昨日、中国の大気汚染を取り上げましたが、その先例とも言えるロンドンのスモッグについてGIGAZINEが詳しく書いてくれています。結構長いですが、勉強になります。
ロンドンが克服した問題を、中国が果たしてできるでしょうか。私には、そうは思えません。もう一つ心配な国がインドですが、こちらはきっと克服してくれるのじゃないかと期待しています。
つまりは、共産党という恐ろしい政権が、そんな人民の為の政策をやるとは思えないからです。
GIGAZINE(ギガジン)より 2016年11月21日
史上最悪規模の犠牲者を出した公害「ロンドンスモッグ」とは?
1952年12月5日から9日にかけてロンドンで発生した非常に濃いスモッグは、住民の呼吸器官や体に大きなダメージを与えて、合計1万2000人の犠 牲者を出しました。これがのちに「1952年の大スモッグ」「ロンドンスモッグ」と呼ばれる、大気汚染としては史上最悪規模の公害です。
Persistent sulfate formation from London Fog to Chinese haze
Scientists have figured out the terrifying reason London fog killed 12,000 people - ScienceAlert
パリが「花の都」と呼ばれるように、ロンドンは「霧の都」と呼ばれますが、ここでいう「霧」とは朝方に街中が真っ白に覆われる「フォグ(フォッグ)」の ことではなく、薄ぼんやりと街を包み込む「スモッグ」のことです。「スモッグ」という語が初めて世に出てきたのは、1893年1月19日付けのロサンゼル スタイムズに「a witty English writer」によって書かれた文章だとのこと。ただ、一般的には1905年に開催された公衆衛生学会において「Fog and Smoke」という論文を発表したアンリ・アントワーヌ・デ・ヴォー医師がロンドンで見られる「霧」のことを指して造った語(smoke+fog)だと言 われています。
スモッグの原因を生み出していたのは石炭でした。石炭と人類の関わりは古く、中国・瀋陽では新石器時代(紀元前4000年)の石炭製の装飾品が見つかっ ています。中国の撫順鉱山では紀元前1000年ごろに銅を溶かすための燃料として用いた記録があり、2世紀にはローマ人が現在のスタッフォードシャーで採 炭を行っています。ただ、長らく木や木炭のほうが主流でした、
スタッフォードシャーなどブリタニア(現在のイギリス)で行われていた採炭はその後、ローマがブリタニアを失って以後は下火になったらしく、10世紀ご ろには記録が途切れているそうです。しかし、13世紀には活気を取り戻しました。そしてこの時期からロンドンは「空気の質が悪い」と言われるようになりま した。
イギリスでは燃料として用いる木材が他の地域よりも早く採れなくなったために石炭への依存度がどんどんと高まり、1700年には世界の石炭の6分の5が イギリスで採掘されるようになりました。そして、大気の状況も悪化の一途を辿りました。「もし石炭がエネルギー源として使えなければ、1830年代には水 車小屋に適した場所がなくなっていただろう」とも表現される産業革命によって、ヴィクトリア朝時代のロンドンではのちにスモッグと呼ばれることになる霧が たびたび発生、まさに「霧の都」と呼ばれるにふさわしい状況になっていました。
大気汚染と健康被害との関連は古くから知られていて、19世紀には死者数が発表されていました。1909年にはグラスゴーとエディンバラで1000人以上が死亡。それからも慢性的に犠牲は出続け、その頂点が「1952年の大スモッグ」でした。
1952年12月、ロンドンは高気圧に覆われ冷たい霧が出て、市民は暖房にいつもより多くの石炭を使用しました。無風状態も手伝って、煤煙はロンドン上 空に分厚いスモッグの層を形成することになりました。その濃さは「前が見えなくて車が運転できず、交通が混乱」「劇場ではオペラが見られず上演中止に」と いうほどのものでした。高気圧と無風の影響によって、スモッグは5日間にわたってロンドンに居座り続け、その間に屋外・屋内を問わず、有害物質が蔓延する ことになりました。この時期、ちょうどロンドン市街の交通網が路面電車からディーゼルバスに転換されたところで、それまでよりも石炭の使用量が多かったと いうのも不運な点でした。
スモッグが出るまでの1日の死亡者数は300名ほどで推移していましたが、スモッグが発生すると1日に400人以上が亡くなるようになり、最大で1日 900人ほどが亡くなるという事態に陥りました。スモッグは12月9日に天気が変わると消えましたが、そこまでに亡くなった人の数は4000人。また、ス モッグが消えても死亡率はスモッグ発生以前の数字に戻ることはありませんでした、政府は当初、スモッグが消えた後に亡くなった人はインフルエンザによるも のだと考えましたが、その死亡率は翌1953年冬の数字に比べて4倍という異常な高さで、これだけの数がインフルエンザで亡くなるためには致死率が2倍で ある必要があるというほどでした。
大気汚染の健康影響研究|環境儀 No.21|国立環境研究所
以後、これを教訓とした規制が進められ、1954年にロンドン市法が、1956年・1968年に「大気浄化法」が制定され、暖炉の使用が禁止となりました。
しかし、実は石炭を燃やしたあとに放出された物質がいかにして霧に浸透するのか、その化学の部分は詳しくはわかっていませんでした。これを調べたのがテキサスA&M大学のレーニイ・チャン氏らのチームです。
チームは今まさに大気汚染に苦しめられている北京と西安で調査を実施。その結果、NO₂(二酸化窒素)とSO₂(二酸化硫黄)に霧の水滴が混ざって相互 作用が起き、硫酸塩ができることがあるとわかりました。霧が蒸散すると残った硫酸塩が濃縮されて「濃縮硫酸塩の粒子」になって人々に害を与え、スモッグが なくなったあとも強い酸性の雨を降らせる、というわけです。
ただし、「ロンドン・スモッグ」と中国で起きているスモッグでは大きく異なる点が1つあります。それは、ロンドン・スモッグが強酸性なのに対して、中国のスモッグは中性であるという点です。
これを細かく調べていくと、発電所からSO₂が、自動車からNO₂が発生しているというところまでは往時のロンドンと似ていましたが、中国では急成長と都市化によって窒素肥料を大量生産・大量使用していて、NH₃(アンモニア)が大量放出されていることがわかりました。
中国でも大気汚染をそのままにしているわけではなく、SO₂排出規制に力を入れていますが、チャン氏らはNO₂とNH₃の排出も規制することが硫酸塩生成対策に効果的であると指摘しました。
ロンドンが「スモッグの都」ではなくなったように、中国のスモッグが「そんな時代もあった」と回顧されるようになる日が早く来ることを願います。
最後の方は、ロンドンのスモッグと今の中国の大気汚染が違うとか、早く無くなるようになどと甘いことを書いていていますが、そんなことが期待できる国 じゃないでしょう。つまりは、国民のことなど考えてい無い中共がそんなことをするとは思えない。
その上、中国は大気汚染の上に水の汚染もあります。もう打つ手はないのじゃないでしょうか。その解決法は、中国の崩壊しかないということでしょう。
つまり、中国の延命の為に金を注ぎこむ金融業界や産業界が手を引くべきなのです。世界だけでなく中国人民を救うのは、それが一番でしょう。
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