(1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された「サラエボ事件」で使用された拳銃だそうです(ロンドンの帝国戦争博物館に展示)。この事件がきっかけとなり、開戦圧力に流されるような各国対応によって第一次世界大戦が開戦しました。“flickr”より By tezzer57 http://www.flickr.com/photos/tezzer57/3190406441/in/photolist-5RVEFB-6fh2i9-6iQdJr-6ngX6G-6BJ6cQ-6Ryy1W-7vVXAc-83SKpY-9eLpmH-95kGa6-az5hp9-9AWvsC-9Wkorv-95kHF4-ddzPxL-8wabih-9Y4Fwp-awghRw-bAmPwq-eSo9q2-faTq8W-a4pZwU-a6kVFf-a4pCAo-a6vcBm-a4pbP3-a6s3Ti-a6hZJk-a6kYDU-a4pza5-a4pfB9-a6s3eZ-a4nnGB-a6uZMj-a4mqBZ-a4nmmc-a6s7pH-a4naup-a4qcvs-a4pAxS-a4mFUD-a4mhzt-a4q39y-a4mKYD-a4pBAS-a6v3ib-a4qa9C-a6kJBJ-a4mndp-a6kHSW-a4pDDb/)
【靖国参拝後の中韓米の対応】
昨年末に行われた安倍晋三首相の靖国神社参拝については、中国当局および中国メディアは厳しく反発していますが、国民レベルでの抗議行動などはいまのところ抑制されているようです。
“中国国内では同日(12月27日)午前の時点で、目立った抗議活動は起きていない。北京の日本大使館周辺では不測の事態を警戒して通常より多く警察官や警察車両が配置され、正門前を行き交う通行人にも目を光らせていた。上海でも日本総領事館周辺の警備が強化されている。
インターネット上でも、過去の反日騒乱時に見られた、具体的な日時を指定して抗議活動を呼びかけるといった書き込みは、確認されていない。”【12月27日 毎日】
“北京の日本大使館付近では28日午後、安倍首相の参拝に抗議し、一人の中国人の男が横断幕を掲げようとしたが、警備を強めていた当局者に取り押さえられた。”【12月28日 毎日】
個人的にも、ミャンマー旅行のため、12月29日に昆明で、1月4日に北京で各1泊しましたが、特段の緊張感みたいなものは感じませんでした。
しかし、日中間の関係改善は今まで以上に厳しくなっているのは当然の流れです。
****首脳会談、改めて拒否=安倍首相主張は「偽り」―中国****
中国外務省の華春瑩・副報道局長は6日、安倍晋三首相が年頭記者会見で日中首脳会談実現に意欲を示したことに対し、「安倍首相は関係発展を主張するが、実際には偽りだ。自らの手で中国指導者との対話の門を閉めた」と述べ、首脳会談に応じない考えを改めて強調した。
華副局長は「安倍首相は中日関係の大局を損ない、中国人民の感情を傷つける誤った行動を相次いで取ったばかりか、靖国神社に参拝し、中日関係の政治的土台を壊した」と非難。「中国人民はそうした指導者を歓迎しない」と述べた。【1月6日 時事】
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イギリスの新聞紙上で、日中の駐英大使が互いの国を、英人気児童小説「ハリー・ポッター」シリーズに登場する悪役の魔法使い「ヴォルデモート卿」呼ばわりする中傷合戦がなされた・・・というのは、いささか噴飯ものです。
やや意外だったのは、韓国の反応が想像したよりは抑制的なことです。
中国と連携することへの警戒感も指摘されています。
****靖国対応で温度差=中国との連携に慎重?―韓国****
韓国外務省は1日、中韓外相の12月31日の電話会談について発表文を出したが、安倍晋三首相の靖国神社参拝に関する言及はなかった。中国外務省は参拝問題で両国が厳しい立場を示したと発表しており、中韓の温度差が浮き彫りとなった。
