市川海老蔵丈が事件以来、充血した目をして記者会見に望んだ。後悔してもしたりない所であろう。 私が九代目團十郎を作るにあたり、資料漁りの古書店で、九代目を中心に十五代羽左衛門などの資料を集めていることを耳にし、勉強熱心であることは聞いていた。アダージョの九代目は私が進言したのであったが、成田屋の歴史を知るにつけ、大変な人物を選んでしまったということが判ってくる。そこで歌舞伎の約束事に触れずにかわそうと、当初普段着の九代目を考えたのだが、写真集の坪内逍遥の序文で、團十郎は後の世代にくらべ写真写りが上手くなく、実際の團十郎の表情はこうではない、というのを読み、挑発?にのり、写真では1カットもない、睨みを利かせてみたのである。もちろん“劇聖”にしては不十分であろう。その際、團十郎丈に直接質問してくれた方があり、写真に表情が残っていないのは、当時の写真の露光時間の長さから、睨み続けられなかったのだろうという答えまでいただいていた。逍遥がどう見たかは判らないが、後の世代は写真感材の発達により、単にシャッタースピードが早くなっただけのことであろう。あの時代、感材の感度は急激に上がっていたはずである。 完成直後、成田屋のお二人にはプリントをお送りするつもりで準備していた。また舞台俳優の今拓哉さんにも差し上げ、これを持ってる舞台人は出世するという都市伝説を作ってください、などといっていた。実際今さんは楽屋に飾っていてくれているそうである。だがしかし、肝心の成田屋のお二人には未だお送りしていない。アダージョの特集人物は、たとえ嫌いな人物でも制作中は熱中する。しかしできてしまえばそれで熱は冷めるものだが、歌舞伎趣味は未だ冷めず、暇があると芸談の類を読み、サイン入りブロマイドなど集める始末である。そんな状態が続いたおかげで、つまり知れば知るほど、ビビってしまった、というわけなのである。この騒動のおかげで、またお送りするのが先になりそうである。
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