明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ついこの間まで、かつての日本人は、何故陰翳を描かなかったのか、と考え“光源が一灯の世界と違い、日本には便所にまで神様がいる多光源の国である。その数八百万といわれ、これでは陰翳のできるはずがない“といっていたはずだったが、今は七百数十年前に、宗時代の中国より日本に初めて本格的禅を伝えた人物に、陰翳を与えようとしている。 人間、変化してこそ生きている証となる。とは思うものの、長い旅路の果てにようやく目的地にたどり着いた。と思うと砂漠の逃げ水のように遠ざかる。これはどうも私がずっと恐れてきた、死の床で、あれを作りたかった、これも作れば良かった、と後悔に身を捩って苦しむことは避けられない、ということらしい。江戸時代の長命だった某絵師も、あと十年生きられたら、と未練を抱えて死んでいった。

 

 



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