(イラク北部シンジャルからクルド自治区へ避難してきたヤジディ教徒の家族 “flickr”より By Ogbodo Solution https://www.flickr.com/photos/124724222@N05/14671292130/in/photolist-omsd1A-oCz7DY-ojRZd5-omuPbR-oE88xa-okShKG-oCEgWM-omnone-okSMPo-oAmaBS-oAQvQG-okJfNx-oAT2Az-oCk82h)
【これまでのイラク情勢:“漁夫の利”のクルド人、独立への動きも】
これまでのイラク情勢は、主に急拡大するスンニ派イスラム原理主義「イスラム国」とシーア派主導の中央政府・マリキ政権の攻防という構図でした。
この間、北部のクルド人はかねてより領有権を主張していた油田地帯キルクークを中央政府撤退の間隙に占有するなど、“漁夫の利”を得る形で、分離独立への動きが強まることも考えられる・・・とも言われてきました。
****クルド自治区独立の可能性 カギ握る米国の態度****
エコノミスト誌6月21-27日号は、混乱のイラクにあってクルドが力を増しており、クルド指導部は事態を静観しているが、状況はクルド独立に有利になってきた、と報じています。
すなわち、イラクの混乱が拡大する中、クルド自治区では通常の生活が続いており、クルドの力は増しつつある。
イラク軍がクルド自治区との境の検問所を放棄し、ペシュメルガが、キルクークを含め、帰属を巡ってバグダッドと争ってきた全地域を支配下に置いた今、クルドはイラクの5分の1の領域を支配している。
イラク軍もイラクのアラブ人もクルドの「強奪」を非難するが、どうにもできない。
一方、クルドの外交責任者は、自分たちはこれまでの過ちを正したのであり、国民投票によってキルクーク等の帰属を決めるとした、憲法140条の規定が事実上実現された、と言っている。
確かにクルドの評価は高まっている。バラバラになったイラク軍に対し、ペシュメルガは団結しており、クルド自治区はモスル等からの難民30万人を受け入れた。
これまでも、爆弾テロに苦しむバグダッドを尻目に、エルビルには外国人ビジネスマンが出入りし、イラクの他地域から逃れてきたキリスト教徒も平和に暮らしてきた。腐敗はあるが、民主主義も他地域に比べてはるかによく機能している。
そうしたクルドをマリキは必要とするかもしれないが、クルドにはマリキを必要とする理由がない。
元々バグダッドとエルビルの関係は緊密ではなかったが、今回の危機が始まっても、両者間の連絡は限られている。
マリキはまだクルドに支援を要請していないが、要請されても、クルドが喜んで応じるかどうかわからない。彼らの優先課題は自治区とクルド人の防衛だからだ。
それに、1988年、フセインによって毒ガスでクルド人5000人が殺されたことへの怒りはまだ収まっていない。
また、ISISに率いられたスンニ派が、今後、クルド自治区にも向かって来ると見る者もいる。
いずれにしても、立場を強めたクルドは、バグダッドに対し、
(1)クルド自治区の石油輸出権および新油田を開発・管理する外国企業との契約から直接利益を得る権利の承認、
(2)連邦予算のクルド分の委譲、
(3)中央政府によるペシュメルガの給与負担、
を強く迫ることになろう。勿論、マリキは同意を躊躇してきたが、今や彼の立場は弱い。
キルクーク周辺の油田を支配するようになれば、クルドが扱う原油量は倍増する可能性がある。加えて、最近、独自のパイプラインも完成した。バグダッドからクルドとの取引を禁じられる恐れがなくなれば、輸出量はさらに増えるだろう。
一方、今は団結しているが、クルド内部では、独立の程度と追求すべき戦術を巡って論争が続いてきた。
バルザニ自治区大統領が率いるクルド民主党は、近年トルコとの関係を深めており、自治権を拡大しようとしているが、クルド愛国同盟はバグダッドやイランと近い。
しかし、クルドが頼りにする米国は、クルド自治区の完全独立を、悪しき前例、地域の不安定化要因になると見て、支持していない。
自国内のクルド人を刺激されたくないイラン、トルコ、シリアも独立を嫌っている。
クルド自治区では至る所にクルドの旗があるが、イラク国旗は見当たらない。アラビア語を話すクルド人もほとんどおらず、イラクへの帰属意識は希薄だ。
指導部は、独立を急がないと述べ、事態を静観しているが、ここ数日で彼らが独立の実現に近づいたのは明らかだ、と報じています。【8月1日 WEDGE】
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従来、クルド人とイスラム国(IS)との間では衝突はあるものの、一種の“棲み分け”的な共存関係も見られ、全面的な対決はありませんでした。
【北部でのクルド人とイスラム国の抗争激化】
しかし、ここにきて北部地域での両者の抗争が激しさ増しており、クルド人勢力も“漁夫の利”を謳歌してばかりはいられない状況にもなっています。
