団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★★明察功過

2014年09月18日 | 憲法

  昨日の十七条の憲法の第十一条の「明察功過」 をねずさんが詳しく解説してくれています。相変わらず目から鱗でねずさんの話に感心するばかりです。一体どこで勉強され ているのでしょうか。
  益益、ねずさんのブログを教科書として子供達にというか、今や戦後教育でこうしたことを全く教わってこなかった日本 人全ての教科書としたいものです。
  そうすれば、本当の日本を取り戻すこともできそうです。日本がこんなに素晴らしい国だったなんて私も全く知りません でした。
  世襲にもどちらかと言えば反感を持っていましたが、物事は一面だけでは分からないものですね。

  ね ずさんの ひとりごとより  917

  明 察功過

  古代、中世の貴族と聞くと、なにやら和歌ばかり詠んでいて、それが「みやび」な世 界であったと、勘違いされている人たちが多いように思います。

  実は全然違います。

  当時の京の都のお公家さんたちというのは、いまでいう政治家であり官僚です。官僚 なら、いまでいう国家公務員の上級職です。

  いまでは、国家公務員は試験によって選ばれ、また議員は選挙によって選ばれます が、それが千年前には世襲制であったというだけの違いです。

  世襲制であったことに抵抗感を持つ方がおいでになるかもしれませんが、良い大学を 出て試験に合格した人が必ずしも民衆のためになる政治や行政を司ることができるかといえば、それが疑問なことは、い までは誰でも知っていることです。

  政治家も官僚も、人の上に立つ人です。

  そして人の上に立つ人には、常時、人々の模範としての自覚と行動が必要です。

  そして最も大切なことは、人の上に立つ人というのは、いざというとき、たいへんな ストレスが加わったときにどのような行動をするかです。

  良いときは、誰もがニコニコして良い人なのです。

  けれどそこに何らかのストレスが加わったとき、家柄というか出自というか、そうい う面は自然と出てしまうものです。遺伝の働きというのでしょうか。

  ですから昔は、学校の成績だけでなく、どういう家で育った人なのか、先祖にはどう いう人がいたのかなどが問題視されました。

  試験によって人の上に立つことと、世襲であることと、どちらが優れているかは、実 は、なんともいえないことです。

  少なくとも試験や選挙によって政治家や議員を選ぶという制度は、できてまだ百年そ こそこです。

  そしてその間に日本は度重なる戦争の惨禍を招いています。

  戦後の高度成長期において政治家や官僚たちは、むしろ不要といってもよいくらいの 存在であったことは、ホンダの創業者の本田宗一郎氏がよく語っていました。昔の日本は世襲制ですが、奈良平安の世な ら五百年、江戸時代なら二百七十年もの間、安定し、犯罪のない 社会が築かれています。

  ちなみに試験というならば、中国では高級官僚採択試験として、古くから超難関とさ れる科挙の試験がありました。

  ではその中国が古来から平和で安定した社会を構築できかといえば、それは疑問で す。

  また、三番歌の柿本人麻呂のように、出自は必ずしも高級貴族の家とは縁遠くても、 学問によって重用され、百人一首でも二柱の天皇の次に歌が配置されているような人もいます。

  日本の中世社会は、世襲制ではありますけれど、広く庶民にもその門戸は開かれてい たのです。

  そういう中世の貴族たちが、昨今ではなにやら朝から晩まで和歌ばかりを詠んでいた 暇人で、男女仲にふしだらでだらしない愛欲におぼれ、庶民からカネを巻き上げて贅沢ばかりをしていたとんでもない貴 人(奇人)たちであるかのような情報操作がなされています。

  実に怪しからん、とんでもない印象操作です。…以下略

  こんなことを今頃まで知らなかったことが悔しい。もし、子供の頃にこうした日本の素晴らしさを知っていたら、軟弱な 私ももう少し変わっていたような気がします。子供達にこんな悔しい思いをさせたくないものです。


