団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★南京事件の黒幕か

2014年09月25日 | 朝日新聞

  第 118話の「南京虐殺も追及」や第 120話の「いよいよ南京虐殺」で朝日のもう一つの捏造がいよいよ追及される雰囲気が整ってきたように思え てきました。  

  第 492回の「朝日新聞プロパガンダ小史」で戦前から朝日が反日だったことを取り上げましたが、戦後の捏造が どこから始まったのかを何時もの赤嶺さんが書いてくれていました。   

  赤峰和の「日本が、日 本であるために」より  2014-09-23

  放 談(122)   中国の罠におちる――諸悪の根源としての朝日新聞(7

  …略

  朝日新聞出版の『新聞と「昭和」』にはこう書かれています。

  秋岡【※1】は6711月、 前任の野上と交代。北京赴任に際し、社長の広岡知男から指示を受けた。『それを書けば国外追放になるという限度があ るだろう。そのときは一歩手前でとまりなさい。極端にいえばゼロでもいい。』

  【※1】秋岡:当時の朝日新聞社北京支局長、秋岡家栄 氏。日中友好99人委員会創設者兼総代表。

  その後の朝日新聞の中国関連報道は、人民日報日本支社かと思うほどの中国寄り報道 になってきます。

  19700422日   広岡知男社長が記事「中国訪問を終えて」で文化大革命を礼賛

  19710826日   本多勝一記者が「百人斬り」「万人抗」等、日本軍の残虐を印象付ける捏造コラム「中国の旅」を31回 連載

  19710913日   林彪【※2】事件を否定・隠蔽報道

  【※2】林彪(りんぴょう):文化大革命で失脚した劉 少奇に代わって毛沢東の後継者に指名されるが、「反革命集団の頭目」と指弾され、逃亡の途中、墜落死した。世界のマ スコミも林彪が失脚したことを報じた際にも、朝日新聞は「変化はない」と報じた。

  19850805日   加藤千洋記者「中国『日本的愛国心を問題視』」という記事で、靖国問題に火をつける

  また、中国のチベット弾圧に関しても、基本的に中国の立場に立った報道を展開して います。

  19891007日   社説【※3】でダライ・ラマ14世 がノーベル平和賞に選ばれた際に中国の意見を代弁。

  【※3】社説:中国は"内 政干渉"だと強く反発しており、平和賞が対立を助長させ る原因ともなり、そうなれば"平和賞"の 名が泣くことになる。ダライ・ラマ陣営はこれを機に和解のために行動することを願う

  …以下略

  南京虐殺については新聞で読んだことも無く、ネットで知るまでは全く知らなかった のですが、この年譜を見ると、1970年に就職した年で、夜遅くまで必死で仕事をしていた頃だったので世間の動きに 一番鈍かった時のようです。

  それにしても、戦後の朝日新聞の反日の元凶はどうやらこの広 岡知男社長のようですね。何と学生時代は野球選手として活躍していたのだそうです。やはり、健全な体に 健全な魂が宿るは嘘のようですね。アマチュア野球に貢献して殿堂入りまでしているそうです。高校野球を利用したのも もしかしたらこの人かも。


  水間さんが声を挙げてくれた南京事件の捏造写真について何時ものくっくりさんが詳しく取り上げてくれています。 画像も良く分かります。
  第 4559回の「南京事件」で取り上げたように4回もあったと言われる事件を支那人が書いたと思われるも のにそっくりだそうです。

  ぼやきくっく りより  2014.09.22

  本 多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件

  ・・・略

  以下、近現代史研究家の阿羅健一さんが、現在発売中の「正論」201410月 号にちょうど「中国の旅」をテーマにした記事を書かれていますので、それを引用しながら書いていきます。

  「中国の旅」は1971年(昭和46年)8月 から12月まで朝日新聞に掲載されました。

  支那人が戦争中の日本軍を語る形を取ったルポルタージュで、残虐で非人道的な日本軍の姿が語られました。

  ところがそこで語られている日本軍の行為は、日本人の感覚からは考えられないもの でした。

  南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期ですし、朝日新聞読者 も含めて「記事に対するごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(「朝日新聞社社史」)そうです。