****イスラム国:イラク最大のダムや油田掌握****
イラクで侵攻を続けるイスラム教過激派組織「イスラム国」主導のスンニ派武装勢力は3日、クルド人治安部隊ペシュメルガとの戦闘の末、イラク北部ニナワ県にある同国最大のモスル・ダムやアインザラ油田を掌握した。国営テレビが報じた。
ペシュメルガは6月以降、撤退した政府軍などに代わって重要インフラを守ってきたが、イスラム国側の攻勢に屈した。イスラム国側は、大規模油田がある北部キルクーク県への攻撃も強めており、支配をさらに拡大しそうだ。
国営テレビなどによると、イスラム国側は2日、アインザラ油田に近いズマルなどでペシュメルガへの攻撃を始め、少なくとも14人を殺害。ペシュメルガは3日までにズマルやモスル・ダムなどの拠点を放棄し、イスラム国側が掌握した。イスラム国側が支配下に置いた油田は5カ所目となる。
モスル・ダムは発電や治水などの多目的ダムで、下流のチグリス川は首都バグダッドやモスルなど主要都市を流れている。イスラム国側がダムを狙った背景は不明だが、ロイター通信は「(イスラム国が)下流で洪水を起こしたり、農業用水を制限したりすることも可能になった」と指摘した。(後略)【8月4日 毎日】
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なお、ダムについては、“イスラム国が侵攻を続ければモスル北部の主要ダムも掌握される恐れが出ているが、クルド筋によればダムではペシュメルガの精鋭部隊ゼレバニがまだ持ちこたえているという。”【8月4日 AFP】との報道もあります。
また、イスラム国は3日、北東部ズマルに続き、クルド人勢力の管轄下にあったイラク北部の都市シンジャルを掌握しました。
いずれにしても、キルクーク、更にはクルド自治区の主都アルビルへ向けてイスラム国が侵攻してくるということになると、強力な治安部隊ペシュメルガを擁するクルド側も切迫してきます。
アルビルはイスラム国が占有するモスルからは直線距離で80kmほどしかなく、すでに中間地点のいくつかの町がイスラム国側に落ちています。
【山間部に取り残されたクルド系少数派に迫る人道危機】
現在、喫緊の問題となっているのは、イスラム国がおさえた北部の都市シンジャルです。
シンジャル周辺にはクルド系の少数派であるヤジディ住民が居住していますが、このヤジディが逃げ込んだ山間部に取り残され、生命の危機にさらされています。
****少数民族が窮状に、飢えや乾きで子どもら数十人死亡 イラク****
イスラム過激派組織が勢力を強めているイラク北部で、ニネベ州シンジャルの町から山間部に逃れた少数民族ヤジディの住民が孤立し、生命の危険にさらされている。
数万世帯が猛暑の中で食料も水も医薬品もない状態に置かれ、数十人の子どもが渇きのために死亡したという。
同地ではイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国(旧イラク・シリア・イスラム国=ISIS)」が攻勢を強め、キリスト教や少数民族、イスラム教シーア派の住民などが標的とされてきた。
ヤジディ系の国会議員は演説の中で、これまでにヤジディの子ども70人が死亡したほか、女性は殺害されたり人身売買され、男性500人あまりが虐殺されたと述べ、助けが必要だと涙ながらに訴えた。
「48時間の間に3万世帯が水も食糧もないまま山間部に取り残された。状況が悪化する中で老人50人が死亡し、女性は捕まって人身売買された」と同議員は語る。
国連児童基金(ユニセフ)も5日、この数日でヤジディの子ども40人が、脱水症状などのため死亡したと発表した。
「2万5000人もの子どもがシンジャル周辺の山間部で孤立しており、飲料水や衛生設備などの人道援助を緊急に必要としている」という。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、シンジャルから住民が避難した山間部は、イスラム国の戦闘員に包囲されている。行方不明になった民間人数百人は、殺害されたり拘束されたりしたと伝えられているという。
ヤジディはクルド系の宗教民族で、約50万人がシンジャル周辺に住んでいた。【8月7日 CNN】
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ゾロアスター教の影響も受けていると言われるヤジディについては、ウィキペディアによれば以下のとおりです。
****ヤズィーディー****
ヤズィーディー(Yazidi、ヤジーディー、ヤズィード、ヤジディ)は、中東のイラク北部などに住むクルド人の間で信じられている民族宗教。
Mishefa ReşやKitêba Cilweといった独自の聖典を持つ。イスラーム化する以前の諸宗教の系譜を引く、クルド人の宗教と言われる。
