弘前城 四の丸 賀田橋 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
もう何回もこの場所を通過しているのに、そしてこの橋を渡っているのに。ただの小橋
と思っていたら、ナントちゃんと名前が付いていた。「賀田橋」。この賀田という地名
は岩木川対岸の岩木町名名称であった。ここでも弘前城と岩木町(大浦) の関係が分かる。
推察:岩木町は藩政時代には大浦と呼ばれていた。何故岩木山麓に大浦の地名があるの
か疑問も持たなかったが、岩木川河岸の重要な港(大浦)と、津軽氏がもともと
西海岸北前船港町鰺ヶ沢勢力で旧名も大浦氏を名乗っていたという由来が見える。
北前船の利益で勢力を増した大浦光信の三代目が大浦為信、後の津軽為信である。
現在、津軽為信の銅像が鎮座する周辺も江戸期から大浦町の地名が残る歴史的地。
参照#弘前城トレッキング 2024