中国の発表は、王毅外相が会談で「中韓は安倍首相の行為を厳しく非難した。われわれの反応は正当だ」と発言し、尹炳世韓国外相が「参拝に反対する韓国政府の厳しい立場」を表明したとの内容だった。
これに対し、韓国の発表文は「最近の北東アジア情勢など関心事を協議した」と述べるにとどまり、関連部分の具体的内容を明らかにしなかった。
韓国の聯合ニュースは「日本との歴史問題をめぐり、王外相が韓国側に連携を呼び掛けたとの観測があるが、韓国政府は『国ごとに対応する問題』との立場だ」と解説。
その上で「韓国政府は日本と協力する分野もあり、韓米日の協力の必要性もある」とし、「歴史問題で中国と全面的に連携するのは望ましくないというのが政府内外の雰囲気だ」と伝えた。【1月1日 時事】
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朴槿恵大統領の新年記者会見も、日本批判は抑制的に見えます。
****日本批判のトーン抑えた朴大統領、その狙いは・・・****
韓国の 朴槿恵 ( パククネ )大統領は6日の新年記者会見で、安倍首相の靖国神社参拝への直接の言及を避けるなど対日批判のトーンを抑えた。
日韓首脳会談の年内開催の余地を残し、最重視するいわゆる従軍慰安婦問題で安倍政権から前向きな措置を引き出す狙いとみられる。
朴大統領は、「私は今まで韓日首脳会談をしないと言ったことはない」と強調し、「事前の十分な準備の下で推進されなければいけない」と意欲もにじませた。
対日批判を抑制した背景について韓国政府関係者は6日、「日韓は来年、国交正常化50周年を迎えるため、年内に関係を改善させる必要がある。非難の応酬で関係を一層悪化させることは避けなければならなかった」と説明した。
日韓の外交当局は昨年9月以降、首脳会談の開催を目指し、慰安婦問題を含む諸懸案について解決策を探る水面下交渉を続けてきた。
大統領は、首脳会談に応じるための成果として、韓国の元慰安婦に対して公式謝罪や補償をすることなどを求めているとみられる。
だが、安倍首相はこうした韓国側の求めには応じないとみられ、大統領が今後、再び対日批判を強める可能性もある。【1月7日 読売】
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国際関係の面からは、アメリカの日本への“失望”が注目されています。
日本にとって最悪の想定をすれば、中国との関係が最大関心事であるアメリカと中国が日本の頭越しに「新しい関係」構築に向かう流れを加速し、枠組みから疎外されたと感じる日本は更に自己主張を過激化させ・・・という方向も危惧されます。
【日本自身の問題としての靖国】
もっとも、靖国神社の問題は、関係国がどのように反応するかといった国際関係の問題である以前に、すぐれて日本国内の問題です。
戦前日本の歴史・社会をどのようにとらえるのか、そのなかで重要な役割をはたしてきた靖国神社をどのように考えるのか・・・という問題であり、今後の日本の針路を決定する問題でもあります。
単に、国家のために戦った英霊を祀るのは云々の話ではなく。
おそらくこうした見方は今や絶滅危惧種的に流行らない考えであり、この問題について語るほどの知見も持ち合わせていませんので、これ以上の深入りはしませんが、ひとつ気になったのは参拝後の安倍首相の記者団とのやり取りの戦争指導者の責任に関する部分でした。
****安倍首相靖国参拝:記者団に語った発言要旨****
−−戦争指導者の責任についてはどのように考えるか。
首相:我々は過去の反省の上に立って、戦後、しっかりと人権を、基本的人権を守り、民主主義、自由な日本を作ってまいりました。そして今や、その中において世界の平和に貢献をしているわけでございます。今後もその歩みにはいささかも変わりがないということは重ねて申し上げておきたいと思います。【12月26日 毎日】
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“過去の反省”という中身が不明な言葉で片付けられ、戦争に関する指導者や靖国神社の有する責任をどのように考えるのかは一切語られていません。