大学から左翼教授の一掃が始まるか

2014年09月18日 | 魂を悪魔に売った奴

  昨日、慰安婦問題火付けの張本人清田氏のクビ は果たして、大学の意思かそれとも本人の意思かと書きましたが、赤嶺さんが又、取り上げてくれています。どうやら、やは り大学側がクビを切ったようです。
  いよいよ大粛清が始まるのかもしれません。各大学には、せめて、その程度の矜持を持って、手塚山大学に負けないよう に早急に対処して欲しいものです。 さもないと、大学にとって大変な逆風になるのじゃないでしょうか。左翼と手を切る最高のチャンスでもあります。さて、ど うするのでしょうか。 

   赤峰和の時事解説よ り   第97回  

   速 報 清田治史氏が大学を解雇に? ――慰安婦問題の口火を切った人 

  …略

  ・本人が辞職したのではなく、大学側の都合で辞めてもらったようです。

   ・朝日報道事件もあり、清田治史教授の論拠も崩れたので、大学は早急に手を打ったようです。

   ・今後も朝日のねつ造記事に関わっていた人物やグループ、組織などが姿をくらましたり、自己弁護に走る可能性が高くなっています。…中略

  今後、帝塚山学院大学のような出来事が各地ででてくる可能性があります。慰安婦問題捏造の北星学園大学非常勤講師の 植村隆氏、中央大学商学部教授の吉見義明氏や、靖国問題に火をつけた同志社大学の加藤千洋教授などの去就が気になりま す。…以下略

  さて、同志社大学はどうするつもりでしょうか。ここで、大学の名を汚し、大学の格を落としてしまうのでしょうか。決 断の時でしょう。

  もう一人の火付け人植村記者を抱える北星学園大は帝塚山大学と違って、やはり、確信犯の左翼大学のようです。何と も、とんでもないことをやっているようです。
  朝日新聞が手柄のような記事を2013年に書いていますが、まさか、こんな逆風が吹いてくるとは思っても居なかった のでしょうね。

  朝日新 聞デジタルより  2013917

  (ま なあさ まなぶ@朝日新聞)講義×新 聞で知る社会 語彙・読解力検定受け付け中

   学生の社会への関心を広げ、言葉の力を鍛えるため、新聞学習に力を入れる大学が増えています。その目的は、朝日新聞社とベネッセコーポレーションが実施 する「語彙(ごい)・読解力検定」が目指すところにも重なります。日頃の学びの腕試しに、たくさんの学生が11月の 検定に挑戦する、北星学園大(札幌市) と活水女子大(長崎市)の取り組みを紹介します。

  ■記事切り抜き、仲間で議論 北星学園大(札幌市)

  50年を超える歴史を持つ北星学園大。経済学部経済学科では今年度から、1年生全員が自宅で新聞を購読し、紙面を徹底的に読み込む必修講義が始まっ た。

  「日々のニュースへの関心なしに経済を学ぶことはできない。新聞を読む習慣は必須」と考える経済学部長の原島正衛教授と勝村務准教授が企画。朝日新聞 社の北海道支社と教育総合センターが協力している。

  新聞を活用する講義は週1回あり、年間で30コマに及ぶ。新聞購読費用は大学が負担し、経済学科の1年生約180人全員の自宅に、朝日新聞の朝夕刊が 毎日届けられる。

  学生は日々の紙面から気になった記事をスクラップして要約したり、自分の考えを書いたりする。記事を起点に調べたことをまとめる学生も多い。教室では 5 人ほどのグループで、各自が選んだ記事を発表しあって議論。同じ紙面を読んでも着眼点は異なる。他の学生の関心や発 想を知ることで視野が広がり、コミュニ ケーション能力も鍛えられる。記事の切り抜きは、夏休み中も続ける日課だ。

  一連の講義は、新聞記事をはじめとする様々な情報やその背景を読み解き、自らの頭で判断する「メディアリテラシー」の育成も目的としている。原島教授 や 勝村准教授らが毎週、様々な記事について丁寧に解説するのが基本。一方で、新聞協会賞を受賞した、福島原発事故を巡 る長期連載「プロメテウスの罠(わ な)」を企画した依光隆明編集委員をはじめ、朝日新聞の専門記者たちの話を聞く機会も設けられている。学生たちに新 聞の取材、執筆、編集の過程を知っても らい、ニュースをより深く理解してもらおうというものだ。

  こうした学びの成果は、毎週の小リポート提出、講義の冒頭に取り組む朝日新聞の大学生向け教材「時事ワークシート」、「語彙・読解力検定」の受検で確 かめる。6月の検定では、1年生全員が準2級に挑戦し約6割が合格した。

