人物を元に作品を作る場合、常に考えているのは見てみたい物である。仕事で依頼されない限り存命者を作らなかったのは、わざわざ私が造形せずとも、生きているなら実物を使えば良いと思うからである。 一休和尚には、シャレコウベ枕に酔い潰れてもらった。そこまでやったなら、坐禅像も見たい。琵琶湖辺りのススキっ原の中に座らせて画になりそうである。琵琶湖湖畔にススキ原があるのかどうかは知らないけれど。 そういえば蘭渓道隆と一遍上人の鎌倉の出会いも、異形の一遍上人が作れる、と立ち上がりそうになったが、事実でないと知りがっかり。こういうことになると瞬間湯沸かし器と変じるのであった。