印象としては、戦争責任云々といった話はしたくない・・・という首相の気持ちが伝わってきます。
「安倍首相が22年間続く経済低迷の収束を図っているのは明らかだ。おそらく安倍首相は、国家主義の推進や過去の再解釈、日本人としての自己肯定の強化、防衛力増強、国際問題をめぐる受動的姿勢の転換が、その方法だと考えているのだろう」(香港科技大学のデビッド・ツバイク教授【1月6日 AFP】)という安倍首相が、先の戦争、戦前日本についてどのように評価しているのかが見えないところに日本国民のひとりとして懸念を感じますし、周辺国も同様でしょう。
【「ミュンヘンを繰り返すな」という強硬論のもたらす破局】
話を日中の・・・というよりは、国際関係一般に戻すと、およそ国際関係へのアプローチとしては、互いに譲歩することで合意を得る道と、強圧的な対応によって自国主張を認めさせる方法のふたつがあります。
しかし、譲歩することは国内世論からは宥和的との“弱腰”批判を受けるため、相当な指導力がないとできないところで、一般的には国内の強気な世論に迎合するような後者の道がとられることが多いと思われます。
強圧的な、脅しともとれる対応は、相手がそれにひるめば一定に効果がありますが、多くの場合、相手も国内の弱腰批判を恐れて、更に強気な対応にエスカレートさせることになります。そうした対応がエスカレートする行く末には悲劇的破局が待ち構えています。
****第1次世界大戦100年 日中関係でも「ミュンヘン」より「サラエボ」を考える時だ****
(フィナンシャル・タイムズ 2014年1月6日初出 翻訳gooニュース) ギデオン・ラックマン
役に立たない強がりは子供の遊び場に置いてこよう。国際関係にはふさわしくない。
過去について考えれば「現在」への取り組み方が良くなるだろうか? もしそうなら、第1次世界大戦の勃発から100年を迎える今年が、現代の政治家たちへの教訓になると良いのだが。政治家たちは「ミュンヘン」を心配するより「サラエボ」についてじっくり考えた方がいい。
「サラエボ」と「ミュンヘン」はもちろんそれぞれ、第1次世界大戦と第2次世界大戦の勃発に先立って起きた外交危機のことだ。ところがこの2つの出来事は、国際問題に対するかなり対象的なアプローチの支持材料として、それぞれ使われてきた。
国の指導者たちが「ミュンヘンを繰り返すな」と言う場合、それはほとんど決まって、敵対行為には強硬姿勢(それは大抵、軍事行動を意味する)で応えるべきだという意味で使われる。しかし「サラエボ」を引き合いに出しているなら、状況に流されて戦争に引きずり込まれるなと警告しているのだ。
一般的に、1938年のミュンヘン危機は英仏の大失敗だったと言われている。あの時点でヒットラーとの対決を避けたがゆえに、戦争は拡大してしまったのだと。
一方でほとんどの歴史家は、1914年のサラエボで起きたオーストリア大公暗殺事件を引き金にした一連の出来事については、あれで欧州が戦争になだれこんでいったのは実にとんでもないことだと批判する。
第1次世界大戦の勃発を取り上げた読み応えのある新著『The War that Ended Peace(平和を終わらせた戦争)』の著者マーガレット・マクミラン氏は、「1914年当時の主な当事者の中には、高まる開戦圧力にあえて対抗するだけの勇気をもった偉大で思慮深いリーダーが、ひとりもいなかった」と嘆いている。
ナチズムとの戦いの方がより最近だからだろうか。1945年以降、欧米の思考法に圧倒的な影響を与えてきたのは「ミュンヘン」のたとえだ。
ジョン・ケリー米国務長官は昨年夏、シリアの化学兵器使用を「われわれにとってのミュンヘン」と呼び、そして欧米の決意の程を示すにはアサド政権にミサイル攻撃をしかける必要があると呼びかけた。
実際には「ミュンヘン」のたとえで、欧米の政治指導者はこれまで何度も失敗してきた。それでも「ミュンヘン」の人気は衰えない。1956年のスエズ危機ではアンソニー・イーデン英首相(実際のミュンヘン協定に異を唱えていた)が、エジプトのナセル首相に対決し英軍を派遣するため、正当化の根拠としてヒットラー宥和の教訓を引き合いに出した。