イスラム教、キリスト教、ゾロアスター教の影響を受けており、天使マラク・ターウースを信じる。多数派のムスリム(イスラム教徒)から邪教扱いされている。【ウィキペディア】
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国連安保理もこのヤジディの状況を危惧しています。
****イスラム国を非難=イラク情勢で緊急会合―安保理****
国連安全保障理事会は7日、イスラム教スンニ派の過激組織「イスラム国」によるイラク北部での攻勢激化を受けて緊急会合を開催し、イスラム国を非難した上で、被害を受けた住民を支援するため、国際社会に対し「可能なすべて」を行うよう求める報道機関向け声明を発表した。
声明は、イスラム国がキリスト教徒ら少数派の宗教・宗派や民族を組織的に迫害していると強調。「最も強い言葉」で非難した。
一方、潘基文国連事務総長も7日、最近のイラク情勢に「ひどく衝撃を受けている」と訴える声明を報道官を通じて発表した。
声明は「国際社会、とりわけ状況を好転させるだけの影響力と資源を持つ国」に対しイラク政府を支援するよう要請している。
イスラム国の攻勢により、ヤジディ教徒と呼ばれるクルド人中心の民族宗教の信徒多数が家を追われ、避難先の山地で孤立。緊急の人道支援を必要としているとされ、事務総長は重大な懸念を示した。【8月8日 時事】
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【オバマ大統領の方針転換 イラク介入へ】
この事態に、これまでシリア・イラクへの直接関与を極力避けてきたアメリカ・オバマ政権も、ヤジディ救済の人道支援、及び、イスラム国への限定的空爆に乗り出すことを明らかにしています。
****オバマ米大統領:イラク限定空爆を承認−−緊急声明****
オバマ米大統領は7日、ホワイトハウスで緊急声明を発表し、イラク北部で支配地域拡大を続けるイスラム過激派組織「イスラム国」に対する限定空爆の実施を承認したことを明らかにした。
また、避難民数千人を対象に米軍機から食料と飲料水を投下する人道支援作戦を実施したと述べた。
空爆が実施されれば、2011年にイラクから米軍が撤退を完了して以来、初めての実戦行動となる。イラク政府の要請に基づく措置という。
オバマ大統領は空爆について、「イスラム国部隊の抑止」が主目的だと説明。クルド人自治区の中心都市アルビルや首都バグダッドなどに滞在する米軍顧問や米外交官らの保護が必要になった場合や、イスラム国による宗教的少数派の迫害を止めるために実施することを承認したという。
また、イスラム国との戦闘を効率的に行うため、イラク政府とクルド部隊への緊急支援も行っているという。
軍事活動は拡大せず、地上戦闘部隊を派遣しない方針も改めて強調。治安改善には挙国一致政権の樹立が必須だとして政治プロセスの加速をイラク指導者らに求めた。
米軍機が支援物資を投下したのはイラク北西部ニナワ県シンジャル付近。
現地の山岳部には、イスラム国の部隊から逃れたクルド系の少数派ヤジディー教徒ら数千人が避難しているが、水や食料が不足し国連によると子供40人が死亡したとの情報もある。
オバマ大統領は、イスラム国がヤジディー教徒に対し「情け容赦のない野蛮な攻撃を仕掛けている。ジェノサイド(大量殺人)にあたる行為だ」と厳しく批判。避難民救出のため空爆も辞さない姿勢を強調した。
国連人道問題調整事務所の報道官はロイター通信に、イスラム国部隊の侵攻で「20万人がイラク北部のクルド人自治区などに避難した」と語った。【8月8日 毎日】
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空爆は、イラク北部で孤立した少数派住民の救援に必要な場合や、アメリカ権益・国民が危険にさらされた際に行う。イラクに地上部隊を再派遣することはない・・・という限定的空爆ということですが、大統領就任以前からイラク撤退を主張し、実際にイラクから米軍を完全撤退させたオバマ大統領にとっては大きな転換点とも言えます。
現在のイラクの混乱は、やみくもにイラクに侵攻したブッシュ前大統領と明確な青写真がないまま完全撤退してマリキ首相の独善を招いたオバマ大統領、両者の責任だ・・・・とも批判されているオバマ大統領ですが、ヤジディの問題で明確な姿勢を見せることでそうした批判をかわそうという狙いでしょうか。
先ほどのニュースによれば、クルド自治区の中心都市アルビルを守るクルド部隊がイスラム国の砲撃を受けた後、米軍がイスラム国拠点に対し空爆を行ったとのことです。
それにしても、ウクライナ国境ではロシアが侵攻も辞さないような不穏な動きを示しており、パレスチナ・ガザでは停戦延長ができずハマス・イスラエル双方の攻撃が再開され・・・と、アメリカ大統領のストレスは想像を絶するものがあります。
まあ、そういうことをストレスと感じるような人間には勤まらないということでしょう。