団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★★ついに出た「通州事件」調 査・研究の決定版

2016年10月25日 | 中国

  藤岡信勝さんが、6月12 日 (日)、第 724回の 「ユ ネスコ記憶遺産に『チベット・通州事件』と『慰安婦』を登録申請」などで取り上げたように通州事件を世界に 広める為 に頑張ってくれています。

  何時もの、宮崎さんが、その通州事件を書いた本を書評に取り上げてくれています。

  宮崎正弘の国際 ニュース・ 早読みより    平成28年(2016)10月10日(月曜日。祝日) 通算第5055号    <前日発行>

  宮 崎正弘の 国際ニュース・早読み <SDR加入 中国からは資本流出が続き、人民が人民元を手放している

  書評 

 ついに出た「通州事件」調査・研究の決定版
  事件から80年余、凶悪残虐な日本人虐殺事件の全貌が明らかに

  加 藤康男『慟哭の通州』(飛鳥新社)

 中国兵に惨殺された邦人は257名(前後)。その通州事件で犠牲となった多くの日本人たちの非命を辿ったノンフィク ション、血 涙の作品が出た。
 かの「南京大虐殺」とかいう事件は、中国がでっちあげたフィクション、嘘放送の類いだったことはすでに120%証明さ れた。
にもかかわらずユネスコは、これを世界記憶遺産としての申請を認めてしまった。ブルガリア共産党出身のボゴバが主導し た。日本が 貶められているのに、政府も外務省も何もしない。
 他方、現実に起きた日本人虐殺の「通州事件」は、ようやくにして「アーカイブ」が民間人の手で設立され、歴史教科書に も一部だ けだが掲載され、各地で研究と講演会が連続開催され、国連ユネスコの「世界記憶遺産」への登録申請が行われる。
 しかし事件から長い歳月が流れ、いったいどれほどの日本人が、この事件の真相を知っているのだろうか。
 まして日本政府は、この事件を忘却の彼方へと自虐的に追いやり、戦後一度も取り上げて中国に抗議し、賠償を請求するこ ともな かった。
 このたび、加藤氏の雄渾な筆によって、総合的見地からの歴史通観、そして実地踏査に加えて、過去の重要な資料のダイ ジャストを 行う一方で、新しい資料、証言を多数あつめた。
 現場ばかりか、足を棒にして各地を歩かれ、その血涙の労作が完成した。
 複眼で通州事件をみると、これが廬講橋事件直後におきている時系列的なポイントが重要になる。なぜ、北京郊外に日本兵 がいたか は説明するまでもない。居留外国人の安全を護るため、今日で言うPKOであり、断じて「侵略」ではなかった。
 
 あと二つ、議論を始める前に、前提として知っておくことがある。
 第一は、通州事件により、日本は朝野をあげて中国を討てという合唱になって国論がまとまって、結果的に泥沼の戦争に巻 き込まれ てしまったこと。加藤氏が結論的にいうように通州の虐殺は「キ東保安部隊」と国民党との密約が存在していた。かれらはもっと大規 模な同時多発テロを準備していたことである。

 第二は中国の「兵」の定義である。
 加藤氏は言う。「中国では『兵』と『匪賊』の差がほとんどないのが実情だった。満州まで含めれば『匪賊』に『緑林』 (盗賊、馬 賊)が加わる。兵が脱走して匪賊、馬賊となり、匪賊、馬賊が帰順して兵となるのが日常化していると考えればよい」
 こういう治安状況、そして重税が課せられた北シナでは、自治政府が結成され、河北省のそれが段汝耕だった。ほかにも宋 哲元らが いた。かれらは「親日派」とされ、うっかり日本軍は段汝耕らを信じたが、地下で蒋介石と繋がっていたのだ。
 そして実際の虐殺では、シナの正規軍は日本の保安部隊と自治政府の保安部隊を襲い、数時間の戦闘となるのだが、そのあ とで起き た民間人の虐殺は、匪賊系、つまり蒋介石の別働隊である「藍衣社」系列の殺人部隊が行ったのである。

