映像:晩年、小林一茶が暮らした土蔵。ここが自然(動植物)愛の句を生む
小林一茶は、居宅母屋が火事になり、晩年隣の土蔵で暮らした。その様は
昭和の詩人高村光太郎の山荘にも似ていた。土壁と囲炉裏机と布団の空間
現代では考えられない。生活も限りなく単純化するとこうなるのだろうか?
筆者厳選句:一茶はおよそ22,000の句を成したがその中で好きな句を数首
『やせ蛙 まけるな一茶 是にあり』
『我と来て あそべや 親のない雀』
『雪とけて 村いつぱいの 子供かな』
『春風や 牛に引かれて 善光寺』
『名月を とつてくれろと なく子哉』
『やれ打つな 蝿が手をすり 足をする』
解説:一茶の句は、ほのぼのと人情味あふれるものだった。「われと来て 遊
べや親の ない雀」は自分の境涯を歌ったとされて孤独な境遇を物語る。
映像:一茶記念館俳諧寺にある一茶の節目の句碑
小林一茶は山頭火同様放浪の俳人であった。違いは貧しい農民と豪商の出。
一茶のふるさと回帰は農民という大地に生きる民ゆえの結末。一方山頭火
は根なし草で、根っからの放浪の民(行商人)。この二人の対比がきわだつ
碑文:『 是(これ)が まあついの栖(すみか) 雪五尺 』 (一茶)
解説:一茶は50歳にして、35年の放浪の生活に終止符を打つ。この後三回
も結婚して、4人の子どもを得る。15年で旅立ち、15年の老後を過ごす。
この句は帰郷時の心象を詠んだもの。雪五尺とは人の背丈ほどの積雪を現わ
し、これまでの歩みの重さ、古里の厚み、雪解けの春…様々な思いが凝縮。
参照:種田山頭火句碑(大分県湯平温泉)