第 116話の「植村記者の共犯者」 で市川速水報道局長という共犯者が表に現れ、まだまだ共犯者が出て来るだろ うと書きました。
何と、早くも共犯者というより主犯のような人が現われたようです。それも、その部下だった人が「情 報屋台」というブログに寄稿したものだそうです。
藤岡信勝さんがフェイスブックで取り上げてくれていました。
フェイスブック 藤 岡 信勝より 9月7日
朝日新聞は吉田清治の記事の最大の責任者は誰か、なぜ嘘が訂正されなかったのか、一切検証をおこなっていない。とこ ろがここに来て、最初に吉田清治の 嘘証言を報道したのは清田治史・元論説委員だったことがわかった。この人、氏名を構成する4つの漢字が、「吉田清治」と 3つまで同じだ。よほど縁があるの だろうか。
この事実を書いているのは、朝日新聞OBで元論説委員の長岡昇氏である。「情 報屋台」というサイトに寄稿した。清田氏は取締役にまで上り詰めた。(以下、引用)
◇慰安婦報道、一番の責任者は誰か(長岡昇、9月6日)
古巣の朝日新聞の慰安婦報道については「もう書くまい」と思っていました。虚報と誤報の数のすさまじさ、 お粗末さにげんなりしてしまうから です。書くことで、今も取材の一線で頑張っている後輩の記者たちの力になれるのなら書く意味もありますが、それもないだ ろうと考えていました。
ただ、それにしても、過ちを認めるのになぜ32年もかかってしまったのかという疑問は残りました。なぜお 詫びをしないのかも不思議でした。 そして、それを調べていくうちに、一連の報道で一番責任を負うべき人間が責任逃れに終始し、今も逃げようとしていること を知りました。それが自分の身近に いた人間だと知った時の激しい脱力感――外報部時代の直属の上司で、その後、朝日新聞の取締役(西部本社代表)になった 清田治史氏だったのです。
一連の慰安婦報道で、もっともひどいのは「私が朝鮮半島から慰安婦を強制連行した」という吉田清治(せい じ)の証言を扱った記事です。 1982年9月2日の大阪本社発行の朝日新聞朝刊社会面に最初の記事が掲載されました。大阪市内で講演する彼の写真とと もに「済州島で200人の朝鮮人女 性を狩り出した」「当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」といった講演内容が紹介されています。この記事 の筆者は、今回8月5日の朝日新聞 の検証記事では「大阪社会部の記者(66)」とされています。
その後も、大阪発行の朝日新聞には慰安婦の強制連行を語る吉田清治についての記事がたびたび掲載され、翌 年(1983年)11月10日に は、ついに全国の朝日新聞3面「ひと」欄に「でもね、美談なんかではないんです」という言葉とともに吉田が登場したので す。「ひと」欄は署名記事で、その 筆者が清田治史記者でした。朝日の関係者に聞くと、なんのことはない、上記の第一報を書いた「大阪社会部の記者 (66)」もまた清田記者だったと言うので す。だとしたら、彼こそ、いわゆる従軍慰安婦報道の口火を切り、その後の報道のレールを敷いた一番の責任者と言うべきで しょう。
この頃の記事そのものに、すでに多くの疑問を抱かせる内容が含まれています。勤労動員だった女子挺身隊 と慰安婦との混同、軍人でもないの に軍法会議にかけられたという不合理、経歴のあやしさなどなど。講演を聞いてすぐに書いた第一報の段階ではともかく、1 年後に「ひと」欄を書くまでには、 裏付け取材をする時間は十分にあったはずです。が、朝日新聞の虚報がお墨付きを与えた形になり、吉田清治はその後、講演 行脚と著書の販売に精を出しまし た。そして、清田記者の愛弟子とも言うべき植村隆記者による「元慰安婦の強制連行証言」報道(1991年8月11日)へ とつながっていったのです。