 殺戮の舞台となった通州は歴史的に由緒がある。安録山の乱は、この地から発祥した。
 明治四年、台湾で日本人虐殺がおきたとき、北京へ談判にでかけた大久保利通は「台湾は化外の地」と清朝から言質を得 た。その帰 路、大久保は、この通州に滞在した。
 「明代以降、通洲は北京に次いで繁栄した大都市だった。運河による交易で行きかう人と銀が、通洲城内を活気づかせ た」。
 大久保は通洲で一詩を詠む。
「和なり忽ち下る通州の水
  閑に蓬窓(よしずの下がった窓)に臥して 夢自ら平かなり」

 さて事件のあらまし、その凄惨を極めた現場の再現は他の諸作に譲るとして、本書では新発見のデータが頻出する。本書の 特色であ る。
 奇跡的に助かった妊婦ふたりの証言や生き残った新聞記者の実録は当時から新聞にも報道された。
 これまでの通州事件の証言、資料にはなった新しい資料が近年になってでてきた。
北京への留学生だった河野通弘は目撃者から貴重な談話を集めて記録を作り、平成七年になって手記を残した。当日、かれは 北京にい て、通州方面に爆撃によるのか、黒煙のあがるのを見て、飛びあがった。
 「拓殖大学の先輩にあたる中山正敏を訪ねて東京からやってきたばかりの亀井実の安否だった」。彼は「大使館の要請で通 州へ救援 と通訳に駆り出される」ことになった。
 通州で見た残虐な地獄。河野通道弘は克明にメモをとった。同級生だった亀井は非命に斃れていた。
 ちょっと脱線だが、ここにでてくる中山正敏氏。はて、評者(宮崎)は、思い当たった。以前に何度もお目にかかってい る。たしか 日本空手協会の首席師範の中山氏のことではないか。慌ててページを捲ると、やっぱりそうだった。中山氏は、三島由紀夫の空手の師 匠でもあり、何回か憂国忌で奉納演武を実演していただいたことを思い出した。

閑話休題。憲兵隊の荒牧中尉も記録を残していた。
 「事件当時の通州憲兵隊長は安部起吉憲兵少佐だったが、事件から一年が経過した昭和十三年八月、新たに荒牧純介憲兵中 尉が赴任 してきた。」
この荒牧が、安部が作成した事件調書を筆写しており、終戦後まで長く保存し、昭和五十六年に私家版の『痛々しい通州虐殺 事変』を 残していた。憲兵隊の原本が存在しないため、この荒巻私家版が真実を物語ることになる。

 また加藤氏は、この事件を外国人特派員はいかに報じていたかを探し当て、フレデリック・ウィリアムズが『中 国の戦争宣伝の内幕』を書いていた。これは近年、田中秀雄氏が翻訳した。 

 ウィリアムズは「古代から近代までを見渡して最悪の集団として歴史に記録されるだろう」。「最も暗黒なる町の名と して(通 洲は)何世紀のあとも記されることだろう」と書き残した。
 
 そして直近になって復刻されたのが実際の目撃者、佐々 木テンの独白録である。
 これは自由社からブックレットとなった

 佐々木テンは、中国人と結婚していたので「目撃」する側にいた。彼女は目の前で陵辱され虐殺されてゆく邦人女性たちの 業、その 非命をまぶたに焼き付けていた。その手記が、近年発見されたのである。
 かくして日本を震撼させた極悪非道、残酷無比な通洲事件の全貌が明らかとなった。これは国民必読の書である。
 
 読み終えて一言。加藤さんには次に、日本人三千人が殺され、町が血の海と化けた「通 化事件」の全貌を是非書いて貰いたい。

  『やらまいか』が藤岡さんをゲストに迎えて、この本も取り上げてくれています。

   この動画は、もしかしたら削除になるかもしれません。その場合は、新しいのを探してアップするつもりです。

  それにしても、政府・外務省は民間のこうした努力を評価して世界に広めようとする気はないのでしょうか。本当に、日 本の為に 仕事をするのが嫌いなようです。それとも、やはり、自虐史観によるものでしょうか。
  どう考えても、解体するしかないようです。

  加藤康男さんと藤岡さん・北村さんの鼎談の動画がありました。これは、削除の恐れはなさそうです。

「通 州事 件」とは何か?④ 鼎談 北村実氏・加藤康男氏・藤岡信勝氏 平成28年7月29日

 


日本とユネスコ 節度欠く分担金の保留

2016年10月25日 | マスメディア

  朝日新聞は、余程日本が嫌いのようです。と言 うか、や はり中韓の下僕ということでしょう。何と、あのユネスコへの分担金の保留に社説で、とんでもないことを書いているようです。
  もう、反日売国左翼を隠すつもりはないようです。完全に居直っています。このところ、毎日や東京など反日売国左翼メ ディアの 無茶苦茶振りが目立っていますが、流石朝日だけのことはあります。

   朝日 新聞よ り   2016年10月17日

  社説   日本とユネスコ 節度欠く分担金の保留

   カネの力で主張を押し通そうとするのであれば、あまりに節度を欠いている。
 日本政府がユネスコ(国連教育科学文化機関)に対する今年の分担金約38億5千万円などの支払いを保留している。
 昨年、中国が申請した「南京大虐殺の記録」をユネスコが世界記憶遺産に登録したことが理由とされる。反発した自民党議 員らがユ ネスコに圧力をかけるよう政府に求めていた。
 国際条約に基づく世界文化・自然遺産や世界無形文化遺産とは異なり、記憶遺産はユネスコが独自に運営する事業だ。
 審査が非公開で、関係国に意見表明の機会がないといった問題点を日本が指摘したまではいい。ユネスコも透明性の向上な どの改革 を約束していた。
 だが、分担金と引きかえに履行を迫るような強圧的な対応は賢明とはいえない。
 教育や文化の振興を通じて戦争の悲劇を繰り返さないというユネスコの理念をどう実現させるか。そのための日本の行動を 冷静に考 えるべきである。
 分担金の支払いは加盟国に課された義務だ。それを果たさなければ、制度改革も含め日本の発言力低下は免れまい。
 分担金が最も多い米国は、パレスチナ加盟への反発から支払いを凍結している。大国のエゴへの批判が続く中、分担金が2 番目に多 い日本は堅実にユネスコを支え、信頼されてきた。
 その日本が背を向ければ、途上国の識字教育、文化交流、地震警報システムなど幅広い事業に影響が出かねず、批判の的と なろう。 結果的に、日本に次いで分担金が多い中国が存在感を増すかもしれない。
 そもそも記憶遺産は、後世に残すべき資料の保存や活用を支援するもので、正しい歴史的事実を認定する制度ではない。
 南京事件については、第1次安倍政権が中国政府と合意して設けた日中歴史共同研究で、日本側も「集団的、個別的な虐殺 の発生」 を認めている。
 過剰に反応すれば「事件そのものを否定するのか」と世界から疑念をもたれる恐れもある。
 記憶遺産の審査には資料の収集、評価、保存にあたる専門家(アーキビスト)が携わる。日本が力を入れるべきなのは、こ うした人 材の育成だろう。
 慰安婦問題をめぐる日韓合意のように、歴史をめぐる溝は当事国間の対話で埋める努力を尽くすのが先決ではないか。
 「人の心の中に平和のとりでを築く」。そう憲章でうたったユネスコを歴史対立の「戦場」としてはならない。

  素晴らしいですね。南京虐殺も慰安婦問題も、朝日が散々煽ったことを、ここまで完全に無視して批判できるものです。 どう考え ても、日本の新聞とは思えません。ここまで、開き直って恥ずかしくないのでしょうか。と言うか、恥を知ってれば、とっくに廃刊し ていますね。
  未だに、平気な顔して日本を貶める記事を毎日のように書いているのですから、やはり、中国の下僕新聞の面目躍如で す。何と も、恐ろしい。

  これでも、まだ購読している人がいるのですから、日本人の劣化も本当に酷いですね。


中国 外貨貯蓄が底つ き  ドイツ銀行が資金出せず

2016年10月25日 | 中国

  ドイツ銀行が破綻するかどうかに世界が注目し てい ますが、それが、中国にも影響しているようです。やはり、ドイツと中国は一蓮托生なのでしょう。
  日本の経団連の訪問も、この崩壊寸前の中国からの撤退にあったようですが、もう遅いでしょう。ドイツと一緒に中国の 道連 れでしょう。今は、損切りとして割り切って撤退するしか無いのじゃないでしょうか。その体力のない企業は、自己責任で中国と 共に崩壊するしかないでしょう。お気の毒としか言いようがないですが、欲に目が眩んで安易に進出した報いですから諦めて もら うしかないでしょう。

  中国の外貨不足を詳しく書いてくれているものがありました。この日本新唐人テレビというのは、初めて見ましたが、結 構面 白そうです。 

  日本新唐人テレビより   2016年 10月 12日
   
  中 国 外貨貯蓄が底つき ドイツ銀行が資金出せず

 中国から撤退しようとする日本企業が資金持出しの制限を受けて撤退できない状況にあるため、日本経済界は史上最大の訪 中団 を結成し9月下旬、陳情のため北京を訪問しました。しかし、こうした事態は日本だけではありません。10月に入り、今度はド イ ツ銀行も危機に陥りました。

 ドイツ銀行は米司法省に140億ドルの罰金を科せられており、苦しい立場に立たされています。原因はサブプライムロー ンを め ぐって不適格の債務者に金を貸し、それを安全な投資として他の投資者に転売したからです。罰金の金額については話し合う余地があるものの、いずれにせよ驚 異的な額になるのは間違いないでしょう。

 ドイツ銀行は罰金を用意するため、2015年12月、所有する華夏銀行の19.99%の株を中国人民財産保険に売却し まし た。取引価格は230億~257億人民元で、これは約32億~36億ユーロに相当します。米司法省に罰金を支払うために用意 したこの資金は、2016年9月現在、中国からいまだ持ち出せないままです。

 ブルームバーグは、中国政府の外貨為替管理局がドイツ銀行に対し、この大口の金額を中国から一気に引き落とさずに何回 かに 分 けて引き落としを行ってほしい、と申し入れていると報じました。ドイツ銀行はこの件について、「関係者と調整中」と述べていますが、外貨為替管理局はドイ ツ銀行から何も申請がないと言ってとぼけています。

 ドイツ銀行にとって悪いニュースはこれだけではありません。華夏銀行の株券の取引について、中国銀行業監督管理委員会 (銀 監 会)がまだ最終許可を下していないのです。そのため、ドイツ銀行は株売却で得た金をまだ受け取っていません。

 一方、中国政府の外貨準備高が不足しているとの報道が相次いでいます。ツイッターでは、中国政府が近く、個人が分割で 為替 決済を行うことを禁止し、為替売買の年度総額をごまかせないよう管理する通達を出すとの消息が流布されています。外貨管理局 は、個人が7日間以内に同じ外貨預金から1回につき約1万ドルを5回以上引き出すこと、また、個人が外貨預金を5人以上 の直 系親族の口座に移すことは、為替決済の分割行為であると規定しています。

 中国政府は自国の外貨準備高が多いと吹聴していますが、そもそも政府の金ではありません。外国企業が中国に投資した際 に人 民 元と両替したものであり、そのほかは輸出によって獲得したものです。しかし今、外資が中国から撤退したがっているほか、国民 が海外に行くため外貨を持ち出しているため、政府には外貨がないのです。いったいなぜこのような事態になったのでしょう か?  その原因の一つ目は、政府が海外で金をばらまきすぎたこと、二つ目は、指導者が率先して海外に資金を移していることです。 よく見受けられる中国企業による外国企業の買収合併も、外貨流出の原因です。

 中国政府が経済発展を誇示するために嘘のデータを発表していることにより、紙幣が制限なく発行されています。もし中国 国民 が 人民元がすでに破綻の危機に陥っている事実を知ったら、我先にと海外へ出国しようとするでしょう。そのようなことになれば、 人民元は紙くずと化し、共産党は崩壊します。外貨管理局は、人民元と米ドルのレートを6.7で維持するため、海外の市場 で人 民元を大量に買う一方で、国内では外貨の流出を防ぐため、企業の資本から国民の両替まで、厳しくコントロールしています。香 港の長江実業グループ率いる李嘉誠は非常に良いタイミングで中国から撤退し、日本企業やドイツ銀行のような事態に陥るの を免 れました。

 中国政府は外国企業や一般国民の資金流出を止めることはできても、官僚の逃亡を止めることはできません。人民元の動向 を見 る と、中国共産党の崩壊はすでに始まっていると言えます。ひとたび人民元を維持できなくなれば、崩壊は誰の目にも明らかとなるでしょう。この時、唯一災難か ら逃れられる手段は、中国共産党から離れることです。

  香港から逸早く逃げ出してロンドンなどへ逃げたと言われる李嘉誠が、一番良く分かっていたということでしょう。それ に乗 らずに、欲に目が眩んで何時までもぐずぐず残った所がその報いを受けるということでしょう。
  それにしても、中国に金を注ぎ込んで、世界を混乱させたことに対する反省もなく、未だに延命させようとしている国や 企業 があるのですから、欲に目が眩むというのは恐ろしいですね。
 

それにしても、しぶとい!

★吉田清治「韓国スパイ」説を追う

2016年10月25日 | ニセ慰安婦(売春婦)・就職詐欺被害者問題

  大高美貴さんの吉田政治の長男からの証言とい う衝撃の スクープを、8月31日 (水)、第 1177回の「慰 安婦“捏造”吉田氏の長男が真相激白」や、9月19 日(月)、第 1196回の「吉 田氏 長男『父は大変誤った歴史を作り出した』」で取り上げましたが、もっと大騒ぎになっても良さそうなも のです が、反日売国左翼マスコミの報道をしない権利の行使によって全く表に出てきません。

  辛うじて、産経が取り上げてくれています。これは、月刊正論の記事だそうです。かなり長いので、全文はリンク元で読 んでくだ さい。あの不可思議な養子の長男への取材もされているようです。 
  
  産経ニュースより     2016.10.17

 【月刊正論】「慰 安婦狩り」を偽証した吉田清治「韓国スパイ」説を追う 大高未貴(ジャーナリスト)

 日本が組織的な「慰安婦狩り」を行ったという吉田清治氏の証言は平成26年8月5日に、朝日新聞が朝刊で「虚偽」と判 断し、関 連記事も撤回された。果た して彼はなぜ、このような偽証をしたのか、私はずっと疑問を抱き続け、彼の長男にインタビューをするなどして、その真相を追って きた。その成果の一部はす でに「新潮45」9月号に、掲載している。

 取材で興味深かったことの一つは、吉田氏から韓国の「ある組織の人」と接触していたと明かされたという、公安警察の刑 事の証言 だった。この刑事は「私は 聞いた時からKCIAだと思っていました」と話した。KCIAとは当時、国家安全企画部だった韓国の情報機関のことであり、この 刑事の推測が事実なら、吉 田氏は韓国のスパイか工作員として使われていた可能性すら出てくる。もちろん、裏付ける証拠はまだないのだが、吉田氏が戦前戦後 を通じて朝鮮社会と深い関 わり合いをもっていたのは事実である。本誌では、このことについて報告してみたいと思う。

 「ある組織」とは

 私がインタビューした公安警察の刑事とは、神奈川県警の元刑事・堂上明氏(仮名)だ。堂上氏は、昭和三十七年に警察学 校に入学 し、翌年から神奈川県警の 戸部署、横浜水上署、本部外事課、鶴見署などに勤務し、公安警察の最前線で諜報活動を行ってきた人物である。その彼が、なぜ吉田 氏のことを詳しく知ってい るのか。彼の話をもとに説明しよう。

 堂上氏は昭和51年、ソ連に留学した経験がある吉田氏の長男とその弟と接触。横浜港に入ってくるソ連船の動きを見張る ため、兄 弟の語学力の活用を試みた。

 「東芝のパーツ工場にソ連の大学を卒業した人物がいるという情報が入ってきて、会いに行きました。当時、水上警察署の ほうから 船会社でロシア語ができる 人間を求めているという話があった。これは就職させられると、兄は東京共同海運に、弟は別の運輸会社の横浜支店に就職させまし た」

 いま78歳だという堂上氏は、かつての職場の身分証を示しながら丁寧に記憶を辿って話し始めた。彼は吉田家と一家ぐる みの付き 合いをするようになり、昭和55年の梅雨時、吉田氏から重大な事実を聞かされたという。その時のことを、こう証言する。

 「突然、鶴見署へ私を訪ねてきた。玄関で土下座して私を呼んでいると連絡があったので行ってみると、奇妙な話を始め た…」

 堂上氏の証言では、吉田氏はこんな話をしたのだという。

 「実はある人から『お前の息子たち兄弟は敵国であるソ連のために働いていて、けしからん。こういう状況ではこれまで進 めたこ と、これから進めることにあ んたは参加できなくなる。即刻、兄弟をソ連のために働いている会社から退職させなさい。あとの就職についてはこちらで面倒みる』 と言われました。それで息 子たちに内緒でそれぞれの会社を訪れ、退職させてきました。でもこのまま帰宅したら息子たちに殺されかねないので、息子たちの間 に入って、彼らを納得させ てほしい」

 堂上氏は、吉田氏の息子たちを、ソ連のために働かせたのではなく、ソ連の情報を集めるために、会社に潜り込ませたのだ が、吉田 氏はそれを知らなかった。 しかし、吉田氏に、そんなことを言わせた「ある人」とは誰だったのか。堂上氏は私の前で、このときの吉田氏との会話を再現した。

 「私が『一体、あなたにそう言うのは、どんな組織の人なんですか』と聞いたら、口ごもってましたが、やがて『半島の人 です』と 言いました。半島といって も二つあるから『どちらですか』と重ねて問うと、『韓国です』と。実は私は聞いた時からKCIAだと思っていました。それを口に 出させようとしたんです が、結局、最後まで『ある組織』とだけしか言いませんでしたね。『その組織がいつも2、3人、そばについていて、もう自由に行動 できない』とも言っていま した」

 昭和55年といえば、吉田氏が慰安婦について初めの著作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を書いてから、3年 後であ る。そのとき、彼は「組織がいつも2、3人、そばについていて、もう自由に行動できない」という状態にあったというのである。… 以下略

  この続きが養子の長男の方への取材です。吉田の長男の方といい、亡くなってしまっているのか、全く行方が解らないの だろうと 思ってましただけに驚きです。
  このあたりは、もっと政府・外務省が真剣に探すべき人達じゃないでしょうか。どうせ、全く興味も無かったのでしょう ね。つま りは、慰安婦問題を解決しようなんて意欲が全く無いということです。
  
  兎に角、日本の政府や省庁の触らぬ神にたたりなし精神は、本当に情けないですね。