空想ばかりしていた鍵っ子時代の私は、頭に浮かんだイメージを友達にでも話さないかぎり、何処かへ消えていってしまう。私の制作動機の原点は、それを頭から取り出し可視化し、”やっぱり在った”と確認することである。 長い間、まるでこの世の物であるかのように光を当て陰影を与えていた訳だが、それでは届かないものがあった。長らく続けて来たそんな作風が良い、といっていただくことは多いが、私本人としては、陰影を排除することにより、何とか間に合った。と思う今日この頃である。 タイムマシンでもあれば葛飾北斎に、西洋風陰影なんて娘にまかせて、晩節を汚しなさんな、といってやりたい。あんた後世にドラマ化され西洋画見て「見たまんま描いていやがる。」っていってたんだぜ?ちょうど陰影を排除しようって時だったから、その後に続けて私には”この野暮な野蛮人が!”と聴こえたんだが。
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