この頃には歴史的な掘り起こしもまだ十分に進んでおらず、自力で裏付け取材をするのが難しい面もあった のかもしれません。けれども、韓国 紙には「吉田証言を裏付ける人は見つからない」という記事が出ていました。現代史の研究者、秦郁彦・日大教授も済州島に 検証に赴き、吉田証言に疑問を呈し ていました。証言を疑い、その裏付けを試みるきっかけは与えられていたのです。きちんと取材すれば、「吉田清治はでたら めな話を並べたてるペテン師だ」と 見抜くのは、それほど難しい仕事ではなかったはずです。
なのに、なぜそれが行われなかったのか。清田記者は「大阪社会部のエース」として遇され、その後、東京本社の外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソ ウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長と順調に出世の階段を上っていきました。1997年、慰安婦報道への批判の高 まりを受けて、朝日新聞が1回目の 検証に乗り出したその時、彼は外報部長として「過ちを率直に認めて謝罪する道」を自ら閉ざした、と今にして思うのです。
悲しいことに、社内事情に疎い私は、外報部次長として彼の下で働きながらこうしたことに全く気付きませ んでした。当時、社内には「従軍慰 安婦問題は大阪社会部と外報部の朝鮮半島担当の問題」と、距離を置くような雰囲気がありました。そうしたことも、この時 に十分な検証ができなかった理由の 一つかもしれません。彼を高く評価し、引き立ててきた幹部たちが彼を守るために動いたこともあったでしょう。
東京本社編集局次長の後、彼は総合研究本部長、事業本部長と地歩を固め、ついには西部本社代表(取締 役)にまで上り詰めました。慰安婦を めぐる虚報・誤報の一番の責任者が取締役会に名を連ねるグロテスクさ。歴代の朝日新聞社長、重役たちの責任もまた重いと 言わなければなりません。こうした 経緯を知りつつ、今回、慰安婦報道の検証に踏み切った木村伊量社長の決断は、その意味では評価されてしかるべきです。
清田氏は2010年に朝日新聞を去り、九州朝日放送の監査役を経て、現在は大阪の帝塚山(てづかやま)学院大学で人間科学部の教授をしています。専門は 「ジャーナリズム論」と「文章表現」です。振り返って、一連の慰安婦報道をどう総括しているのか。朝日新聞の苦境をどう 受けとめているのか。肉声を聞こう と電話しましたが、不在でした。
「戦争責任を明確にしない民族は、再び同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか」。彼は、吉田清治の言葉をそのまま引用して「ひと」欄の記事の結びとし ました。ペテン師の言葉とはいえ、重い言葉です。そして、それは「報道の責任を明確にしない新聞は、再び同じ過ちを繰り 返す」という言葉となって返ってく るのです。今からでも遅くはない。過ちは過ちとして率直に認め、自らの責任を果たすべきではないか。
これは強烈な暴露ですね。この清田氏も大学教授ですね。何だか日本の大学は朝日の記者のOBばかりのように思えま す。大学の左翼との太いパイプがある のでしょうね。日本を高い給料を貰って散々貶めて、退職すれば大学の教授という受け皿がまっているのですから笑いが止ま らないでしょう。
よくもここまで日本を食い物にして平然と生きていられるものですね。どう考えても日本人とは思えませんが、それ程 に、日本人が劣化した証拠でしょうか。それとも、やはり、あちらの人とか。
いずれにしても、朝日をはじめとした反日マスコミや教育界の解体による左翼の一掃が必要です。よくもここまではび こったものです。日本人の甘さがもたらしたものですね。
