蘭渓道隆の肖像画や立体像のうち、生前制作されたのは建長寺の国宝の肖像画で、あとはすべて死後の制作のようである。立体像は、私が知っているのは建長寺の2体と京都西来院の1体の計3体である。本人に会ったことがなければ、私と条件は一緒であろう。建長寺の重文の像は、垂れ目、ほおはこけ、顎が尖っている特徴は共通だが、頭の形が違うし目が大きく骨太でがっしりしている。肖像画は華奢な印象である。2体目は垂れ目だがやはり目が大きく、ふっくらしている。来日後、ふっくらしたことが知られており、肖像画から推察して太らせたなら、納得が出来る。私もそうしたろう。京都西来院の3体目は、江戸時代・延宝4年(1676)の作で、ここまで来ると面影はなく別人である。ただし、国立博物館の調査で、内部に破損した蘭渓道隆の面の部分が収まっていることがわかった。生前の作の可能性もあるらしく、肖像画の特徴が表現されている。 仏像と違い、頂相彫刻は滅多に作られない。下手をすると、仕上げ中の蘭渓道隆は江戸時代以来となるかもしれないが、松尾芭蕉を面識のあった門弟の肖像画以外、まったく無視して作ったように、蘭渓道隆は、生前描かれた肖像画だけを参考に、仕上げ中である。