2008.4.29)

平成20年度事業がスタートした。本年度の温泉地活性化研究会の事業テーマは『人材育成』。温泉地・温泉人の意識醸成事業(温泉フォーラムなど)からのステップアップである。温泉地の指導者、もしくは温泉プロ育成支援の事業で、本事業はむつ小川原地域・産業振興プロジェクト支援も得ている。

千人風呂から上がったお客様で賑わう酸ヶ湯温泉正面フロアはミニ講演会場になった。このようなライブ講演は始めてである。背後の混浴千人風呂には次から次と入浴客が吸い込まれ、湯上りの人々に囲まれながらの講演&入浴指導であった。

酸ヶ湯温泉の『混浴マナーアップ作戦』の協賛・支援という形であり、同温泉の全面的な協力のもとに実施。事業的には従業員の『温泉プロ』養成という意味合いを持ち、『酸ヶ湯温泉混浴入浴マナーアップ作戦』の企画・実施などのコーディネート、実地指導を行った。事業は4月26日から5月5日のゴールデンウィーク中実施される。

評価・指導:入浴マナーアップに向けての、方策、広報、入浴指導、健康指導など『酸ヶ湯温泉』の温泉プロ意識の醸成が観察・確認できた。次へのステップは今回の事業を受けて、実際の入浴客への浸透、安心・安全・快適の入浴効果を『温泉入浴指導員』が審査マニアルに従い実施、必要な改善策を提言し、次年度の当温泉地の自立した活動へとつなげる。
 

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紫波城址(陸奥国紫波郡:盛岡市)

2008年05月02日 |  🏰城郭史跡探訪

盛岡市の南、岩手山が美しく見え始める紫波の地に坂田村麻呂が築いた城塞跡。
高速道路を南下してくると左手に見える。何時も不思議な構築物と思いながら
高速を走ったものだ。近くで観察するとビックリ。なんと壁は土壁だ。 1200
年前の北東北は蝦夷がまだ勢力を有した時代。朝廷がこの時代、北の蝦夷掃討
を行っていた歴史的証人がこの古代城壁である。 日本最大の復元土塁構築物

城郭:古代城柵 築城主:坂上田村麻呂(803年)遺構:政庁跡 指定:国の史跡

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花時計・雨ニモマケズ(宮澤賢治)

2008年05月02日 |   ✑文学逍遥 紀行

映像:宮澤賢治記念館隣接『下ノ畑ニ・・・』の花壇にある花時計。賢治は花巻温泉
   の花壇庭園も設計し、同様の花時計を設置している。

賢治は岩手県をエスペラント語風に、『イーハトーブ』と呼称した。何やらユートピア
の響きがある地名に私は特別な感情を抱く。賢治にとって『イーハトーブ』が愛する
郷・理想郷だったのだ。花巻に隠棲した高村光太郎の愛妻智恵子、賢治の愛妹とし子、
共に日本女子大学校に身を寄せた縁もまた意味深い。高村光太郎の『高村山荘』での暮
らしはこの理想郷と、宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』の魂そのものだ。賢治と光太郎の
不思議な交わりは「イーハトーブ」で完結する。宮澤賢治の詩で光太郎&賢治を追慕する。

~雨ニモマケズ~:宮澤賢治(この詩は彼の死後、手帳のメモから発見された)

雨ニモマケズ ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ ここまでは高村光太郎の花巻での7年の暮らしそのもの

東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニ喧嘩ヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ 寒サノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウ者ニ 私ハナリタイ

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