とうとう朴が、日韓合意の一番重大な像の撤去 を否定し 始めたようです。国内で撤去の同意が不可能なので、とうとう逃げ出したのじゃないでしょうか。
いずれにしても、日本に取っては、韓国側から合意の破棄という思惑通りの結果になるようで、大歓迎でしょう。これ で、韓国と はどんな合意も不可能という大義名分ができるので、2度と相手にしないことです。
ZAKZAKより 2016.04.27
朴 大統領、公然と“国際公約”破りか 少女像撤去「全く言及されていない」
韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が、国際公約を反故(ほご)にする構えを見せている。韓国メディアとの懇談会で、ソ ウルの日 本大使館前に不法設置されている慰安婦像の撤去について、昨年12月の日韓合意で「まったく言及されていない」などと語ったの だ。米国など第三国も支持・評価した合意を破れば、韓国の国際的信用は地に落ちそうだ。
「少女像(の撤去)とリンクされているなどというが、(日韓)合意で言及もされなかった問題だ。扇動してはならない」 「(撤去 を議論するのは)被害者(慰安婦)のためにならない」「混乱を引き起こしてはならない」
朴氏は26日、韓国メディアの幹部との懇談会で、こう語ったという。聯合ニュースが報じたものだが、この発言は間違っ ている。
昨年12月の日韓合意で、慰安婦像について韓国政府は「日本政府が公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していること を認知 し、可能な対応について関連団体との協議を通じ、適切に解決されるよう努力する」と、約束しているのである。
交渉当事者だった岸田文雄外相も今年1月の記者会見で「適切に移設される」と明言している。朴氏は「撤去」の文言が 入っていな いことを理由に強弁し始めたようだが、事実誤認もはなはだしい。
そもそも、日韓両国は昨年12月の外相会談で、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で一 致してい る。国際社会に向けて「二度と蒸し返さない」と約束したのに、朴氏はわずか4カ月で国際公約を破ろうとしているのである。
慰安婦問題に精通する拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「結局、韓国相手に、まともな外交交渉はできないということだ」と いい、続 けた。
「私は、当初から日韓合意に反対の立場で、『韓国はいずれ今回の約束を破る』と主張してきた。残念ながら、その通りに なった。 もはや、あきれて言葉も出ない。日本も、そろそろ韓国に見切りをつけた方がいいのではないか」
これで、完全に公約が破棄されれば、世界も韓国の本質を理解せざるを得なくなるでしょう。つまりは、日本が、韓国と の国交断 絶まで行っても、ある程度の理解は得られるのじゃないでしょうか。
何て、思惑通りになれば良いのですが、日本政府や産業界が実際に行う根性があるとは思えないのが残念なところです。 もう好い 加減、覚悟を決めるべきじゃないでしょうか。と言うか、踏みきってもらいたい。
3 日(火) 、第 304回の「国連見解『沖縄の人々は先住民族』に自民議員が猛反発」で取り上げた、反日売国左翼供の工作 を、水島さ んが怒りを込めて語ってくれています。
「沖 縄県 民は日本人だ!政府には国連の先住民族勧告を撤回していただきたい!」衆議院議委員 宮崎政久(内閣委員 会)2016/04/27
それにしても、最近の反日売国左翼供が最後の足掻きでしょうか、露骨なまでの反日運動が目に余りますね。これも、余命三年作戦な どに見られるように、ネットによって目覚めた日本人が増えて来たことによる危機感の現れと考えれば、歓迎すべき傾向なの じゃない でしょうか。
兎に角、日本から、反日売国左翼を一掃することこそが日本再生の近道であることは確かでしょう。何としても、壊滅さ せたいも のです。
2015年8月12日 (水)、第 419回の「間 違いに気付いていたマッカーサー」などで取り上げてきたように、マッカーサーはアメリカの過ちに気がついて いま した。
そして、1 日(日)、第 682回の「我々が本気で話す日本の裏舞台」や 2 日(月) 第 6056回の「戦争犯罪国はアメリカだった!」でも取り上げたように、ネットのお陰もあって、多くの人達 が、ア メリカが日本に対して行ってきたことの酷さに気がつき始めています。
特に、東京裁判の欺瞞は今やネットでは知らない人がいないのじゃないでしょうか。そんな東京裁判を産経がシリーズ記 事【国 会議 員に読ませたい敗戦秘話】で、詳しく取り上げてくれています。
これは、今まで知らなかった裏話のようなことが沢山取り上げられていて、改めて、その酷さを認識させられました。
産経ニュースより 2016.4.29
【国 会議員に読ませたい敗戦秘話】東京裁判は、マッカーサーが自らを「極東の統治者」だと演出づけるための政治ショー だった
~敗戦から70年。なぜ我が国は繁栄しているのか?~
雨が降っていた。正確な日時は覚えていない。旧制湘南中学校の学生だった石原慎太郎(元東京都知事)は、隣に住む大学 生に 連れられて東京裁判の傍聴に行った。父、潔がどこからか傍聴券を手に入れてくれたからだった。
法廷があったのは、大戦中は大本営陸軍部が置かれた東京都新宿区の陸軍士官学校(現市ケ谷記念館)。2階の傍聴席につ なが る大理石の階段を上がると踊り場で進駐軍の憲兵(MP)に肩をつかまれた。
