昨日の十七条の憲法の第十一条の「明察功過」 をねずさんが詳しく解説してくれています。相変わらず目から鱗でねずさんの話に感心するばかりです。一体どこで勉強され ているのでしょうか。
益益、ねずさんのブログを教科書として子供達にというか、今や戦後教育でこうしたことを全く教わってこなかった日本 人全ての教科書としたいものです。
そうすれば、本当の日本を取り戻すこともできそうです。日本がこんなに素晴らしい国だったなんて私も全く知りません でした。
世襲にもどちらかと言えば反感を持っていましたが、物事は一面だけでは分からないものですね。
ね ずさんの ひとりごとより 9月17日
古代、中世の貴族と聞くと、なにやら和歌ばかり詠んでいて、それが「みやび」な世 界であったと、勘違いされている人たちが多いように思います。
実は全然違います。
当時の京の都のお公家さんたちというのは、いまでいう政治家であり官僚です。官僚 なら、いまでいう国家公務員の上級職です。
いまでは、国家公務員は試験によって選ばれ、また議員は選挙によって選ばれます が、それが千年前には世襲制であったというだけの違いです。
世襲制であったことに抵抗感を持つ方がおいでになるかもしれませんが、良い大学を 出て試験に合格した人が必ずしも民衆のためになる政治や行政を司ることができるかといえば、それが疑問なことは、い までは誰でも知っていることです。
政治家も官僚も、人の上に立つ人です。
そして人の上に立つ人には、常時、人々の模範としての自覚と行動が必要です。
そして最も大切なことは、人の上に立つ人というのは、いざというとき、たいへんな ストレスが加わったときにどのような行動をするかです。
良いときは、誰もがニコニコして良い人なのです。
けれどそこに何らかのストレスが加わったとき、家柄というか出自というか、そうい う面は自然と出てしまうものです。遺伝の働きというのでしょうか。
ですから昔は、学校の成績だけでなく、どういう家で育った人なのか、先祖にはどう いう人がいたのかなどが問題視されました。
試験によって人の上に立つことと、世襲であることと、どちらが優れているかは、実 は、なんともいえないことです。
少なくとも試験や選挙によって政治家や議員を選ぶという制度は、できてまだ百年そ こそこです。
そしてその間に日本は度重なる戦争の惨禍を招いています。
戦後の高度成長期において政治家や官僚たちは、むしろ不要といってもよいくらいの 存在であったことは、ホンダの創業者の本田宗一郎氏がよく語っていました。昔の日本は世襲制ですが、奈良平安の世な ら五百年、江戸時代なら二百七十年もの間、安定し、犯罪のない 社会が築かれています。
ちなみに試験というならば、中国では高級官僚採択試験として、古くから超難関とさ れる科挙の試験がありました。
ではその中国が古来から平和で安定した社会を構築できかといえば、それは疑問で す。
また、三番歌の柿本人麻呂のように、出自は必ずしも高級貴族の家とは縁遠くても、 学問によって重用され、百人一首でも二柱の天皇の次に歌が配置されているような人もいます。
日本の中世社会は、世襲制ではありますけれど、広く庶民にもその門戸は開かれてい たのです。
そういう中世の貴族たちが、昨今ではなにやら朝から晩まで和歌ばかりを詠んでいた 暇人で、男女仲にふしだらでだらしない愛欲におぼれ、庶民からカネを巻き上げて贅沢ばかりをしていたとんでもない貴 人(奇人)たちであるかのような情報操作がなされています。
実に怪しからん、とんでもない印象操作です。…以下略
こんなことを今頃まで知らなかったことが悔しい。もし、子供の頃にこうした日本の素晴らしさを知っていたら、軟弱な 私ももう少し変わっていたような気がします。子供達にこんな悔しい思いをさせたくないものです。