団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★インド軍は装備が劣っても戦意は高く、戦闘力あり

2022年09月09日 | 国際

  インドのしたたかさには驚かされるばかりです。何と二隻目の空母を建造、三隻目も予定しているそうです。

  宮崎さんが報告してくれています。それにしても、このしたたかなインドと雖もChinaを追い抜いて叩き潰すのはそう簡単ではないでしょう。と言うか、そんな奇跡のようなことが起きて欲しいものです。

 「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)9月5日(月曜日) 通巻第7452号 

 インド軍は装備が劣っても戦意は高く、戦闘力あり
  インド海軍,2隻目の空母「ビクランド」(4・5万トン)が就航

 「空母」とは英悟でAIRCFAFT CARRIER(飛行機を運ぶ船)、要するに「いつでも何処でも移動できる空軍基地」のことであり、機動性がもっとも重要となる。
ソ連は空母を九隻建造したが、ひとつがウクライナで鉄の塊となって中国が引き取った(現在の空母「遼寧」)。もう一隻の生き残りがインド海軍でいまも現役。ほかは廃棄された。つまりロシア海軍は空母を保有していない。

 2022年9月2日、インド海軍にとって二隻目、国産空母としては初。空母「ビクラント」(サンスクリット語で「勇敢」の意味)が就役し、モディ首相等も 式典に参加した。旧ソ連製空母「ビクラマーディティヤ」もなお現役だが、いずれも中国の軍事的脅威への対応である。インドは3隻目の空母建造も視野に入れ ている。

 モディ首相は南部コーチの就役式で、「ビクラントは単なる軍艦ではなく、インドの技術と才能を証明するものだ」と力説した。
 ビクラントは全長262メートル、排水量約4万5000トン。1600人の乗員。ミグ29など戦闘機20機と作戦ヘリ10機が搭載され、スキージャンプ式が採用された。フランスとイタリアが設計に協力、ガスタービン四基で推進する。

 インド海軍の陣容はおよそ6万人弱、司令部はニューデリーだが、コーチ、ムンバイなど東西南三方面に分かれ、立派な士官学校がある。インドでは軍人はエリートである。

 三隻目の空母は現在の軍備拡充計画の一環で2030年ごろに就航を予定し、6・5トン、カタバルト方式で原子力駆動となる。

 インド海軍艦艇は、現有137隻から2027年を目標に200隻体制へ移行させ、空母のほか、艦船39,潜水艦59隻の陣容となる。

 またインドはクアッド加盟前から米海軍とは共同演習をくりかえし、日本の海上自衛隊とも合同演習を繰り返した。

 中国は6月に進水した「福建」を含め3隻の空母を保有し、4隻目も建造中だ。パキスタンやスリランカに中国海軍の拠点を設け、アフリカ北東部ジブチに軍事基地を建設して一万人の中国人民解放軍が駐屯、まるでインドを取り囲むように軍事的脅威を示威してきた。
 かくしてインド洋の波、高し。

  インドもカースト制をイギリスに導入されなかったらこれ程の苦労をせずにもっと発展していたのじゃないでしょうか。
  Chinaが滅びてインドが日本を追い抜いてアメリカに次ぐ国になるときは来るのでしょうか。


★五輪スポンサーに「出版枠」

2022年09月09日 | オリンピック・サッカー・スケート等のスポーツ団体

 森元総理に続いてカドカワの名前が浮かび上がって来たようです。どこまで広がるのか、それともこれで終わるのか。
  どうせならIOCにまで飛び火してオリンピックの終わりに繋がって欲しいものです。

  それにしても、スポーツを食い物にする企業の金の亡者振りにはがっかりさせられます。
  何時になったらこんな世界がまともになるのでしょうか。どうもそんな時が来るとは思えない。


★軍と公安は共産トップの生命線

2022年09月09日 | 中国

 習皇帝は修正皇帝を手に入れるのじゃないかと言われていますが、まだまだそうは甘くないようです。どうやら内部批判が出て来ているようです。

  及川さんやHaranoさんがそんな懸念を別な方向から解説してくれています。 

 


  さて、習皇帝の運命はどちらに転がるのでしょうか。どちらにしてもChinaの前途は無いでしょう。と言うかあって貰っては困ります。


★日本初の月面着陸へ…世界最小探査機オモテナシ

2022年09月09日 | 日本再生

 アメリカの新しい取り組みで再会したアメリカのロケットの発射延期が続いている。もう今頃は成功していて欲しいものです。
  と言うのも、子のロケットに日本の月面探査機が乗せられているのを知ったからです。
  どうせなら日本のロケットで打ち上げて貰いたかったという思いもありますが、やはり、予算の関係でしょうか。

  日本が宇宙で世界を率いるなんて時代が来るのでしょうか。そんな日が来ることを期待したいものです。


★南京銀行前に「お金持ち」が集結して抗議の背景は?