  それどころか社内でも批判が上がりました。

  当時従軍した記者たちが取材した南京と、「中国の旅」に書かれている南京とでは全く違っていたからです。

  日本軍が南京城内に入ったのは1937年 (昭和12年)1213日 です。

  14日の南京の中心の様子を朝日新聞はこう報道し ていました。

  「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路 を走る自動車の警笛、車の音 を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数 万の避難民が残留する。ここにも又南京 が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」(東京朝日新聞1216日)

  ・・・中略

  実は、本多勝一は「正論」19909月 号で、前号の田辺敏夫氏の記事への反論という形で、このように述べているそうです。

  「問題があるとすれば中国自体ではありませんか」

  この言葉から、本多自身が「中国の旅」が虚偽に満ちていることを知っていたことが 分かります。

  そして、支那人が本多に語ったことは、自分たち支那人が行ってきたことをオウム返 しに語っているだけではないか、ということに気づかせてくれます。

  たとえば、「中国の旅」と李圭の「思痛記」という本を比較すればそれは明らかで す。

  「思痛記」は1879年(明治12年) に書かれた本で、李圭は清朝の役人でした。

  1850年に広西で長髪賊の乱(太平天国の乱)が 起こり、3年後には南京を落とし、支配した地域を太平天国 と称しました。

  太平天国は清と戦い続けましたが、1864年 に敗れて滅びます。

  南京郊外の豪族の家に生まれた李圭は、1860年 に長髪賊に捕まり、2年以上軟禁されて逃れたあと、清朝の役人となり ました。

  そして軟禁されていた頃の体験談をまとめました。

  それが「思痛記」です。

  この本の中で、李圭は周りで起こった悲惨な出来事を記述しています。

  「中国の旅」の記述と比較して下さい。

  ・・・以下

   もしかしたら、これも広岡社長が中国と組んで捏造して、本田氏に書かせたものなんてこともありそうな気がします。 とんでもない悪党かも。


第2青函トンネル

2014年09月25日 | 日本再生

  第 3813回の「貨物新幹線」で青函トンネルで貨物用の新幹線車両に在来線の貨物車両を丸ごと搭載する「トレ イン・オン・トレイン」というのが考えられていることを取り上げました。
  ところが、青森で面白い考えが浮上してきているそうです。何と、もう一本青函トンネルを建設すると言うものだそうで す。これは、ちょっと意表を突かれた思いです。
  かなり、反対が多いそうですが、私は大賛成です。この部屋でも何度も書いてきたように、高速道路を造るくらいなら貨 物用の新幹線を作るべきだと思ってます。  

  それだけに、この記事には飛びつきました。かなり長いので、全文はリンク元で読んでください。

  Business Media より  20140919

   杉山淳一の時事日想: 世 論は否定的? それでも「第2青 函トンネル」が必要な理由

  青森県議会議長が国土交通省に対して、非公式としつつも「第2青 函トンネル」の建設を要望した。これに対して世論は否定的だが、日本全体の物流政策を考える上で、青函トンネルを新 幹線と在来線の共用するには問題がある。関門トンネルと同様に、別のトンネルを作るべきではないか。

  201479日 付の河北新報Web版の記事「『第2青 函トンネル』建設を 青森県内で待望論(参照リンク)」によると、青森県議会議長が612日 に国土交通省を訪れ、事務次官に対して非公式に「第2青函トンネル」の要望を 伝えた。「国が国土強靱化に力を入れるなら、もう1本掘ってください」との ことだ。この報道はYahoo!などのニュースポータルサイトにも掲 載され、多くの人の関心を集めた。

  その6日後の715日、web R25「第2青 函トンネル案に非難轟々(参照リンク)」と題して、Twitterの 投稿を俯瞰し、賛成論もあるとした上で「疑問を持つ声も多い」と紹介している。そしてその翌日、Yahoo!「第2青 函トンネルをどう思う?(参照リンク)」と題した意識調査を実施。2014716日 から2014726日 までの集計で集まった、計91630票 のうち「必要」は15.9%。「不必要」は78.4% となった。圧倒的に不要論が多かったのが分かる。…中略


