明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明日は雪が降ると言われた先日、洗濯物を取り込まなくては、と思いつつ寝てしまい、朝テレビのニュースで降雪を知って取り込んだ。幸い東京では珍しく、ボタ雪前だったのでたいして濡れずに済んだ。子供の頃は、どこからともなく「奥さん雨よー。」と近所から声が聞こえたのを思い出す。 色々な物が値上がりしているが、食料品など何も気にすることなく買っていた。何しろ数字が覚えられない。野菜の値段が覚えられるくらいなら他の事柄も、もう少し何とかなるはずである。しかし量を減らされれば気が付く。なので最近はたまに砂町銀座で買い物をする。引っ越し先を決める時、砂銀が多少頭にあった気がする。駅まで遠く、陸の孤島などといわれたりするが、通勤する訳ではないし、まして出歩くことが減った今日この頃、犬の遠吠えを聞きシミジミしたりする。近所の飼い犬だろうけれど。   一休が後小松天皇の落胤だという説は、賛否あるようだが、宮内庁では正式に認めているという。



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一日  


ボクシングに転向する那須川天心、無事プロテスト合格。せっかく鍛えて来た足技が使えないのは惜しいけれど、キックではもうやることはないだろう。転向は簡単ではない、という意見もあるようだが、私はそうは思わない。中高の頃、ライオン古山やガッツ石松を倒した、センサク・ムアンスリンを観ているからである。ムエタイチャンピオンから国際式ボクシングに転向した選手で、ムエタイ時代、誰だか忘れたが、日本選手を膝蹴りで内蔵を破裂させている。ボクシング転向後、たった3戦目で世界チャンピオンになっている。当時ムエタイ出身はスタミナがあり、ボディが強い、ともっぱらであった。日本での防衛戦で石松を倒した夜、ソープを3軒ハシゴしたと聞いた。確かにそんな顔をしていた。 小説を読んでいると、映像が浮かび続けるのだが、誰しもがそうではないと知って驚いた話は以前かいたが、幼い頃から読み続けた人物伝も同様である。なので私が制作対象である人物の評伝を読むということは、カメラ片手に、その人物に付かず離れず着いて回り、作るべき場面を探す、そんな感じである。近いうちに、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想と言い出したきっかけについて書きたい



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