2022年09月09日 | 中国

 China経済はいよいよ混沌としてきたようです。特に、銀行の支払い問題が酷いようです。
  南京の銀行前には金持ちが講義にあつまっているようです。 

  その意味を妙佛 DEEP MAXさんが解説してくれています。

 

  Chinaの銀行にはもう金が無いのでしょう。それ程にChinaは追い詰められているのでしょう。
  これで、生き延びることが出来るのでしょうか。どう考えても有り得ないでしょう。後は一日も早く崩壊してくれることを期待します。

★9月1日は関東大震災があった日

2022年09月09日 | 韓国

 この関東大震災の真実を知ったのもネットからだったと思います。毎年9月1日のマスメディアはこぞってこの大震災を取り上げますが、犠牲者の多さの意味を報道するところは無かったようです。
  当然の如く、地震の大きさだけが印象に残っています。東南海地震を経験している我が香川でも他人事では無いだけにその恐ろしさを思い知らされます。

  その裏で行われたKorean の恐ろしさをねずさんも毎年取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/01
  
  9月1日は関東大震災があった日

  ・・・略

 このところあちらこちらで申し上げていることですが、わが国は「農業国家」であったとよく言われるけれど、実はそれは言葉足らずで、もともと日本人は3 万年以上も海洋族として生きてきた歴史を持ち、わずか2681年前に、稲作を中心とした国造りが行われるようになってからも、常に自然災害と正面から向き 合って暮らしてきた歴史を持ちます。
わが国は、古来「災害対策国家」であり続けた国なのです。
この形が崩れたのは、戦後になってからのことです。

 災害とは、国家における緊急事態です。
そして緊急事態に平時から備えることは、災害の多い日本では、政治のもっとも大きな役割です。
このことは、私たち日本人はあらためて確認し、認識すべきことです。

 巨大地震は恐ろしい出来事です。
けれど前回の関東大震災(1923年)による犠牲者の9割以上は、震災による死亡ではなく、震災後の火災、それも放火によるものでした。
そしてその放火は、人為的にもたらされた不逞外国人によるものでした。

 このことは、冒頭に述べた過去の関東の震災のみならず、
阪神淡路大震災(1995年)の当日死亡者が5036人であったこと、
東日本大震災の死者が津波被害を含めて1万5786人であったことをあわせ考えても、
関東大震災の犠牲者が、突出して多かったことは、あきらかに異常な事態であったといえます。

 地震が起こることを防ぐことはできません。
しかし、震災による被害を最小限に食い止めることができるように、日頃から備えることは、人の力でできることです。
我が国は、国をあげて、災害対策に取り組んできた歴史を持ちます。
その歴史を、現代で途切らせる理由は何もありません。

 私達は日本の原点に還ることで、いかなるときでも、豊かで安全で安心して暮らすことができる日本を築いてくべきです。



  それにしても恐ろしい人達です。それだけで終わらずそれを日本人の所為にするその有り得ないやり方です。
  やはり、何があっても付き合うべき人達じゃないですね。


★お隣りが自衛隊に向けてレーダー照射した証拠映像を日本が公開!

2022年09月09日 | 韓国

 レーダー照射事件は文ちゃんの指令だったことが明らかになりましたが、それでも奴等が謝罪することも無さそうです。

  そんな詳細を【グレートJAPANちゃんねる】が分かり易くまとめた動画をアップしてくれています。


  何とも恐ろしい国です。これも日本の腰の引けた対応が奴等をつけあがらせた結果と言えるでしょう。
  つまりは、政・官・財・マスメディアのお偉いさん達が完全に籠絡されたスパイだという証拠でしょう。何とも情けないですね。


★縄文土器の出現は窯業史上を画期し、水田稲作遺跡は経済史を書き換えた

2022年09月09日 | 誇れる日本

 縄文時代が脚光を浴びてきています。子供の頃に教わった時は縄文時代は原始時代という遅れた時代という感じでした。

  それが、ネットで新しい発見があったことにより評価が変わったことを知りました。

  そんな変化を詳しく書いた本が出たようです。何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
  それにしても、日本は本当に凄い国のようです。まさに、選ばれた国と言えそうです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月29日(月曜日) 弐 通巻第7445号

  書評

 縄文土器の出現は窯業史上を画期し、水田稲作遺跡は経済史を書き換えた
  前方後円墳は墓制、祭祀の歴史考察を画期し、マルクス歴史家は沈黙した

 藤尾慎一郎『日本の先史時代』(中公新書)