  金融関係の仕事に関心がある三好澪(みお)さん(18)は「最初は新聞を読むのが面倒にも感じたが、今は毎日30分ぐらいは読むようになって、世の中 の 動きについていけるようになった感じ。検定にも合格でき、語彙が身についた実感がある」と話す。勉強の成果は、塾講 師のアルバイトにも生かされているとい う。

  アナウンサー志望の高橋孝幸さん(20)は、最初は1面を中心に読んでいたが、講義が進むにつれ、読みたいページが増えていったという。「どんな表現 を すれば分かりやすく伝えられるのかを学ぼうと、記事内の気になる表現に印をつけ、自分の文章に生かしています。事実 を掘り起こす記者の思いを生で聞けたこ とも勉強になった」と話した。検定にも合格した。

  20日から始まる後期の講義でも、新聞学習は続く。勝村准教授は「前期は学生が書くものの内容が週ごとに充実していくのが分かって、めざましい成長が うかがえた」と話し、今後に期待している。…以下略

  どうやらこの大学はとんでもないようですね。この期に及んで、これを続け、植村記 者の処分も出来ないようでは、完全な左翼大学ということが表沙汰になり、一気に学生が集まらなくなるかもhしれませ ん。
  と言うか、是非、そうなって閉校になれば日本中の大学に危機感を植え付けることができ、左翼教授達の一掃が早ま る可能性があります。これは日本再生のチャンスですね。

段々、面白くなってきそう!


★朝日新聞プロパガンダ小史

2014年09月18日 | 朝日新聞

  第 488回の「集団自決も朝日の捏造か」で沖縄の集団自決まで朝日の捏造だったことを知り、一体この新聞はど のくらいの捏造で日本を貶めて来たのだろうかと書きました。
  戦前から日本を戦争へと煽ったことも、戦後GHQにおもねって全く逆の記事を書きだしたこともネットで知りました が、その詳細は殆ど知りませんでした。

  これもよくお世話になっている「国際派日本人養成講座」がそのあたりを上手く纏めてくれていました。 


  国際派日本人養成講座より   2014/09/07

  No.865 中ソの代弁70年 ~ 朝日新聞プロパガンダ小史(上)

   敗戦直後からソ連崩壊まで、朝日新聞はソ連の忠実な代弁者として発言してきた。

    1.我が国の自由民主主義を破壊するプロパガンダ

   朝日新聞が「慰安婦問題」での32年も前の「誤報」を認めた事から、新聞、週刊誌、ネットが大炎上している。「誤報」と括弧つきで書くのは、弊誌にはそ れが意図的な「誤報」、すなわち政治宣伝(プロパガンダ)だったとしか思えないからだ。

   朝日が、慰安婦は日本軍によって強制徴用された「性奴隷」だと誤認し、人道的な観点から謝罪や補償を訴えたのなら、まだ救いがある。その事 実誤認が分かり次第、自ら謝罪して、正しい事実を広めようと誠実な努力をする限り。(その姿勢が全く見られないか ら、大炎上しているのだが)

   しかし、仮に朝日が韓国や中国の意向を受けて、誤った事実と知りながら、世界に訴えてきたとしたら、どうだろう。それは意図的な虚報によって、日本の国 益・名誉を損ない、中韓を外交的優位に立たせる行為である。

   これを世に「売国行為」と言う。しかし、弊誌ではそのような悪罵よりも、確かな事実と自由な言論に基づく議会制民主主義を破壊して、かつてのソ連や現在 の中国のような全体主義社会をもたらしかねない危険なプロパガンダであると批判する。

   弊誌では、20年近く前から、28号「平気でうそをつく人々」[a]や42号「中国の友人」[b]を初めとして朝日のプロパガンダを批判し てきた。「慰安婦問題」に関する「誤報」は、中ソの代弁者として活動してきた朝日新聞の戦後70年の歴史のほんの一 幕に過ぎない、と弊誌は見る。

  以下、その歴史を振り返ってみれば、この点は明白となろう。


    2.国際共産主義団体コミンテルンに協力した朝日記者

  朝日が中ソの代弁者となる予兆は、すでに戦前からあった。朝日新聞記者・尾崎秀實(ほつみ)は特派員 として昭和2(1927)年から上海に 駐在し、リヒャルト・ゾルゲと親交を結ぶ。ゾルゲはドイツ共産党を通じて、モスクワの国際共産主義団体コミンテルン に所属していた。


  尾崎秀實とリヒャルト・ゾルゲ


    尾崎はその後、朝日を退職して近衛内閣の嘱託となり、日本と蒋介石政権を戦わせて共倒れにさせ、ソ・中・日の 「赤い東亜共同体」を実現しようとするコミンテルンの方針に協力して、さかんに日本軍の中国大陸進出をけしかける記 事を発表した。[a]

   その後、ゾルゲは在日ドイツ大使の私設情報官となり、尾崎と緊密な連携をとって、日独の機密情報をソ連に流した。二人は昭和16(1941)年に逮捕さ れて、死刑に処せられる。

   尾崎秀實の所行は、朝日新聞社とは関係のない、あくまで異端分子のものだろうか。当時は、ソ連が誕生したばかりで、共産主義の理想が巧みに宣伝されて少 壮軍人や革新官僚などを洗脳していた。

   当時の知識人が集まっていた朝日の中にも、ソ連シンパが潜んでいたとしても不思議はない。戦後の朝日の報道ぶりを見れば、尾崎は氷山の一角だった、とい う事が見えてくる。

    3.朝日の共産主義運動への参加宣言

   敗戦から3ヶ月足らず後の昭和20(1945)年11月7日付け一面で、朝日は「国民と共に立たん/本社、新陣容で「建設」へ」という宣言 を掲げた。戦争中、軍部に協力した報道責任をとるために、社長以下全重役、編集幹部が辞職し、今後は「あくまで国民 の機関たることをここに宣言する」と述 べた。

    同日の社説では、この「国民」とは「支配者層と判然区別せられたる国民でなければならない。それは一言にして言 えば、工場に、職場に、農山 村に働く国民のいひである」として、「新聞の担(にな)ふべき究極の使命は、働く国民の間から生まれるべき日本民主 主義戦線の機関たることでなければなら ない」と明言した。

    朝日の言う「国民」とは、支配者層と区別された「労働者階級」であり、その「民主主義戦線」とは当時の日本共産 党が唱えていた「民主戦線」に他ならない。「共産主義」の言葉こそ隠しているが、これは朝日の共産主義運動への参加 宣言であった。

   この「宣言」の起草者は、後にマルクス・レーニン主義に強く傾き、毛沢東信奉者となる森恭三であった。戦時中の経営者層の退陣と同時に、尾崎秀實の後継 者たちが実権を占めるようになったのである。

    4.サンフランシスコ講和条約への反対

    ソ連の代弁者としての報道が本格化したのは、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約に際してである。当 時はすでに朝鮮戦争の最中 で、米ソの対立が表面化していた。ソ連は東欧に鉄のカーテンを降ろし、中国大陸を赤化し、今また中国軍を使って朝鮮 半島に触手を伸ばしていた。

    この講和条約の意味する所は、時の吉田茂政権が、日本は米国を中心とする自由主義陣営に立ってソ連の侵略から国 を守る、という道を選択したことであった。[d]

    しかし、朝日を中心とする左翼勢力は、これを「単独講和か、全面講和か」という問題にすり替えた。「全面講和」 とは、ソ連と共産圏諸国を含 めた全関係国との講和という美辞麗句で、現実に米ソが対立している以上、それは実現不可能な空想であり、それではい つまでも独立回復などできない事は明ら かであった。

    一方の「単独講和」とは、米国を中心とする自由主義陣営との講和であるが、講和に賛成したのは48カ国、反対し たのはソ連、チェコ、ポーラ ンドの3カ国だけだったので、実質は「多数講和」である。これを「単独講和」と呼ぶのは、日本国民に国際社会の現実 を見せまいとするプロパガンダそのもの であった。

    朝日は、講和会議でのグロムイコ・ソ連首席全権の発言をそのまま伝えている。
 
    日本は米国の軍事基地に転換されつつある。対日講和条約の目的は米軍を日本に駐在させることにあり、米国は「老 練な戦争誘発者」たるダレスの指導下に「侵略者の連合組織」を打ち立てようとしている。[1,p69]

   「全面講和」などという日本人の琴線に触れる虚構で、ソ連にとって好都合な世論誘導をしてくれる、まことに得がたい代弁者が登場したのである。


   5.「日本を他国の戦争にまきこむ危険」

  米ソ対立の中で、日本の進路の第二の岐路は「60年安保闘争」であった。これは日米安保を、単に米軍 に基地提供するだけの条約から、日米共同防衛、また在日米軍の配置や装備に関する両国での事前協議など、より対等の 同盟に近づけようとする改訂であった。

    これに関して、朝日は昭和34(1959)年10月9日付けの社説「なお消えぬ安保改定への疑念」で次のような 主張を展開した。

    核兵器の持込みを含む、在日米軍の装備の重要変更と日本領域外における作戦行動は、これを「事前協議」するとして いるが、なぜこれを単なる協議でなく、同意を必要とすると明記できないのか。・・・

   「事前の協議を」を必要と認めた政府が、日本の安全を第一に考えなければならない安保条約に、日本を他国の戦争に まきこむ危険をもつ、日本領域外の米軍の作戦をどうして認めようとするのか。[1,p80]
 

   「日本を他国の戦争にまきこむ危険」とは、前節のソ連による「日本は米国の軍事基地に転換されつつある」と同じ見 方である。そこには、ソ連の 侵略からどう国を守るか、という視点が欠落している。以後、この「捲き込まれ論」は日米同盟反対の一つ覚えの論法と して繰り返される。最近の集団的自衛権 での騒ぎでも同様である。

  朝日の主張するように、もし在日米軍の作戦行動に日本の同意を必要とするとしたら、いかなる作戦行動 であろうと、社会党が国会でごねて在日米軍を一歩も動かせなくなる。ソ連から見れば、在日米軍の動きを阻止する上 で、実に効果的なくびきとなったろう。


    6.ソ連軍事増強よりも「我が国の防衛力強化」を懸念

   昭和50年前後には中国はソ連と対立するようになり、日米接近を図った。ここで朝日は親中派の広岡知男社長の旗振りで「日中友好」に大きな役割を果たし たが、これについては後編に譲る。

    昭和52(1977)年に、モスクワ特派員の経験もある親ソ派・秦正流が専務取締役編集担当となると、ふたたび 親ソ派が社内で実権を握っ た。そして「ロシア・ソビエト国宝絵画展」「全ソ民族舞踊アンサンブル」「建国60周年記念ソビエト連邦展覧会」 「ロシア美術館名品展」「ソビエト映画 フェスティバル」と親ソ行事を次々と主催または後援して、ご機嫌取りに奔走する。

    昭和54(1979)年10月初め、ソ連が日米中の接近を威嚇して、国後、択捉島に5、6千人の約1個旅団と約 50両の戦車などを配備した と防衛庁が発表すると、朝日は「もはや軍事力を背景にして、外交を展開する時代ではないのではないだろうか」と、ま るで他人事のような前置きをした後、こ う言い切った。

    われわれは、今回のソ連側の動きに対して、国内で不必要な反応が生じることも防がねばならぬ。・・・ 今回のソ連 軍基地増強が、我が国の防衛力強化論につながるおそれがあるからだ。[1,p130]

    朝日にとっては、ソ連の軍事基地増強よりも、日本の防衛力強化の方が危険のようだ。ソ連から見れば、そうに違い ない。

    ソ連は日本側の世論工作のためか、同月末にノーボスチ通信社社長一行を派遣し、朝日新聞東京本社を訪問させた。 中江編集局長が対談で、北方領土の軍事力増強について質問すると、トルクノフ社長はこう答えた。

   それらの情報は周知の通り、米国の軍事筋によってあおられたものであり、明らかに一定の目的を追求してい る。・・・いわゆる「ソ連の軍事的 脅威」についてのペンタゴンのグローバルな宣伝キャンペーンだが、実際には存在せず、それを隠れ蓑にして米国と日本 をふくむその同盟国の軍事力の増強が行 われている。[1,p132]

