明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午前中、合掌する蘭渓道隆を夕方着彩し、夜になり撮影。3作目、最初にイメージしてからずいぶん経っている。これだけ準備に時間をかけると、さすがに引っかかる場面は一つもなかった。適当に描いたスケッチが、以後超えられないことがあり、可能性を減らす気がして何十年もアイデアスケッチなどしなかったが、これもやり方による、これからは場合によっては描くことにした。 陰影のない絵画を立体化する時、もっとも有用なのは人間のディテールに対する記憶だと改めて。七百数十年前の個性的な面相を、現在感じられるのも、特に臨済宗が克明な肖像を残して来たからであろう。

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ビャクシンの樹と蘭渓道隆。写るところしか作らないので完成は早い。前面に夢中になってほとんど出来てしまい、慌てて後ろを作ることなんてことを繰り返しだせいで身についてしまった独学我流者のあまり自慢にならないことであるが、これが一眼的撮影専用の造形を可能にした。被写体制作と撮影の二刀流ならではで、普通に作った物を撮影したのとは一味違う撮影結果を得られる。被写体を公開しなければ、その効果のほどは私にしか判らないだろうけれど。それに数度も振れないほど冷酷に、写らない所を作っていないのに、後から後ろを作り足すことも可能である。なんといっても、依頼仕事の場合の制作時の少ない場合に効果を発揮する。そう考えると残る時間を考えると、今後写る所だけ作ることが多くなるだろう。

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