第 5469回で一身上の都合で更新が途切れることを報告させてもらいましたが、14日に帰宅し15日から再開 させていただきます。
実は、突然左目が見えなくなり、急遽香川医大に入院手術となったものです。10日に手術が無事終わり、退院できるこ とになりました。まずはご報告まで。休んだ日のものも今日アップしました。今後ともよろしくお願いいたします。
第 112話の「朝日の悪あがき」で池上さんが朝日に掲載を許したことで、余りに簡単に許可したので、裏がある のじゃないかと書きました。
ところが、この掲載は月に一度と言うことなので、次の掲載までの一か月の間に朝日が池上さんの主張するような謝罪を すれば掲載を続けるとの話になっているそうです。
これが、本気の話ならば池上さんを見直す必要がありそうですが、どうなるでしょう。
東スポよ り 2014年09月06日
ジャーナリストの池上彰氏(64)が、本紙に激白だ! 従軍慰安婦報道検証記事を 批判した池上氏のコラム が掲載を拒否された問題は、朝日新聞が態度を180度変え、4日付朝刊で一転して掲載したことで決着したかにみえ た。だが、これは“雪解け”ではなかっ た。当の池上氏は同日、本紙の取材に応じ、注目の今後について「1か月間、これからの(朝日の)報道姿勢をしっかり 見て、決めさせていただきます」とコメ ント。朝日に“最後通告”を突きつけていたことがわかった。
4日夜、池上氏は本紙の直撃に答えた。
「朝日新聞に連載しているコラムのことでしょうか? 少しの時間なら…」
そう切り出すと、テレビから流れる、あの諭すような声のトーンそのままに語り始め た。
「私は3日まで海外にいて、4日に帰ってきたばかり。でも、朝日の方とはちゃんと 会って、お話ししてきましたよ」
ロシア・ウラジオストクに滞在していた池上氏。帰国したその足で、極秘会談の場を 持ったことを告白した。詳しい会談の内容は明かさなかったが、今回の掲載拒否問題で「改めて直接謝罪を受けまし た」。
問題となったのは、月1回連載のコラムで、新聞各紙を批評する「池上彰の新聞なな め読み」。8月29日付 に掲載されるはずだったコラムで、池上氏は同月5、6日に掲載された過去の慰安婦報道の検証記事について、その試み 自体は評価しながら「今頃やっと、とい う思いが拭い切れません」と不満も記した。
当時の一部記事では同一視されていた「慰安婦」と「挺身隊」が実際には異なること にも「『93年以降、 (朝日の検証記事は)両者を混同しないよう努めてきた』とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づい ていたということです。その時点で、ど うして訂正を出さなかったのか」などと追及。虚偽と判明した「吉田証言」に基づく記事の取り消しに対する謝罪の文言 がないことについても「せっかく勇気を 奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです」と謝罪を促した。
コラム掲載拒否をめぐる朝日側の姿勢に関してはコラム本文とは別に、池上氏の「過 ちを認め、謝罪する。こ のコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました」とのコメ ントが載せられ、朝日側も「池上さんと 読者の皆様へ」との見出しでおわびの文章を併載している。
ただ、一転掲載で“雪解け”かというと、どうやらそうではない。前出の4日付朝日 に載ったコメントにもあった「過ちを認め、謝罪する」が実行されたことで、会談の場で連載継続も約束されたのかと思 いきや、まったく違う。
池上氏はさらに語気を強め「まだコラムを継続するとも、打ち切りとも今日の話し合 いでは決まっていません。『白紙です』とお伝えしました」と明かした。
なぜ池上氏は“白紙”を強調したのか?
