明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



英一蝶の滝に打たれる不動明王は戯画調で、身体に当たった滝が左右に分かれて流れている。実際はそんな風にはならない訳で、滝や飛沫で不動明王が隠れないように、ということだろう。そんなことや、背負った火焔やなど置くための岩など都合よく配するためにも背景も作ることにした。デジタル処理といっても、主役はチマチマ粘土で作った物だし、背景も作りものだから、やり過ぎたとしても、デジタル臭さで鼻が曲がることもないだろう。やってみると必要なのが、色調整、形の調整、切り抜いて貼ることで終わっている。前年の一日だけの個展を別にすれば、2000年の古典技法オイルプリントの初個展『ビクトリアリズム展』は、すでに合成をし、印刷用フィルムには出力した物をネガとして使っていた。それは大正時代の作家等を倒す気概でやっていたからで、どんな手を使っても連中がやれなかった物を、と。人形を被写体に、さらにプラスデジタルだ。という事だった。だがしかし、亜麻仁油を油絵用の速乾ニスに変え、ゼラチン層を厚く、と改良はしたものの、これは昔の連中が生み出した技法だ、という思いから抜け出す事は出来なかった。それが今の手法に至る遠因となっている。当時古典技法を試みる人も少なく、目に明かりが灯らない来廊者に技法の説明の繰り返しでウンザリした。最近の手法は一切質問されないのが何よりの成果である。



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