 この本の筆者は佐倉市にある国立歴史民俗博物館の教授で、専攻は先史考古学。
本書は日本の考古学最前線から『日本創世』の実像を追求する。最新の情報がつまっていて、現段階の考古学の実情が手に取るように分かる。知らないうちに最前線ではつぎつぎと従来的史観がひっくり返っていたのだ。
 1949年の岩宿の発見が、日本に旧石器時代の存在を浮き彫りにしたが、以後、考古学世界では重要な遺跡の発見ラッシュが続いている。
なにしろ考古学を画期する遺跡がつぎつぎと出てくると、従来の歴史学者は真っ青になる。
 氷河期が終わりかけた時代、北海道と樺太と沿海州シベリアは陸続きだった。本州と四国と九州は繋がっていた。日本海はまさに湖のようで、津軽海峡は氷結 すると渡河できた。対馬、壱岐も九州の一部(つまり陸続き)だった。朝鮮半島は目の前、縄文海進で海面が上昇するのは6000年から6500年前、縄文中 期である。
 マンモスを追ってシベリアからやってきた原日本人は津軽海峡を渡河できた(マンモスは北海道で南下がおわった、と著者は言う)。それ以前の氷河期には恐竜がうようよと日本列島を這い回っていた。丹波から越前にかけて恐竜王国だが、この時代までは本書はカバーしていない。
1999年に津軽半島の太平山元遺跡から16500年前の土器が出土し、この「大事件」が日本史を塗り替えた。ただし、土器の出土は日常的に食糧を加工していたことは分かったが、弓矢、石鏃は発見されなかった。
漁は小舟で、狩猟は罠を仕掛けていたのだろう。
縄文芸術でもある土偶は13000年前のものが三点見つかっており、縄文中期になると、祭祀の祭具として儀式に使われ、アニミズム的シャーマンが、原始的な祈りを捧げるときに土偶を用いたことがわかったのも、近年である。

 水田遺跡でも板付遺跡から縄文土器が出土した。
ということは、稲作が縄文時代から定着していたことが判明したのだ。この大発見は1978年になってからだ。つい昨日の大事件、板付遺跡の水田跡には井戸、用水路、堰、取水溝、排水溝の設備があり、弥生時代になると環濠集落化していたことも考古学的に証明された。
「板付遺跡で水田稲作が始まってから百年ほどたったころ、北西約1キロメートルにある那珂遺跡で、環濠集落が出現する。環濠は二重にめぐって」(116p)いて、同様に付近の遺跡から石剣、石鏃など武器がでた。戦争が常態化する時代となっていた。
東北でも「前四世紀に遡る水田跡が発見された。弘前市にある砂沢遺跡だ」(130p)。
著者の藤尾氏は縦軸に先史時代、旧石器、縄文、弥生、そして古代の遺跡を比較総合し、硬質な記述を避けながら具体的に論じていく。

 さて評者(宮崎)は高校時代の夏休みを利用して三週間ほど東日本をほっつき歩いたことがある。放浪癖は中学生時代からで、各地のユースホステルに泊まり歩き、北は北海道でアイヌ集落、青森でねぶた祭り、仙台で七夕祭り、三陸リアス式海岸も歩いた。
学校の歴史では「登呂遺跡」が日本最古と教わり、静岡へ行ったときは真っ先に登呂遺跡見学へ行った。凄い人出があってわくわくしたものだった。1962年ごろだから60年前のことになる!
二年ほど前に改めて訪れたが、見学者がほとんどいない。閑散としており、資料館は近所の子供たちの学習塾風。駅からのバスで登呂遺跡(終点)まで乗ってい たのは評者一人である。バスの運転手は「寂れてしもうて、観光客なんか来んで。ここ(登呂)の前の縄文の遺跡がぎょうさん出てきたからね」と言った。
板付遺跡の発見は1950年だが、発掘は1970年からで、用水路と灌漑施設が発見され、縄文期に水田があったと分かったのは1978年である。比較的近年のことだ。稲作が弥生時代に半島からもたらされたとした従来の説は否定された。

 真脇遺跡の発見は1980年、評者の息子が生まれた年である。
能登半島は珠洲市の手前が能都町、富山湾に面した入り江からちょっと奥まった場所で、三方が段丘に囲まれて沖積層。6000年前から2300年前まで、じつに3700年間、この真脇集落が継続したというから、三内丸山の5500年前から1500年続いた例より長い。
5000年前の地層からイルカの骨が夥しくでた。それで真脇遺跡が「日本の漁業発祥の地」と言われる。真脇遺跡の敷地から集団墓地が発見されたのが 2000年で、加賀のチカモリ遺跡も1980年から本格調査が開始された。共通は巨木を円形にくみ上げた祭壇。ともかく真脇縄文集落が三内丸山より長いの は驚き以外のなにものでもない。

 また鳥のかたちをした土器、把手付きの土製ランプ、魚のかたちをした石製品等。ほかの遺跡にない遺物が大量にでて、このうちの219点の出土品が重要文化財に指定された。
2021年に「世界遺産」となった北海道、東北縄文遺跡群の代表格は三内丸山である。存在は江戸時代からそれとなく分かっており菅江真澄の旅日記にも三内丸山遺跡の場所に「ナニカアル」と書いている。
この三内丸山遺跡の発見は1974年だった。本格的な発掘がきまると、予定していた野球場は別の場所に建設される。三内丸山遺跡は青森空港や新青森駅からも近いので、いまでは相当な人手がある。
ともかく本書は先史時代の移り変わりを一望できるので有益である。

  それにしてもこの選ばれた国を戦後の自虐史観の所為とはいえ、ここまで劣化された日本人が悲しくなります。
  こんな教育を何時まで放置しておくつもりでしょうか。ここに手を付けない政府・自民党ひいては日本に未来はないでしょう。  

やはり、目覚めよ日本人です!