「慰安婦報道でのこれからの朝日の報道姿勢をしっかり見極めてから判断するという ことです。私のコラムは明日、明後日に掲載されるものではありませんから。月1回の連載なので、1か月近く期間があ ることになります」
コラムの掲載拒否については朝日から謝罪を受け入れたが、本意はそこではない。池 上氏がコラムであくまで 主張したのは「慰安婦報道に過ちがあったにもかかわらず、読者に対して謝罪の言葉がない」こと。つまり、次回の掲載 までに読者への謝罪がなければ、池上氏 のコラムはなくなることになるだろう。
「すいません、お話はもうよろしいでしょうか?(朝日側に)『これからしっかりと 見させていただきます』とお伝えしていますから。以上でよろしくお願いします」
池上氏の主張はニュースの解説のごとく“分かりやすい”。間違えたら謝るべし、 だ。
朝日に残された猶予は1か月弱。果たして、天下の朝日は池上氏の“最後通告”に対 し、いったいどんな結論を出すのだろうか。
朝日新聞が今さら謝罪をするとも思えませんが、その場合は池上さんは朝日との縁を切れるでしょうか。是非、頑張っ て朝日を追い詰めてもらいたいものです。
この池上さんの掲載を止めた経緯を池田さんが詳しく書いてくれています。どうやら、その裏には、慰安婦問題を捏造し た植村記者の共犯者がいるようです。やはり、誤報なんて嘘だと言うのが又明るみに出たようです。
池田信夫 blogより 2014年09月06日
朝 日新聞の市川速水報道局長が日韓関係をぐちゃぐちゃにした
朝日新聞が次々におもしろい話題を提供してくれるので、私の『朝日新聞 世紀の大誤報』(仮題)という 本の原稿がなかなか終わらない。またけさの紙面で、東京本社の市川速水報道局長が池上氏の原稿を没にした経緯を説明して いる。
8月5、6日付朝刊で慰安婦問題特集を掲載して以来、本社には言論による批判や評価が寄せられる一方で、関係者への 人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いていました。こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿 にも過剰に反応してしまいました。
つまり市川氏は、池上氏の原稿が「人権侵害や営業妨害」になると判断したようなのだが、いったいどこがそれに該当す るのか、何も書いてない。「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と書かれると、社長が謝罪に追い込まれるこ とを恐れたのだろうか。
この市川氏は、問題の植村記者の記事が大阪で出たとき、東京の社会部で彼と連携して慰安婦報道の中心に なった人物だ。彼は『朝日vs.産 経ソウル発』という産経の黒田勝弘氏との対談で「貧乏な家で、女衒にだまされて、気がついたら戦地に行かされて、中国な どで慰安婦をさせられた」との証言 はあったとしながら「僕の取材でも、腕を引っ張られて、猿ぐつわはめられて、連行されたという人は一人も現れていませ ん」と認めている。
この本が出たのは2006年で、市川氏はソウル支局長だった。彼は同じ本で
韓国マスコミは、挺身隊イコール慰安婦であるとか、誤解を植え付けて、外交問題になって、宮沢首相も謝罪せざるを得なく なって、そのうちに黒田さんが「慰安婦狩り証言はウソだ」という記事をバーンと書いて、日韓関係もぐちゃぐちゃになっ た。
と言っている。彼は「強制連行」がデマであることを、遅くとも2006年には知っていたのだ。「日韓関係をぐちゃぐ ちゃ」にしたのは産経の報道ではなく、彼や植村氏の誤報だ。彼はそれを誰よりも知っているはずだ。だからこそ池上氏の原 稿が恐かったのだろう。
市川氏は、植村記者と一緒に慰安婦デマをばらまいた共犯者だ。彼が検証記事の責任者になるのは、泥棒が 犯罪捜査をするようなものだ。市川氏を更迭し、彼が証拠を隠滅する前に社内(あるいは新聞協会)に第三者委員会をつくる べきだ。
こんな記者が居たんですね。こうなると、次から次へと共犯者が出て来るのじゃないでしょうか。そうでなくても、記事 を掲載するのは上に許可した人達が居るはずですから、一人だけの責任にするのは無理があるというものです。
さて、何時まで、悪あがきを続けるつもりでしょうか。と言うか、ここまで来たら徹底的に日本国民を敵に廻してしら ばっくれて欲しいですね。そうなれば、益々、崩壊は速くなると言うものです。
兎に角、この朝日とNHKを崩壊に持ち込むことが日本にとっては再生の必要条件でしょう。