明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



達磨大師は、私にはインド人に見えたことがなかった。千年単位で固定化されたイメージであり、新たなイメージを目指すような相手ではない、と旧来のイメージに準じよう、と制作を始めた私であった。今まで私ならではの作品を作って来たつもりであったが、達磨大師には早々に白旗を上げつつ制作を始めたが、性根というものは、容易に改まるものではないらしく、結果、禿げ頭、濃い眉に髭、ギョロ目に太鼓腹、という従来の条件を踏まえながら私ならではの達磨大師となったのではないか。 樋口一葉の雅号一葉について。一葉と同じ歌塾に通った旧友の証言が残っている。一葉は桐の一葉ですか?と問うと「そうじゃないですよ達磨さんの葦の一葉よ。」と答えた。達磨大師は揚子江を葦の葉に乗って渡ったという故事がある。「おあしがないから。これは内緒ですよ。」葦と達磨に足がない、と一葉にはお金がない、をかけたという訳である。私が制作した一葉は、未だに残る、一葉が通った旧質屋から用事を済ませ出たところで雪が、という年の瀬の一場面である。 面壁九年の坐禅のせいで、手足が腐りなくなってしまった、というのは、布で覆われた達磨の様子から日本で創作された話しだそうで、つまり達磨にお足はあった、ということになる。


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