「キッド(小僧)!」
大声で怒鳴られたが、何を言っているのか分からない。大学生が「『うるさいから下駄(げた)を脱げ』と言ってるぞ」と 耳打 ちした。仕方なしに下駄を脱ぐと、MPは下駄をけり払った。石原ははいつくばって下駄を拾い、胸に抱いてはだしでぬれた階段 を上った。
傍聴席から下を見下ろすと、被告席にA級戦犯として起訴された被告がずらりと並んでいた。元首相の東條英機の顔も見え た。
英語なので何の審理をしているのか、さっぱり分からなかったが、戦勝国が「支配者」として一方的に敗戦国を裁こうとし てい ることだけは伝わった。
あの屈辱感は今も忘れない。
東京裁判の法廷は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の法廷を模してつくられた。
かつて天皇の玉座だった講堂の正面部分は無残に破壊されて通訳席となり、判事席と被告席が対面するよう配置された。
1946年5月3日から48年11月12日まで続いた東京裁判は、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが、自 らを 「極東の統治者」として演出するための政治ショーでもあった。被告席は傍聴席から見やすいよう配置され、被告の顔が記録フィ ルムにくっきり写るよう照明は増設された。
45年8月30日、愛機バターン号で厚木飛行場に到着したマッカーサーは、その日のうちに米陸軍対敵諜報部隊長(准 将)、 エリオット・ソープにこう命じた。
「戦争犯罪人の逮捕者リストを作れ。そしてまずトージョーを逮捕しろ」
指令を受けたソープは当惑した。リストを作成しようにも戦争遂行に関与した人物どころか、日本政府の指導体制や大戦の 経緯 など基礎知識がほとんどなかったからだ。もちろん東條の自宅さえ知らなかった。
作業が遅々として進まぬことにいらだったマッカーサーは9月8日にソープを呼び出し、怒鳴りつけた。
「私の命令が10日間も実行されないのは前代未聞だ。48時間以内にリストを提出しろ!」
追い詰められたソープはふと思いついた。
「そうだ。マッカーサーはトージョーと言っているのだから、とりあえず真珠湾攻撃を仕掛けたトージョー内閣の閣僚を中 心に リストを作ればよいのだ…」
こうしてソープは翌9日に40人近いリストを作成した。日本軍に協力した元フィリピン大統領やビルマ独立義勇軍のアウ ン・ サン(少将)まで含まれるずさん極まりないリストだったが、これを基に戦犯容疑者の一斉拘束が始まった。
「居所が分からない」とされた東條は東京・世田谷の自宅にいた。AP通信記者からこの情報を聞いた連合国軍総司令部 (GHQ)は、9月11日にMPを拘束に向かわせたが、東條は直前に短銃自殺を図った。何とか一命を取り留めたが、その 後も GHQの失態は続き、キーマンとなる人物が相次いで自殺した。
近衛文麿はその象徴だといえる。37年7月の日中戦争開戦時の首相で、41年の日米開戦直前まで首相を務めた近衛は、 日本 の戦争責任を追及する上で最重要人物だったが、どうやらGHQは気づいていなかった。
その証拠に、近衛は終戦後の東久邇宮内閣に国務大臣として入閣し、45年10月4日にはマッカーサーが直接会って憲法 改正 を指示している。この時点では、GHQは従順な近衛に占領政策の一翼を担わせる考えだったのではないか。
近衛は戦犯リスト入りをひそかにおびえていたが、GHQが相次いで発表する追加リストにその名はなかった。11月9日 には 米戦略爆撃調査団から日中戦争の経緯などを3時間も追及されたが、19日発表のリストにも名前がなかった。
そこで近衛はようやく安堵したようだが、12月6日に突如としてリストに名を連ねた。近衛は出頭期限の16日、東京・ 荻窪 の自宅で「戦争犯罪人として米国の法廷で裁判を受けることは耐え難い」と書き残して青酸カリで服毒自殺した。
近衛のリスト掲載が遅れたのは、中国が南京の軍事法廷への引き渡しを要求したこともあるが、GHQが大戦の経緯を理解 して いなかったことが大きい。
近衛の自殺により、「軍人だけでなく文官も戦争犯罪人として処罰する」というマッカーサーの構想はもろくも崩れ、戦争 への 関与が極めて薄い元首相、広田弘毅が代わりに処刑されることになった。
× × ×
東京裁判のずさんさは数え上げれば切りがない。検事団も判事団も戦勝国のみ。A級戦犯の「平和に対する罪」は終戦近く に なって編み出された概念にすぎない。戦勝国に不都合な被告側の証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。
しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。
1946年4月10日、GHQはA級戦犯26人を確定した。ところが、遅れて来日したソ連検事団が、日ソ間の協定で解 決済 みの張鼓峰事件(38年)とノモンハン事件(39年)を蒸し返し、元駐ソ大使の重光葵と元関東軍司令官の梅津美治郎の追加を ねじ込んだ。
重光が禁錮7年の刑となったことには首席検事のジョセフ・キーナンにも自責の念があったようだ。後に重光の弁護人に 「重光 が無罪になることを期待する十分な理由があり、有罪となって非常に困惑した」と手紙で吐露している。
そんな戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東條だった。
