明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



お宮参りの写真が出てきた。私も母もその先に起こることは何も判ってない。 それにしても、あの父と母で何故私のようなのが出来たのか。ブレンドの妙、悪戯としか思えない。この後八年程で私の成長が止まり(完成したともいう)手にする物こそ鉛筆クレヨンから粘土カメラに変わったものの、無段階のまま、こんなことになってしまった。台風で幼稚園が休みの日、佃の渡し船の絵を描いていて、煙突のマークが判らなくて、同じ物がある、と嵐の中止めるのも聞かず、マンホールの東京都のマークを見に行ったという。どうも聞いていた子育てとは趣が違う、という母の戸惑いは今だから解るが、生まれたと思ったらこうなっていたから、私には何の責任もない。 その後父が脱サラするとは思いもよらず、結局父が亡くなった後も母は八十過ぎまで一人で工具屋をやることになった。私は子供の時からそれを見てきているので、もし妻子がいたなら、新しい作風、テーマに挑戦したくても出来ずに悩み、酒場の多くの妻子持ち同様、素面で家に帰る気にならずダラダラと無駄に飲んでいることであろう。工事の音がする、と工事現場で三島由紀夫が死んでいる所を撮りに行く、などとは言い出せず、そんな私に限ってどうせ勘ばかり働く女房を貰ってしまって目ざとくカメラを見つかり、台風の日の幼稚園児のようには行かず。一枚も売れなかった『男の死』をまたやると未だに言い出せずにいるだろう。つまり結局なるようにしかならない、と言うお粗末である。


新HP


 旧HP


 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )