明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ブログを始める前の身辺雑記時代に、三島の頭部を作っていた頃、小学校3年の時の成田孝君という友人との話しを書いた。二人して色々作ったりして遊んだが、最も熱中した遊びが『忍法死んだマネ』であった。校庭の隅に、滑る部分が取り払われたまま放置された滑り台があった。そこに登ってはピストルで撃たれ、苦しみながら滑り台にぶら下がり、力尽きて落ちて死ぬ。これを飽きることなく繰り返した。 三島を作るにあたり、やりたいことは『男の死』だけであり、資料として入手した芸術新潮のバックナンバーで三島自ら『男の死』をやっていた事を知り、私の思った通りだ、というのと本人にやられてしまっていた、と1勝1敗のような気分であった。何年後かにその頃の身辺雑記を読んだら、三島が篠山紀信に撮らせた『男の死』も(忍法ではないものの)〝死んだマネ〟ではあるな、と可笑しかった。成田君と繰り返し熱中したこの遊びにより、某かの、そこはかとなく甘美な物を感じていたことは間違いないが、ある日女子が先生に言い付け、この遊びは終わりを迎えた。 この舞台が昭和30年代の葛飾区の小学校でなく昭和8年頃の学習院初等科であったなら、平岡君も交え3人で熱中し『仮面の告白』に私と成田君も登場していただろう。そして平岡君がもう少し気の利いた名前を考えてくれたに違いない。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉



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