日本を取り戻す為に先頭に立って活躍してくだ さっている加瀬英明さんの活動には、本当に頭が下がります。
その活動には、12月 7日 (月)、第 536回の「輝 く女性の日本」などで取り上げて来たように、日本の文化・歴史に対する深い教養と愛で裏打ちされていること が良く分かります。
ねずさんのブログと繋がるところが多く、もしかしたら、ねずさんは加瀬さんの弟子かなとも思ったことがありますが、 それは、考え過ぎでしょうね。やは り、昔の人達は、本当の日本の歴史を共通して持たれていたと言うことじゃないでしょうか。それが、GHQや反日左翼達に よって隠されてしまったことが、こ こまで、日本が堕落した原因であることは間違いないでしょう。
それにしても、こうした貴重な方が段々少なくなっていくのじゃないかと考えると、恐ろしいものがあります。早く、国 民が、こうした歴史観を取り戻すことが急がれます。
その素晴らしい知識をブログに書いてくださるのは本当に有難いことです。
今回のブログも素晴らしいです。
加 瀬英明のコラムより 2015/12/04 (Fri)
「雅」 --日本人にそなわる美意識
私たち――というと、日本の精神文化の最大の特徴は、いったい何だろうか?
ひとことでいうと、清浄感である。
和食をとれば淡白で、できるかぎり自然をそのまま取り入れている。素材の味を損なわずに、自然の恵みを楽しもうとす る。
それに対して、中華料理や、フランス料理はさまざまな素材を用いて、もとの素材にない味をつくりだす。凝ったソース がそうだが、まるで化学の実験のようだ。
日本文化は太古のむかしから、中国や朝鮮の文化と、まったく異なっていた。
和食には、山や森や、川や海の霊気が宿っている。私たちからみると、中国や、西洋の料理は、人の手が加わりすぎてい る。
中国や西洋では、厚い鉄鍋が調理の主役だ。日本では素材を大事にするから、包丁だ。
私は仕事で、ヨーロッパや、中国、インドを足繁く訪れたが、インド料理も素材の味を、そのまま活かすことがない。東 アジア料理も、強い香辛料が売り物となっている。
たしかに、私たちは中国や、朝鮮から仏教をはじめ、制度、儒教など、多くを学んできた。もちろん、漢字もそうだ。だ が、遣唐使が豚や羊を連れてくることが、なかった。
美しいという漢字は、「羊が大きい」と書く。私たちの美意識は中国人のように、唾液腺にかかわることがなかった。
日本人の美意識は、雅(みやび)にある。派手なものや、金銀のように光るものを、嫌ってきた。雅(みやび)の語源 は、平安朝の「宮び」からきているが、そこはかとない、ほのかな美しさや、香りを尊んだ。
中国の歴代の皇帝が住んでいた、北京の故宮というと紫禁城を訪れると、まばゆいばかりの財宝が展示されている。私は 皇居の新宮殿にあがったことがあるが、金銀の光るものが1つもない。ただ、気品が漂っている。
11世紀前半の紫式部の『源氏物語』は、雅(みやび)の文学であるが、「風涼しくてそこはかとない虫の声が聞こえ」 (帚木)というように、雅は抑制された美である。
また『源氏物語』は、私たちに平安の香りの文化を伝えている。藤式部の丞(じょう)が姫君の屋敷をたずねるが、ニン ニクの悪臭にたえられず、急いで飛び出す。姫君がカゼで、ニンニクを服用していた。(帚木)
梅の香がしばしば登場する。梅も橘(たちばな)も、日本の原産種ではなく、中国から船で豚や羊のかわりに、持ち帰っ たものだ。
私は中国で全員が人民服を着ていたころから、しばしば招かれたが、不潔なのに閉口した。漢字で「家」を漢和辞典でひ くと、ウ冠の屋根の下に、豕(ぶた)がいると説明している。同じ屋根の下で、豚と暮していたのだ。
中国で墓参の時や、台湾でも廟に、豚の頭を丸ごと供える。私たちには生臭さすぎる。
神道では神前に、榊(さかき)を供える。榊はツバキ科の常緑樹で、清々(すがすが)しく光沢が美しい。
『源氏物語』に光源氏が多くの恋人の1人に、「変らぬ色をしるべとして」(自分のあなたへの心は、いつも変わらな い)という和歌に、榊の葉を添えて贈る場面がある。(賢(さか)木(き))
和食は中華料理や、西洋料理と違って、清浄であり、何よりも季節を大切にする。私たちはそこはかとない隠し味を、楽 しむ。
自然は自分をそのまま、見せる。誇張することがない。日本人は心の民として、つとめて自制することと、自然の清らか さを求めてきた。
こうした日本の素晴らしさも、徐々に世界に評価される時代が来ているようです。やはり、日本が、きちんとした日本を 世界に広報する必要をつくづく感じます。
尤も、その前に、日本人が認識することが急がれます。