  自国に脅威を与えている軍事増強に対して、中江編集局長は食い下がることもせずに、このトルクノフ社 長の発言をそのまま記事にして流した。まさにソ連の忠実なる代弁者であった。

   7.ソ連の「立場を正しく理解することが必要」

  昭和56(1981)年に、日本政府が2月7日を「北方領土の日」と定めると、朝日は猛烈に反対し た。
 
    ・・・東西の緊張が高まり、内外に右旋回が著しくなるなかで、「北方領土の日」をテコとした国民運動が誤った方 向にねじ曲げられたら、所期 の目的を達せられなくなるおそれがある。・・・いたずらに「ソ連脅威論」であおったり、右傾化のバネに利用してはな らない。[1,p145]

    相変わらず、ソ連の脅威を論ずることは「右傾化、軍事力強化のテコ」という論法である。同時に、相互信頼の確立 に不可欠なのは、北方領土に対するソ連の「立場を正しく理解することが必要」として、こう力説する。

    ソ連は第二次大戦において、世界で最も大きい人的、物的被害をこうむった。それゆえに第二次大戦の結果にソ連が こだわるのは、決して理由の ないことではないのである。北方領土問題は、ソ連にとって国際法の問題というよりは、多くの犠牲のもとにえた結果を 失えぬという、国益と感情問題なのであ る。[1,p148]


   史実を見れば、ソ連が第二次大戦で受けた被害のほとんどはドイツとの戦いによるものであり、北方領土は終戦間 際に我が国との中立条約を踏み にじって、武力で奪ったものだ。この点での自国の「国益と感情」を押し殺して、ソ連の「国益と感情」を「正しく理解 せよ」と説くことは、筋金入りの代弁者 でなければ言えないセリフだ。


   8.ソ連崩壊で代弁者の豹変

  ソ連は平成3(1991)年に崩壊し、新たな連邦「独立国家共同体」に生まれ変わった。

  これは西側諸国との軍拡競争でソ連経済が耐えきれずに崩壊した結果であった。極東においては、自衛隊 と在日米軍がソ連軍と対峙し、その消耗 を加速させた。朝日のいままでの論調と正反対に、日米同盟と自衛隊強化が、ソ連という最大の軍事的脅威を取り除いた のであった。

  ソ連の忠実な代弁者だった朝日は、この事態に豹変する。同年8月25日付け社説はこう述べた。

     「自由な共和国による揺るぎない連邦」。スターリンの時代以来、ソ連の指導層は自国をこうたたえてきた。それは建前にすぎず、実はどの共和国も、共産党と それが支配する軍、KGB(JOG注:秘密警察)などの「鉄の腕」に締め上げられてきた。・・・

  新連邦条約は何より、忌まわしい過去を清算し、これまで建前に過ぎなかったものに実質を与えるもので なければならない。[1,p163]

   「鉄の腕」「忌まわしい過去」とは、よくも言ったり。代弁者は、落ちぶれた依頼人を、手のひらを返したように見捨てた。しかし、朝日の代弁者としての本質 は変わらない。

  今度は新しい依頼人、「中国」のために奔走するようになる。
 (以下、次号。文責:伊勢雅臣)

   これを見ると何とも恐ろしい新聞ですね。終始一貫して反日を貫いています。一体この新聞は何のために発行さ れたのでしょうか。初めから日本を 貶めることを目的として造られたなんてことはないでしょうから、やはり、生き残りと利益の為に魂を売ってしまったの かもしれません。
  こんな酷い新聞であることを見抜けなかったのですから、戦前も戦後も日本人はやはりお人好しの甘ちゃんでしかな かったのかもしれません。と言うか、余りの民度の高さが裏目に出てしまったのじゃないでしょうか。
  今でも、性善説を信じる民度の高さが、民度の低い世界の国々、特に最低の民度の特亜に都合の良いように利用され てきたと言うことでしょう。
  それは余りにも高価な代償を払ったことによりやっと気が付いたのですが、これも、ネットがなければまだまだ続い ていたのじゃないでしょうか。
  日本人がその弱点を意識して世界と付き合う技量を身につければ世界最強の国になるのも夢じゃないように思いま す。
  長い間かかりましたが、日本再生を成し、いよいよ世界のリーダーとなる時が来るのかもしれません。それは、やっ と、世界の平和が本物になる時です。