明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蘭渓道隆の立ち姿を制作している。作りながらどういう画にするか考えるのだが空を背景に、中国の山の頂上と思しき鋭角的岩の先端に立ち、遠くを見つめる姿を思い付いた。日本は文化は発展してはいるが、未だ本格的禅が伝わっていないことを日本からの留学僧に教えられ、日本へ禅を伝える意を固め遠い国に思いを馳せている。あるいは真理について。そんなイメージである。 陰翳を排除するようになってから、どうしても長焦点レンズ的画面になっていたが、陰翳を与える、と決めた途端、カメラを手にして七百数十年前の高僧を撮影したなら?という去年の年末まで考えもしなかった単純にして明快なことに。 巳年というのは新たに脱皮するという意味があるそうだが、それにしたって脱皮し過ぎな気がしないでもないが“考えるな感じろ“で行くことに決めているので、臍下三寸辺りの私に従うだけである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )