韓国が崩壊に向かってまっしぐらなのを、お気 の毒に と、心配して笑いが止まりません。
まさか、予定通りの大統領攻撃が、こんなに早くなるとは思ってなかっただけに、驚きですが、もしかしたら、これは慰 安婦問題 で挺対協の効き目が無くなった北の新たな陰謀かもしれないですね。どうせなら、南北戦争で徹底的に潰し合いをやって一緒に消滅し てくれれば最高なのですが、どうでしょう。
その、韓国恒例の大統領問題について、何時もの阿比留さんが韓国を笑っている場合じゃないと、日本も似たり寄ったり と警告し てくれています。
産経ニュースより 2016.11.7
【阿比留瑠比の視線】日 本には現職首相相手に訴訟を起こし争っている元首相も… 国家指導者の晩節、韓国を笑えず
10月30日付本紙では、大野敏明編集委員が、旧満州(現中国東北部)で抗日独立運動を指導したとされる金日成(キ ム・イルソ ン)と名乗る人物が日本の旧陸軍士官学校出身だったことを新資料を基に報じていた。本名は金顕忠(ヒョンチュン)というのだそう だ。
金日成といえば、北朝鮮元主席で民族の英雄であり、現在の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長の祖父にあたる。もっと も当時、 金日成を自称する者は複数いて、金日成元主席自身も本名は金成柱(ソンジュ)で伝説の英雄の名前を権威付けに使っただけだとされ る。
筆者は以前、これら金日成の一人が率いる匪賊(ひぞく)部隊と銃撃戦を交えたという当事者の話を聴いたことがある。元 大本営陸 軍部参謀で、戦後は伊藤忠商事会長を務めた故瀬島龍三氏である。
昭和10年夏頃、満州東部の治安確立のため機関銃中隊を率いていた瀬島氏は、白頭山系の森林地帯で、匪賊討伐のため道 なき道を 駆け巡っていた。
「金日成の部隊から銃撃を受け、九死に一生を得たこともあった。もっとも本物かどうかは分からないが…」
瀬島氏はこう語っていた。翌11年5月ごろまでの約1年間の任務だったが、軍人生活を通じて、唯一の前線指揮官として の日々 だったという。
前置きが長くなったが、瀬島氏は中曽根康弘元首相のブレーンだったことで知られる。ただそれだけでなく鈴木善幸、竹下 登、海部 俊樹の各首相の要請を受けても、陸士人脈を生かして非公式の特使として韓国政府との経済協力など各種調整や関係改善に尽力してい た。
55年には、後に大統領となる全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両氏(ともに韓国陸士11期) に会い、 「軍の先輩」として日本をはじめ北朝鮮や米国との関係についてアドバイスもしている。
筆者も編纂(へんさん)に関わった瀬島氏の著書『幾山河』には、63年1月、退任間際の全大統領をソウルの青瓦 台(大統 領府)に訪ねた際、「退任後のあり方」について助言を求められ、こう答えた場面が出てくる。
「退任後のあり方だが、これを一歩誤ると、(中略)有終の美ではなくなってしまう。退任後は次の最高責任者を陰 に陽に助 けていくことが大切でしょう。それが最高責任者だった者の国家に対する責務だと思います」
全氏は同年11月、親族による横領や収賄の責めを負う形で、ソウル東北150キロの極寒の地にある禅寺に自ら籠 もること になる。
全氏だけではない。跡を襲った盧氏、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博 (イ・ミョンバク)の歴代大統 領はみな親族や側近、自身の不正蓄財や収賄事件、さらに自殺などで退任後、不名誉な話題を呼んだ。次の最高責任者を支えるど ころではなく、石もて追われる ように去った。
そして現在の朴槿恵(パク・クネ)大統領もまた、友人に機密資料を提供して国政に介入させていた疑惑で国民に謝 罪するな ど、窮地に立たされている。とても退任後に次の大統領を助ける余裕など持てまい。
大統領経験者がみな刑事事件に巻き込まれて権威を失墜させるような韓国のあり方は異様に見えるが、翻ってわが国 の場合は どうか。
中曽根氏や海部氏をはじめ、村山富市氏、小泉純一郎氏、鳩山由紀夫氏…と国会議員を引退しても特に疑獄などに 引っかかる ことなく、それぞれ自由に活動を続けている。
だが、そのうち何人が国家国民のため自分を殺して後の首相らを助けてきただろうか。むしろ、党利党略による政治 的思惑や 自己顕示欲、嫉妬心などから足を引っ張りがちな傾向すらうかがえる。
中には現職の首相相手に訴訟を起こして地裁、高裁と連敗した揚げ句、最高裁に上告してまで争っている元首相まで いる。こ れでは、韓国のことを笑えない。(論説委員兼政治部編集委員・阿比留瑠比 あびるるい)
最後の元首相は阿比留さんの言うアレですね。アレは、あちらの人だと思われるので、やはり、同じ行動を取るのでしょ う。
それにしても、戦後70年の工作で、日本がどんどん韓国に似てくるのが何とも恐ろしいですね。
先人が長い間かかって造り上げてきた素晴らしい日本も、わずか70年で、ここまで劣化するのですから、工作といえ教 育とは恐 ろしいものですね。