明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



空想ばかりしていた鍵っ子時代の私は、頭に浮かんだイメージを友達にでも話さないかぎり、何処かへ消えていってしまう。私の制作動機の原点は、それを頭から取り出し可視化し、”やっぱり在った”と確認することである。 長い間、まるでこの世の物であるかのように光を当て陰影を与えていた訳だが、それでは届かないものがあった。長らく続けて来たそんな作風が良い、といっていただくことは多いが、私本人としては、陰影を排除することにより、何とか間に合った。と思う今日この頃である。 タイムマシンでもあれば葛飾北斎に、西洋風陰影なんて娘にまかせて、晩節を汚しなさんな、といってやりたい。あんた後世にドラマ化され西洋画見て「見たまんま描いていやがる。」っていってたんだぜ?ちょうど陰影を排除しようって時だったから、その後に続けて私には”この野暮な野蛮人が!”と聴こえたんだが。

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『月下達磨図」に多重塔を加え完成。『蘭渓道隆面壁坐禅図』と『蘭渓道隆天道山坐禅図』にようやく蘭渓道隆を配した。明日中には完成するかもしれない。 天童山は2メートル超、面壁坐禅は長辺約150センチになる予定である。大きなプリントをするようになったのは、サンデイエゴ写真美術館館長だったデボラ・クロチコさんにアドバイスされたのがきっかけだが、その時は拡大したら粘土感丸出しの粗が目立つだろう、とその真意は判らなかったが、小さな人形を人間大、あるいはそれ以上に拡大してみると「私が意図したのと別の何かが迫ってくる。」という”フランケンシュタイン博士の感慨”を味わうことが出来る。

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