臍下三寸辺りの自分の感じるままに制作していると、いつの間にか想定していないところに立っている事がある。結果はその方がいいので、なぜそうなったのか、性能が今一つの頭で後から考える。 昨日書いたように、陰影排除により自由を得るのと引き換えに、質感描写はあきらめていた。リアルになるのでやっていた肌の下塗りも、陰影を排除すると、見た目と違ってただ汚れに写るので一色のベタ塗りにしたし、肌の艶もNGなので、40年磨いて来たのも止めた。なのに立体間を意識した蘭渓道隆の肌が、アクリルガッシュの艶消しの肌と違って生々しく皮膚感が出た。なぜそうなるのか私には判らない。構図など自由に描け、なおかつ人間的に写るとなればいう事がない。こんな時、まずは田村写真に走るのを常として来たが、厚木に移転してしまったし台風だし。たまたまでなく、再現性があるのだろうか。無学祖元に着彩し撮ってみる。
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