キーナンによる東條への尋問は47年12月31日から48年1月6日まで続いた。
キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」
東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」
東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々説明し、キーナンの 「対米 侵略戦争論」をはね返した。
東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。(略)勝者より訴追せられ、敗戦 国が 国際法の違反者として糾弾されるとは考えたこととてない」と主張。その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この 責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。
自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。陸相時代の41年1月に、「生 きて 虜囚の辱を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことも非難されても仕方がない。逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。
東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。少な くと も東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。
「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりはすさまじ かっ た。
東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てた。その長男 (東 條の孫)の英勝は、小学校では誰も担任を引き受けたがらず、友達もいない。よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごした。自殺 を図ったこともあったという。就職にも苦労したが、「一切語るなかれ」という家訓を死ぬまで守り続けた。
1972年生まれの東條のひ孫、英利も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。小学校の担任教諭は何かにつけて 「東條 英機のひ孫の…」と接頭語をつけた。
小学4年の時、母親に連れられてドキュメンタリー映画「東京裁判」を見に行った。被告席で東條が国家主義者の大川周明 に頭 をポカリと殴られたシーンを見ていると、母から「あれがひいおじいちゃまよ」と耳打ちされた。
57年に東條英機の妻、かつ子が91歳で死去。玄関に飾られた曽祖父の軍服姿の写真を見て、何となく自分の家族の置か れた 状況が分かるようになった。高校では、社会科で世界史を選択した。授業中に教諭に東條英機の話を振られるのが嫌だったから だ。
「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、 GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝してい ます」
こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。重い歴史を背負う東條家の意地だといえる。
こんなエピソードは殆ど知りませんでした。それにしても、アメリカも酷かったが、それの踊らされた日本人も結構情け ない ものがありますね。特に、東条家に対する仕打ちなど、日本人もそれ程素晴らしいとは言えませんね。
それにしても、GHQが日本の関係者の情報を何も知らなかったというのも驚きですし、そうした関係者自体も、こんな とん でもない裁判で裁かれるなんて夢にも思ってなかったようです。何とも、ふざけた裁判です。
そして、GHQの洗脳によるとはいえ、長い間、それを信じてきた日本人の人の良さにも呆れるしかないですね。その洗 脳か ら目覚めてない国会議員以下の平和ボケの日本人がまだまだ沢山いることも情けないですね。
中山恭子さんの、何時もの【日いづる国より】 は、4月 28日 (木)、第 679回の「海 の女40年の紆余曲折」の続きの青山千春さんです。
今週は、いよいよメタンハイドレートの話題です。早く実用化されて、日本がエネルギー自給どころか輸出大国にもなり かねない という胸が踊る時代の到来を期待したいものです。
これを何とか阻止したい勢力の邪魔もまだまだありそうですが、何とか、突破してもらいたいものです。それにしても、 日本人の 中に、そんな奴等がいること自体が何とも情けないですね。戦後の日本人の劣化は、ここまで来ているのです。
【日 いづる国より】青山千春、神鷹丸で膨らむ資源探査の期待[桜H28/4/29]
こちらも、同じ第 297回の「日 本人の素晴らしさと、劣化」で取り上げたご主人の青山繁晴さんの熊本の地震に対する、学者への怒り です。こ の件では、青山さんの国民の命を蔑ろにする学者への怒りは凄まじいですね。ここまで、国民の為に怒ってくれるのに頭が下 がります。
それにしても、日本人の劣化は酷いですね。果たして、再生なんてできるのでしょうか。