明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

個性  


グヤトーンLG-80Tが届く。数十年ぶりの再会である。あの頃の私は今とは別の生き物であった。というくらい久しぶりである。 当時良い音だという印象があったが、あまりのしょぼさに、そんなはずがないと自分の耳を信用しなかった。しかし懐古の想いだけではなく、この音はずっと記憶に残っていた。ロリー・ギャラガーが、子供の頃手にしたグヤトーンがまた欲しくなり、来日時にグヤトーンまでいって探した気持ちは判る気がする。 YouTubeに、チャーがLG80Tを始めて手にした頃のことを話しているインタビュー映像があった。http://videoschistososdefutbol.com/tag/LG-80T昔はビデオもなく、音だけで弾き方を想像して練習したが、実際見たら弾き方が違っていたという話が面白い。今のように教則ビデオまである時代とは大違いなわけだが、その試行錯誤が自分の個性になった、という話は興味深い。私も全くの独学であり遠回りしたが、それにより個性ができた、と日ごろ考えていたからである。 黒人のプレイヤーにはビックリするほど変わった弾き方をする人がいる。日本だったら途中で余計なアドバイスをされてしまうだろう。あるミュージシャンは、誰かに嘘を教えられ、それを信じてしまった、などという噂があったが、それはともかく、そのままプロに到達してしまうというのが凄い。そう思うと私もかなり変わった作り方をしているはずであるが、ミュージシャンと違って“合奏”することもなく、よって人と“奏法”を比較する機会がないわけである。 先達の身につけたものを教わり、そこに自分の経験を足していけば、どんどん良くなっていく筈だが、決してそうはならない。博物館にでも行けば一目瞭然である。だって人間だもの。というところなのであろう。 そもそも自分で工夫し、試行錯誤し苦しむところに快楽や醍醐味があるのに、そこを教わっては何にもならない。と私は思うのだが。もっともどこかヘンなことは判るのだが、何がヘンなのか判らず、制作中の作品を前に固まっている夢を未だに見る。あのトンネルがあれほど長い事を知っていたら、どうしていただろうか。  インタビューではフェンダー・ムスタングを弾きながら「あっちのインチキギターの方が音が良いな」といっていた。

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