博物館に行くと、師匠から弟子、親から子へと教えが伝えられた割に〝だんだん良くなる法華の太鼓“とは必ずしも行かないのが判る。であれば独学我流でも構わない、と思った。そこへ持って来て、人間も草木同様の自然物、肝心なものはあらかじめ備わっている。他人の作品見て感心しているより、自分の中から何が生じるかが肝心だろう。一度入った物は出て行かないことも恐れ、出不精に拍車がかかり美術館なども行かなくなってしまった。おかげでチョッと教われば済むことに時間がかかったが、余計な情報から身を守ることにもなり、さらに考えるな感じろでやっていたら、とりあえずは、幼い頃、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう、という問題に対処することだけはほぼ可能となった.それで良いはずである。