石炭を掘ると出るのが規格に合わない石炭くず、それを溜めて出来るのが『ズリ山』、
九州では『ボタ山』と呼んでいる。炭鉱には必ず見られる産業遺産。たいていは危険
物とされるが、此処赤平市は保存している。北海道では夕張市が産業遺産として保存。
を示すのみ。道央の彼方此方に石炭の産業遺産が放置されている。
赤平市:人口14千人(石炭産業で栄えた最盛期時、59,430人の人口(1960年))
空知川流域の街、炭鉱産業遺産を生かした観光に力を入れている。
十勝岳、最後の温泉地十勝岳温泉にやって来た。温泉宿の左斜面にあるのが
この十勝岳登山道。ここから十勝岳~トムラウシの東大雪山縦走路が始まる。
筆者は同行した温泉&登山家のついて行って中腹から引き返した経験がある。
感慨:この十勝岳登山口にある温泉が『十勝岳温泉』麓から此処迄くると大
雪山系十勝岳に来た実感が湧いて來る。露天風呂からの十勝岳は格別。
参照#先代が亡くなり後継の若女将は地元のリーダー『陵雲閣十勝岳温泉』
記録:標高2,077m、十勝火山群、日本百名山、花の百名山
休業情報:2009年2月28日に閉館した
南富良野、富良野、中富良野、上富良野を経て美瑛岳山麓白金温泉に着く。何軒か施設
がある中、公営施設町営保養所を選択。湯船は普通だがなんとも味わい深い源泉が掛流
しされていた。十勝岳連山の温泉力の一端が窺える。十勝岳連山3名湯の一つを味わう。
【Data】含塩化土類-芒硝泉 46.5℃ PH6.6 源泉:白金温泉(白銀15・19号泉混合)
北海道新得町十勝川沿岸にある温泉。残念ながら温泉は源泉掛流しとはいかない。
流れも穏やかになった十勝川源流を眺めながらの一服湯。銭湯に比べたら我慢可。
【Data】弱食塩泉 29.9℃ PH7.7 源泉:レイク・イン(くったり湯)
※他にトムラウシ温泉からの搬送湯を使用した湯船もある。
≪Mémoireメモワール:La Station(宇品旅客ターミナル:広島港)2003.10.10≫
映像:船はスーパージェット道後、背後の山は安芸の小富士(似島)
四国を一周して、松山から瀬戸内海をスーパージェット道後で渡る。
瀬戸内の船旅は快適であった。広島上陸後は高速バスで三次まで
三次の親戚案内で三瓶温泉同宿、そこで別れ山陰の温泉探査予定。
旅録:松山から広島(宇品旅客ターミナル)までは凡そ一時間。
映像:土管を縦にした貯湯槽から強アルカリ性の生湯がドバドバとプールに溢れ出る。
帰り道、十勝ダムを少し過ぎた辺り左に分かれ道がある。余り知られていないオソウシ
温泉。源泉温度は26.9℃。 41度まで沸かして使用。しかし、露天風呂は26度の源泉を
掛け流している。 PH10で日本でも稀なアルカリ度。最初は冷たいと思ったのだが中々
どうして気持ちがよい。これは真冬だったら尚いいのだろう。貴重な温泉体験となった。
低温にも慣れ、辺りを観察するとシカの足跡が無数にある。宿の主人に問うたら、鹿が
この源泉を飲みに来るのだそうだ。鹿にとってはミネラルタップリの命の泉なのだろう。
そこで、筆者はこの貴重な超美人湯を『鹿命(ロクメイ)の湯』と命名することとした。
【Data】単純硫黄泉 泉温26.9℃ PH10 155ℓ/min 自然湧出 源泉:オソウシ温泉
解説:アイヌ語でオソウシとは川口に滝が多くあるとの意味らしい。ヒグマ🐻に注意。
早朝のトムラウシ温泉は慌ただしい。宿泊したパーティが
三々五々登山口から登山開始。今日は時雨れた天候無事目
的を達すればよいのだが。登山口記帳箱に名簿を格納出発。
(2007.8.23(木)5:13)
記録:標高2,141.19m、大雪山系、成層火山、美瑛町~新得町
参照#トムラウシ山登山口隣接トムラウシ温泉東大雪荘(新得町)
十勝川源流だ。この渓谷を辿るとトムラウシ山だ。この近辺は開発時代はヒグマ遭難の地。
渓流沿いの獣道にヒグマの影を追ったが発見できなかった。
された様はこの像に対する深い祈りが感じられる。ダムのできる前はこの地は奥地への
交通難所断崖絶壁と記されていた。ダムに埋没した集落、被災者への供養の像だろう。
念仏坂:この母子像のある場所はダムのできる前、急峻な崖で奥地への難所だった。
通る姿が崖に張り付くようっだったので念仏坂と名づけられていた。