リンドン・ジョンソン米大統領も、ベトナム戦争正当化に「ミュンヘン」を使った。2003年のイラク戦争開戦についても、支持者たちは「ミュンヘン」を唱えてサダム・フセインに対する軍事行動を呼びかけた。
どれも当時は、軍事力の行使はタフで断固たる態度のように思えたものだ。しかしどれも結局は、とんでもない大間違いだったということに後からなった。
対照的に、1963年のキューバ危機でアメリカとソ連が核戦争に突入しそうになった時、ジョン・F・ケネディ米大統領は、軍事行動を進言する側近たちを無視する勇気を持ち合わせていた。
第2次世界大戦の従軍経験をもつケネディは、ミュンヘン危機の時代に生きていたわけだが、キューバ危機の当時に念頭にあったのはサラエボだったのかもしれない。
マクミラン氏によると、大統領がキューバ危機の直前に読んでいたのは、第1次世界大戦の勃発を描いたバーバラ・タックマン氏の名著『The Guns of August(八月の砲声)』だったそうだ。
今の世界を見渡せば、「ミュンヘン」を繰り返す危険よりも「サラエボ再び」の危険の方がより切迫しているように思える。
世界を股にかけて大暴れしてやると脅かす独裁者は、今はいない。バシャル・アル・アサド大統領の野心は、シリア国内での権力維持にとどまっているようだ。
しかし、1914年に至る数年の間で台頭するドイツが近隣諸国を相手に対決姿勢を続けたように、今では台頭する中国がいくつかの近隣諸国、とりわけ日本ともめている。
日中関係は過去の戦争の苦い記憶に毒されてしまっている。それは、1世紀前の仏独関係が1870~71年の普仏戦争の記憶のせいで険しいものになっていたのと同じだ。
1914年になると、当時の覇権国イギリスは、台頭するドイツとのライバル関係のせいで、そして仏露との同盟のせいで、戦争に引きずり込まれた。
今では、中国の台頭を懸念するアメリカが、日本との同盟関係ゆえにアジアの紛争に引きずり込まれるかもしれないというのが、明らかな危険としてそこにある。
1914年の各国指導者は周りから強く見られること、そして自分たちの名誉(今ではそれを「信頼性」と呼ぶ)を守ることに熱心なあまり、紛争の瀬戸際から後ろに退くことができなかった。
もし日中間の緊張が再び高まったりしたら、各国のリーダーたちはサラエボ危機を振り返ってみるといい。そうすれば1914年と同じ罠にはまらずに済むかもしれない。
しかし残念なことに今の政治家の多くは未だに、ミュンヘン的な発想で他国との対立関係に臨んでいる。東シナ海で後退することで「弱く」見られても構わないという発想は、日本にも中国にもない。
アメリカもまた、タフなところを見せなければ自国の「信頼性」が傷つくと心配している。
とあるオバマ政権高官は昨年、私に対して、米海軍による中国沖の巡視活動に中国が反発するのは分かるが、弱みを見せたと思われてはならないので、米側は巡視活動を減らせないのだと説明してくれた。これはまるで遊び場における4歳児の発想だ。しかもそういう考え方はもう止めなさいと、大人に諭されるような。
しかし残念ながら国際関係では、これが未だに支配的な思考法らしい。ミュンヘン的な発想はあまりにがっちり染み付いているので、それを変えるには本格的な知的変換が必要となる。
100周年を機に今年は第一次大戦の色々な記念行事が行われるだろうが、あるいはそれが、必要な知的変換のきっかけとなるかもしれない。
他国との対立関係に危ないマッチョな態度を持ち込むのは控えるよう、各国指導者たちに呼びかけるきっかけになるのかもしれない。
東アジアで緊張が高まり、中東で紛争が広がる今、第1次世界大戦の100周年は大事なタイミングでめぐってきた。それが何かの良い変化をもたらしますように。【1月8日 フィナンシャルタイムズ】
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ひとつ付け加えるなら、各国指導者に児戯に等しいマッチョ的対応をとらせるのは、そうした強硬姿勢を望む国民世論であり、それを煽るマスメディアである・・・ということでしょう。