  第2青函トンネルはすべてを解決する

  最近、トラック業界専門誌の記者さんとお話しする機会があって知見を新たにした。実は、現在のモーダルシフト(自動 車や航空機による輸送を、鉄道や船舶 による輸送で代替すること)の問題点は、鉄道貨物のデメリットではないという。貨物列車が足りないからトラックから移行 できない。これが最も重要な問題だ という。

  私は今まで、鉄道貨物はトラックよりコストが大きいし、12フィートコンテナを基準とした規格は現在の輸送ニーズに 合わない。だから、国による支援が必 要だったり、31フィートコンテナへの移行が必要だと思っていた。しかし、荷主や輸送会社の立場では、そもそもトラック 不足になれば、コストなどで選り好 みする場合ではなくなるという。運ばなくてはいけない荷物があって、鉄道貨物に移行したくても、貨物列車が足りないの だ。

  日本の鉄道貨物輸送は増加傾向にある。JR貨物が発表している輸送実績(参 照リンク) によると、コンテナ輸送は増加傾向である。政府のモーダルシフト支援策や、企業の環境負荷軽減運動が功を奏したようだ。 もちろん、JR貨物や輸送会社の営 業努力もあるだろう。そして、今後はトラックドライバー不足による半強制的なモーダルシフトが起きるはずだ。鉄道貨物の 重要性が高まるこの時期に、貨物列 車を減便する施策はあり得ない。…以下略

  私は、この考えに大賛成です。思い切って貨物新幹線を日本中に張り巡らせれば交通体系は一気に変わるはずです。将来 の日本を考えれば高速道路網より貨物新幹線網の方が絶対に役に立つはずです。
  人口減でドライバーの確保も難しくなってきていることも解決されます。特に、大災害の多い日本には無駄と思えてもも う一本の新幹線網は絶対に作っておくべきです。
  海外への新幹線の売り込みも良いですが、まずは日本を万全な体制にすることが先決じゃないでしょうか。
  
  トンネル工事も青函トンネルの時代と違って格段に進歩しているようです。

    アベノミクスもこういう長い目で日本を発展させるインフラの整備に力を入れるべきじゃないでしょうか。

  是非、新幹線網をもう一 つ!

プライド 運命の瞬間

2014年09月25日 | GHQ

  第 4978回の「誤れた歴史」で書いたようにパール判事が「日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽 廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は 書きかえられねばならない。」と言って極 東国際軍事裁判の欺瞞を日本人に教えてくれ、日本人が目覚めるべきと言ってくれました。
  しかしながら、戦後70年経っても日本人はGHQによる企みから目覚めることなく来てしまいました。やっと、ネット のお蔭で目覚める人も多くなってきたようですが、朝鮮人や左翼勢力を一掃するところまではまだまだ遠いようです。
  
  日本人だけでなく世界を一気に目覚めさす良い方法は無いものかと思っていましたが、偶然、チャンネル桜で、面白い動 画を見つけました。  
  水島社長と津川雅彦さんの対談で、「プライド 運命の瞬間」という映画に津川さんが東条英機さんの役を演じたときの 話題を話されていました。
  その中で、津川さんが、この役を演じるにあたって勉強をして、それまでの自虐史観から目が覚めたと言っていました。
  それが、最近は更新がほとんどないようですが、ブログサンタの隠れ家の 痛快な言葉や「たかじんのそこまで 言って委員会」へのレギュラー出演に繋がって、日本再生の為に発言されることに繋がったのじゃないでしょう か。

  この映画は日本人全員に見てもらって自虐史観から目覚めさせるのに最適なのじゃないでしょうか。対談の中でも、英語 にして世界に見てもらうべきとも言っていましたが、その通りだと思います。
  このあたりは、やはり、政府・外務省に仕事をしてもらいたいものです。こんな素晴らしい武器を活かさない手はないで しょう。  

  津 川雅彦×水 島総 チャンネル桜スペシャル対談!