銀座の古いビルで開催中の写真家、今道子さんの個展にでかける。使った魚はなるべく食べるそうだが、円谷英二で蛸を使った時、すぐには食べる気がしなかった話しなどする。自分で作った物を撮っている作品はやはり面白い。 伊東屋で粘土を買い、帰りにK本に寄る。喉がかわくのでペースがはやく、女将さんに驚かれる。K本のチューハイはゴクゴク喉を鳴らして飲むような物ではない。
オークションで明治時代の守田勘彌の役割表を掛け軸にしたものを落札した。原稿用紙に配役を書いた物で、今でも続く当時の役者名が並んでいて面白い。しかしそう思う人は少ないようで、放っておいたら申し訳ないような金額で落札してしまった。書いたのは十二代の守田勘彌であろう。守田座の座元で、守田座を新富座と改め劇場にガス灯を採用し、歌舞伎の地位向上のきっかけになった天覧歌舞伎を成功させた名興行師で、いわゆる“團菊左”の絶頂期の大立者である。しかし成功もしたが借財も莫大で、十三代を継いだ三男は、純然たる役者となる。十三代目は六代目菊五郎に天才といわせた役者だったようで、翻訳物など新劇運動にも熱心で、そうとう進歩的な人物だったようである。珍しい鼻の奇病で48歳で亡くなった。鼻の奇病などというと知りたくてしょうがないが、詳しいことは不明である。この十三代の馬の絵の掛け軸も所有しているが、大きすぎるのと、けっして上手とはいえず、たまに眺めては“鼻の奇病?”と呟くにとどまっている。養子の十四代になると、なんとなくTVで観た覚えがある。妻が水谷八重子で、娘が二代目八重子の水谷良重で、養子が今の五代目坂東玉三郎ということになる。この役割表にも玉三郎の名前があるが、おそらく三代目玉三郎の十三代勘彌であろう。 こんなことをしていると、父方、母方の祖父母の名前すら覚えていないくせに、他所の家系ばかりくわしくなる。
過去の雑記
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